記憶の行方S10 小さな出来事 半野良の散歩

諫早駅で、電車を待っていた。よく通ったバレエスタジオは、まだ、残っていて、自転車で制服を着た二人のりの男子が大声で歌いながら、風を受けて疾走していた。競技場前では、怪我をして走れなかった日を思い出して、全てをなぎ倒しても、思い描くことすら難しい時期はあるものだと思った。

「どこからこらしたとー、随分垢抜けとうねぇー」

わたしは、何が変わったのか?人は見た目で判断する。着る服、髪型、佇まい。それで、何かが違うと言う。あなたは、世話焼きの地域のパトロールPTA役員でしょう。その黄色い腕章を付けて、正義と共に駅付近のここ3ヶ月見かけないストレンジャーに話しかける、それが、あなたのご使命なのでしょう。悪いことではないが、警戒心が丸見えだ。

とは、言わないまでも、

呪文のような抑揚で話しかけられ、聞き慣れたはずの方言が早口に聞こえ、何を答えたらよいのか、わからなかった。

その後、観光客にも話しかけていた黄色い腕章を付けた方、どうやら、駅で見知らぬ人を見かけると話しかけるのがその方の流儀らしい。

夜行列車に乗って、半日ほど電車に揺られていた。おんなじ列車の一段下の車両には、単身赴任で、諫早に仕事に来て、有給とって、帰省の途中の女の子が乗っていた。出身地やどんな学校だったか、部活は、何部だった?今、どんな仕事をしているか、など、聞いて、途中、寝落ちしていたのだけれど、会社を辞めるかどうか、考えているという。名前は聞いたのだけれど、思い出せない。

「がんばってね」

「はい。次の駅で降ります」

と、彼女は言い、品川駅付近で降りた。

わたしは池袋駅で降りて、現地で会社にお土産を買い忘れ、カステラを購入し、急に中村屋のカレーが食べたくなり、一皿注文して食べて、やたらとらっきょうが食べたくなり、テーブルに置いてあるらっきょうを全部平げ、店員さんに訝しげに見られる。しかし、気にしている場合ではない。なんでか、いままでにない食欲が湧いてくる。我ながらよくわからない味覚になって来たと思った。

なんとなく、ヒールを履くことを辞め、黒髪に戻して、シャンプーが楽なショートに髪を切り、スニーカーに履きかえて生活を始めていた。身体が少し丸みを帯び始めた。自分の体にもう一人の人間がいるとは、妙な気分だった。1番大きく変化したのは味覚。今まで食べたいと思ったことがないものが食べたくなり、ももをやたら食べたくなっていた。匂いも敏感になって来た。なぜか、トマトとビーフシチューの匂いがだめになり、食べられない。どうしたものかな。

「お、おう!」

と、宇多田ヒカルのマネをしながら、

「よろしく!名前がない人よ」

「男なの?女なの?」

へその下辺りを撫でて見る。ぎこちない、緊張し過ぎて、右手と同時に右足も出てしまう。

ぎくしゃくしながら、仕事をしていた。

「最近、おとなしいじゃん、どうした?その髪、案外普通だったんだね。酒呑まないし」

社長にボンバーな髪から黒髪にしたら

「あれだね、仲間由紀恵じゃないの」

「深田恭子でしょ」

「いや、深津絵里だ」

社長と取締役や構成作家にやんややんやと、適当にあしらわれる。

Kさんは、自転車で15分ほど離れた場所に住んでいた。大学院生だったKさんは、髭をたくわえて、机の上には、いつも本が積まれていた。ハイライトを3箱吸い、いつも、頬が痩けており、時々、風呂を借りに来ては、髭を剃り、こざっぱりして、面白いレコードがあった。と、持って来て、わたしの部屋で聴いて帰る。

わたしは、半ノラのトラねこが住むKさんの部屋に猫をなでに行く。という日々が続いた。

スタジオ近くにかりていた防音完備の部屋は、キーボードを置いているだけの部屋で、コルグのオルガン、持ち運び用の軽めのトライトーン。ベーゼンのアップライトのピアノとピアニカ、いただきものの赤いソファーと膝掛け毛布を置いていた。

仕事から帰って来たら、ヘッドフォンをして、キーボードを弾く。そして、寝る、仕事へ行く、地味な日々だ。時々休みの日は、散歩していたら、

スタジオの近くに住んでいたため、時々、バンマスから電話でお呼びがかかる。

バンマス「お米持って来て欲しんですけれど。お米ーおにぎりが食べたい」

わたし「お米は、スーパーで買えるでしょ!」

バンマス「俺、今、すごく傷ついた」

わたし「知りません。彼女に電話してください!」

ラジオ番組の制作現場で、校正がてら、ラジオドラマの台本の読み合わせをしていた。

ディレクターが

「飲み物では何が好き?」

と、聞かれ

「コーヒーより紅茶ですね」

と、答えた。

校正中の台本に、紅茶好きのうす紫色のおかっぱ頭の高校生と言う設定の女の子が登場しており、おそらく、落ち着いたアルトぐらいの声が合うキャラクターなんだろうなあ、と、読みながら想像していた。

ちょっと、読んで見て、と、ディレクターに言われて、台本を読んだらシーンと静かになってしまった。

「ぴったりじゃん!」

どうやら、探していた声とぴったりあったらしい。

急遽、留守電に入っている声、として、出演することになった。

ラジオドラマのコーナーで感想を送ってくる人はまだいなかった。番組の担当者への激アツなメッセージが届き、

「その情熱を隣の人にも向けたらいいんじゃないかと俺は思うんだけれどね」

と、ディレクターは言っていた。クールだなと思いつつ、わたしはハガキやメールを全部読んでいた。隣人へのリアルな情熱と異次元なファンタジーへの情熱は、少し違うんじゃないかと、思っていた。

抑揚のない中音域の声がよいから、コーラスで入ってくれと、褒められているのかよくわからない誘いを受けて、アルバム制作の現場へ向かった。

しかし、なかなかRECが始まらず、近くのミスドへ行ってはコーヒーを飲み、様子をスタジオに見に行くと、バンマスは、大体スタジオの地べたに座って、あれこれ、指示を出していた。

「今日は、ヤバイ奴が来るんだよ。」

バンマスはそわそわしていた。白いロングコートを着たバイオリンケースを持って待っていた女性は、あまりにも長い時間待たされ、怒って帰ってしまった。

「どうも」

入れ違いでスタジオに入って来た人は、少し髪の毛が伸びた酔いどれさんだった。

(うぁー、また、会ってしまった、なんとなく気不味い)

わたしは会釈をして、静かに待っていた。

酔いどれさんは、ヨーロッパから帰って来ていた。

待ち時間は、3時間はざらで、本は2.5冊ほど読破。それから、酔いどれさんのヨーロッパでの出来事を聞いていた。

ツアーの合間に、路上で、吹いていたら、ぼっこぼこに集団で殴られて、気づいたら大使館だったそうだ。サックスを抱えている日本人が道端で倒れていると、大使館に連絡してくれた人がいたと言う。殴られているのに、こんなに綺麗な顔をしている日本人、初めて見た、と、大使館の方が楽器を手にしているのだから、芸術家だと瞬時に保護を手配したと言う。

そして、手当の後、大使館で演奏して帰って来たらしい。

「美しいだけで、生きて行ける人は、芸術家なんだと思います。いいですね。酔いどれさんは」

特別な才能はこれといってないわたしにとっては、羨ましい限りの話だと聞いていた。

「僕は背はそんなに高くないし、海外だとこどもみたいに見えるらしく、未成年と間違われるんだよね。まあまあ、おっさんなんだけれどね。」

自分が演奏するジャンルを敢えてカテゴリー分けすると、旅の途中に聴くジャズではないかと、酔いどれさんは、言った。

「トライバルジャズだと思ってるよ」

「いいですね。トライバルジャズ」

なんのこっちゃ、と、思ったが、なんとなく伝わって、旅の途中に聴きたい音楽はあるな、と、思って聞いていた。

「コーヒー好き?」

「嫌いではないですね」

嫌いな食べ物がないのがわたしの取り柄だ。

「ちょっと、コーヒー飲みにいく?」

「はい。あと、2時間は待ちですよ」

スタジオ内のバンマスは、地面に譜面をおいて、寝転がっていた。そんなバンマスを見て、エンジニアや酔いどれさんとともに笑っていた。

「たぶん、朝までコースですね」

エンジニアは、のけぞり、回転椅子をまわし始めた。

カツサンドと三角おにぎりが差し入れで出された。

わたしはものが作られていく場所が好きで、地面にうぁー、どうしようと、時々あがいているバンマスを見るのも、楽しみの一つだった。何かが生まれる時は、苦しみはつきものだ。

あったかいコーヒーを飲みつつ、出番を待つことにした。


♪あけましておめでとうございます。

今年もwonkのsmall thingsを聴いて物語を描いています。さて、どんなオチにしたらよいのでしょうね。

引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。







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