戦争は命だけを奪うのだと思っていた
五輪の影響で、43年ぶりにNHKでの原爆・戦争・核の特番が放送されないことを知った。
(今回のオリンピックって本当に一体なんなんだろうか。。)
学生時代に学んだ戦争は、教科書の写真やビデオでみる過去のものだった。
先生たちは策を練って、第一次世界大戦の白黒ムービーや太平洋戦争経験者の証言や、火垂るの墓など、色々なコンテンツを使って私たちに訴えかけてきてくれたと思う。
私ももちろん、その度に非常に残酷な気持ちになって、涙することもあった。
しかし、今思えばそれは「過去」に対するいっときの悲しみなだけだった。
「尊い命を奪ってはいけない」「罪のない命がたくさん失われた」
確実に正しく、確実にその通りであるのに、そういった常套句を子供達は覚え、感想文を求められると「なぜ」それがいけないのかあまり実感を持てずに書き連ねていたように思う。
決まり文句になってしまった言葉たちをなげかけるまえに、「なぜ」それが辛く悲しいことなのか、まず聞くのが大切だ。
どんな言葉が返ってきても否定をしない、受け入れる。
そうして、あの当時、どんなことがあったのかをきちんと、リアルに伝える必要があると私は強く思っている。
(どうでもいいけど、普段の授業でもそうしている)
話が少しそれたが、そうして大学生になった私は、演劇を学ぶ座学の授業で
「笑の大学」という三谷幸喜監督・役所広司さんと稲垣吾郎さん主演の映画を観た。
戦争が始まって「表現の自由」がなくなっていった。
そう一文で読んできた文章の意味を心から理解した。
戦争が奪うのは、命だけではないんだ
多くの人の未来や夢、挑戦したかったこと、誰かを愛し、愛されること、喧嘩をしたり仲直りをしたりする生活、学びたかった学問、健康的な体、安心な日々
人が、人として生きる大切なエネルギーを根こそぎ奪っていった
なんで気が付けなかったのだろうと思った。
数多くの才能と夢に溢れる文化人・表現者たちが、自分たちのエネルギーや表現をただ闇雲に抑えられ、規制され、罵倒されてきたことも、
それでもなお、自分たちの表現を諦めなかったことも、
やがてそのエネルギーを戦争に費やさなければならなくなったことも、
そして命を奪われていったことも、
ものが溢れ、物質的に豊かになった今の世の中で、その記憶が徐々に薄れてきていることも、
全てに切り裂くような痛みを感じた。
犠牲者の方々、被爆された方々の痛み、苦しみ、怒り、悲しみは想像をするだけでも耐えかねるのに、実際にそれを経験した時の気持ちは、想像だけで補えるものでは到底ない。
「父と暮せば」「母と暮せば」を観劇し、広島の平和祈念資料館で見た様々な記録を通して、この一年は、私にとっても戦争について心で向き合うリアルな機会を沢山得た年だった。
1945年のこの日が、この世界のどこかで並行して存在していると考えてしまう。
そうしたら、同じ8月6日のこの日、2021年と1945年の世界の違いは何なのだろうか。
「あの日、あの朝、広島の上空580mのところで原子爆弾ちゅうもんが爆発しよったのは知っちょろうが。爆発から一秒後の火の玉の温度は摂氏1万2000度じゃ。あの太陽の表面温度が6000度じゃけえ、あのとき、ヒロシマの上空580mのところに太陽がペカー、ペカーッ、2つ浮いとったわけじゃ。」
(父と暮せばより)
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