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美容業界での起業に至るまでの道のり

私の経営するファイブスターグループは、『美容業界に明るい光をつくりだし、美しさへの女性の想いをカタチに』を経営理念として出発しました。

前回の記事では、私の簡単なプロフィールと学生時代までの生い立ちを紹介させていただきましたが、今回は、なぜ今の会社を起業しこの理念に辿り着いたのか、私の社会人になってからの道のりを綴っていきたいと思います。


1.化粧品会社での挑戦

ファッションから化粧品の道へ

ファッションとギャンブルに明け暮れる学生だった私にも、就活の時期がやってきました。好きなことを仕事にしたかった私が最初に興味を持ったのは、当然ファッション業界。当時渋谷109の女性向けブランドでアルバイトをしていたこともあり、ファッション関係の仕事は身近で、そして憧れでした。

ただ、大手ファッション企業では、たいてい現場の販売員からキャリアがスタートして、経験を積んでから本社勤務というルートが王道のため、自分のやりたい仕事に到達するまでに時間がかかりそうだとも感じました。そこで、少し目線を変えて、ファッションのように流行の先端であり、且つおしゃれで美意識の高い人々が多くいる化粧品業界を志望することにしました。

当時は就職氷河期だったので就活には苦戦しましたが、無事にご縁を頂き、メーカー・ディーラー・小売店部門を持つ化粧品総合商社に就職することになります。

25歳での起業への思い

念願叶って就職した化粧品業界でしたが、思い描いていたような憧れの仕事は残念ながら待っていませんでした。
私が希望していたのは企画職やマーケティング職で、いずれは世界に通用するブランド開発をしたいという夢を抱いていました。しかし、配属されたのはディーラー部門の営業職。大手ドラックストアの売り場担当になりました。もちろん、この仕事からも学ぶことは多くあり、充実した社会人生活を送っていましたが、働き続けるうちにざまざまな内情がわかってきて、どうやらどんなに頑張っても私の条件では念願の業務は永遠に回ってこなさそうでした。

べつに、この会社が悪いわけではありません。当然ですが、どんな会社であれ、希望通りの仕事ばかりできるとは限りません。ならば、自分で起業して納得のいくフィールドで挑戦したい。そう思い、起業への道を模索するようになりました。

さらにその頃、ホリエモンをはじめとする六本木ヒルズに住居を構える「ヒルズ族」社長たちのキラキラした成功がテレビなどで頻繁に紹介され、自分もあの仲間入りを果たしたい!という欲望にも駆られました。(余談ですが、この“ヒルズ族になる”という夢も30代で叶えることができました)

自分の道は、自分自身で切り拓かなければ。
そんなことを考えるようになった25歳の私なのでした。

2.リクルートでの経験と学び

HOTPEPPER Beautyへの転職

さて、起業を目指すにしても、何から始めればいいのでしょうか。
MBAに挑戦することも検討しましたが、当時の私には「習うより慣れろ」かと思い、まずは数多くの起業家を輩出しているリクルートに転職してみることにしました。

転職の動機からも、リクルートが発行する開業・起業の専門誌『アントレ』に興味があったのですが、化粧品会社での経験が評価され、ご縁をいただいたのは『HOTPEPPER Beauty』の東京チームでした。結果的には、これが後に美容業界で起業する道が決定づけられた”人生のターニングポイント”になります。

期限は3年間

リクルートに入社するにあたって、私が決めていたことが2つあります。
そのうちのひとつが、働くのは「3年間」という期限。
リクルートは良い会社なので、期限を決めないとズルズルと居続けてしまい、結果的に起業できなくなりそうな気がしたためです。
そして、期限を決めるからにはその中で「ナンバーワン」になる。これが2つ目です。ナンバーワンになることは、起業へ向けた自分自身への自信になると共に、採用してくれたリクルートや、担当させて頂いたお客様たちにしなければならない最低限の恩返しであると考えました。

怒涛の全国表彰

リクルートでの仕事は本当にキツく、涙することも少なくありませんでしたが、あまりあるほどの学びがありました。このことについてはまた別途記事にしたいと思っていますが、結論から申し上げると、私はこの3年間で、目標にしていたナンバーワンを無事に達成することができました。しかも、HOTPEPPER史上歴代最多の表彰記録まで樹立しました。
社員のみんなの前で表彰され、恥ずかしながらも男泣きしたことは今でも良い思い出です。この経験から、私の経営する会社の社員たちにも同じ達成感を味わってほしいと思い、毎年個人賞やチーム賞などを表彰するイベントを実施しています。

起業のテーマとなる美容室の労務環境の課題

3年間の『HOTPEPPER Beauty』の仕事を通じて数多くの美容室と関わりを持ちましたが、そこで気づいたのは、美容師たちの厳しい労務環境でした。

たとえば、奥さんと子供が2人いる35歳の男性スタイリストの手取り月給が15万円以下。おまけに月の休みも4日以下。「独立するしか食べていく道がないんです」と言って、元のお店の側で独立・・・そんなケースが至る所で起こっていました。さらに、女性スタイリストの多くは結婚とともに退職しなければならない美容室がほとんどで、出産後に美容師として復職できる環境はほぼ皆無でした。

日々の暮らしもままならない美容師たちは、目の前のお客さまに向き合う心の余裕も無くなっていきます。それによって、お客さまは理想の美容室や美容師を求めて延々と探し続けているという、とても不健全で誰も幸せにならない状況にありました。

当時の自分にとって大切なお客さまである美容師たちが、食べていくことも仕事を続けていくことも難しく、しかもお客さまにも喜んでもらえずに苦しんでいる姿に心が痛みました。そして、私の心の中にふつふつと思いが込み上げてきたのです。

「この業界をどうにかしたい・・・!」

この思いが、私を美容業界での起業に至らせることになりました。美容師の労務環境の改善は、企業から今に至るまで私自身の経営における重要なテーマとなっています。

思い起こせば、私が高校生の頃、美容の力の偉大さを感じたことがありました。くせ毛に悩んでいた同級生の女の子が、ある日縮毛矯正をすることによってコンプレックスを解消し、それ以降みるみる綺麗になっていったのを目の当たりにしたときです。

美容師が日々の生活に悩まなくなり、将来への希望をみいだせることで、より多くの人々の美を創り出せる。美しくなり自信を持てる人が増えることで、微力ながら日本の経済にも貢献できるのではないか。

『美容業界に明るい光をつくりだし、美しさへの女性の想いをカタチに』

この理念を掲げて、私は29歳で起業しました。
それは、東北大震災のあった2011年のこと。震災で甚大な被害を受けた私の故郷を元気にしたいという思いもあり、まずは福島を拠点にすることにしました。

起業してからのストーリーは、次回以降に綴っていきたいと思います。


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