音楽会 その2

昨日音楽会のことで一人の男の子の話を書いた。
男の子の頑張りに感動したから書いたのだが。

もう一つ、私自身について書きたいと思う。
それは指導者としての私の変化。価値観の変化のことについてである。

数年前、私はある子の支援として付き添っていた。
その子は音楽会最中落ち着かず、演奏中も体が動いていて私はそれを抑えようと手で静止していた。その子がどんな演奏をしていたか、私は覚えていない。
私はただ、その子の態度をなんとかしようと必死だったのである。

なぜそうだったのか?
それは私がその子に付いている限りその子の態度が悪いのは私の指導力がないと言うことにつながってしまうからだった。
いや、指導力がないと思われると私が勝手に思っていて、そう思われるのがいやだったからである。

私は自分の評価を気にしていたのだ。
そして私ではない他の先生が付いていたらもっとうまくいったのではないか、という思いが出てきて自己嫌悪に陥った。自分の能力がないことが嫌で、終わったあと、とても不機嫌な顔をしていた。それに気がついた校長は、どうしたのか、と私に聞いてきたくらいだからよっぽど厳しい顔をしていたに違いない。

それから数年たち今回の音楽会は、とにかく子どもたちに楽しんでもらいたいという思いで取り組んだ。
いや取り組むことができるようになった。

音楽は音を楽しむ。と書く。
今回私が担当した2年生の女の子は、大勢の中では、しゃがみ込んでしまい下を向いてしまって動かなくなることが多い。
なので参加できるかどうか、練習に連れて行かれるかどうかそれがとても心配だったのである。
ところがその子は、トライアングルをとても気に入り、喜んで練習に参加して本番もなんとか座り込むことがなく、用意した椅子に座ってずっとトライアングルを持ち続けていた。鳴らすことはできなかったのだが。

その子はトライアングルがとても上手に鳴らすことができる。でもどのタイミングで鳴らすのかわからなくて、私も色々試行錯誤したのだが、練習の際も少ししか鳴らすことができなかった。
そして本番も鳴らせず。
でもお父さんとお母さんが来てくれたことは嬉しかったみたいで、舞台から手を振っていたし、指揮者のマネをして手を動かしたりしていた。

終わったあとその子が舞台から嬉しそうに両親に手を振っているのを見て、私は嬉しかったし、笑顔でずっといられたと思う。
その子が舞台に立ってみんなと一緒にいて、それで楽しんでいてくれたと思えば。そして大事そうにトライアングルを抱え、途中何回か鳴らそうとしていたし。その姿を横で見ていた私はそれでもいいと思って笑顔でいられたし。

もう少し私の指導能力が有ればちゃんと演奏させられたという反省点はあるが、何年か前にはそのことしか考えてなく、その子が楽しんでいるかどうかなど二の次だったことを考えると、
ああ、私も少しは変わってきたのかもと。

終わったあと、お母様が
「座り込んで下を向いていたわけじゃなくみんなと一緒に楽しんでいる様子も見られて感慨深かったです」という感想を書いてくれたのでホッとした。やっぱり、親ががっかりするようであってはならないので。
しかし、やっぱりもう少し私が目標を高くもっていれば、やれたかなという思いは残る。

終わって教室に帰ってから、その子はトライアングルをたくさん良い音で鳴らしていた。
私は思わず、「yちゃん、それさっきやって欲しかったなあ」と苦笑してしてしまった。

そしてそうやって笑えた自分が数年前の自分と変わっていることに気が付けて、まあ、良しとするか。と思っている。


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