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【短編小説】キシミ

以前、文学系投稿サイトで発表していた創作物を加筆修正して再掲しています。 以前投稿していたサイトからは削除してあり、現状この作品はnoteのみで発表しています。

 スカイブルーの車で片側二車線道路の右車線を走行していた。
 赤信号で停止して窓の外をふと見る。まぁ、特に何を見るともなしに見るわけでそんな意識で見ていれば風景さえも目には入らない。目に入ったのは中央分離帯の縁石である。

 グレーの縁石である。
 だから何だっていうわけじゃない。
 目に入った。というかいつも信号で停止してふと外を見れば必ず目に入っている。

 もうだめだ。

 その日はその縁石が目に入った瞬間にそう思ってしまったのだ、粒子の粗いコンクリの。
 グレーの縁石が。
 
 パーキングモードにして、踏んでいたブレーキから足を離すとブルルと音を立て車体を震わせながら車はアイドリングを始めた。私はエンジンをかけたまま、開閉レバーを乱暴に操作して突き放す様に、極めて乱暴にドアを蹴った。
 ガッツンガリガリと言う音を立ててドア下部がグレーの冷たい縁石にぶつかった。

 もうだめだ。

 想いは強くなる。
 
 私は全身の力と精神を足に集中し、絶叫と共にドアを内側から蹴り飛ばした。金属とコンクリが激しく擦れ合い、ギシギシと音を立てて車体が揺れる。
 私はふんと鼻を鳴らして外に出る。と、当然すぐ目の前は忌々しい縁石に縁どられて高慢ちきに存在する中央分離帯がある。安全靴の内側に鉄の仕込んであるその爪先で縁石を何度も蹴りあげ、ふんぞり返って中央分離帯を踏みつけた。

 この愚鈍な中央分離帯が!中央分離帯の分際で!頭を垂れよ!平伏せよ!

 そんな気持ちで、そして実際に高らかにその言葉を叫びながらながら、その恥知らずな存在を踏みにじってやった。
 踏みにじり続けていた。気分良く。
 そんな私は気分があまりに高揚しすぎて聴覚を閉ざしてしまっていたらしく、突然肩を叩かれたことで戻ったその聴覚はクラクション、怒号、絶叫、啜り泣き、嗚咽、笑い声などを一気に掬い取り、情報過多で再び麻痺しそうになったのだがその前に、私の肩を叩いた顰め面の老人の声を捉えた。


ある日軋み始めた心

「あんた、なにやってんの?周りをみてごらん。こんな道のど真ん中に車、止めっぱなしにしたらみんな迷惑するんだよ」
 老人はそう言った。

 何を言おうとそれは老人の自由だ。どんどんと意見を出し合う事でこの世界は上手に回っていく。
 だが言い方というものがある。他の奴らがこの老人の物言いにどのような感想を持つのか?愚鈍な一般大衆の意見などどうでもよろしい。私が、私個人が非常にムカついた。この老人の言葉の発し方に。どこにムカついたのか?というはっきりとした根拠はない。顔つき。声。抑揚。など総合的にみて「なんとなく」私のムカつきセンサーに引っかかったのだ。
 
 先程から、先端に鉄板の入った安全靴でコンクリ製の縁石を蹴り飛ばしていることからほとんどの人々は、いくら愚かと言えども気が付いているはずだが私は、肉体労働者である。

 現代日本の法律でこんなことが許されるのだろうか?と思われるほど過重な荷役を長時間、何十年も続け、その結果として足は短く太くなり、胸肩腕には全身のバランスからみたらもう無様と言えるほどの筋肉が付いてしまって首はその肉に埋もれている。肩から顔が生えているに等しい。いや、別に筋肉自慢をしたいわけでは全然なくて、私が私の行動に異議を唱えてきた老人の首筋を片手で掴んで中央分離帯を挟んだ対向車線に放り投げた事については、日常の荷役作業と比べてあまりに軽作業だったという事をひとまず報告しようと思っただけなのである。

 そして老人は枯れ枝の如く宙を舞い、対向車線を猛スピードで疾駆してきたダンプカーの前面に激突、捥げた片方の腕がくるくると回転してブーメランのように空中を飛翔後、中央分離帯のあの忌々しい縁石の角に引っかかってぴくぴく痙攣していたが、老人本体は衝突時の激しい圧力で蒸発してしまったのかそれとも肉眼では捉えられないほど遠方に弾き飛ばされて鹿の餌にでもなってしまったのか、とにかく見当たらなかった。
 老人が私の肩を叩いてから片腕を残して鹿に喰われるまでが一瞬の出来事だったので私は老人の顔さえ確認していなかった。どうでもいい事だった。

 そして聴覚は閉じた。

 忌々しい縁石に引っかかって忌々しく薄ら汚く痙攣する老人の腕を見て、再び私の絶望感が湧き上がる。老人を投げ飛ばした時には一瞬テンションが上がったのだけどまただめだ。
 私はまず膝を曲げて大きく飛び上がり、痙攣する老人の腕をめがけ全体重をかけてそれを踏み抜いた。縁石に引っかかって手首のあたりでブラつきながら痙攣していた忌々しいそれは安全靴の底で何の抵抗もなく潰れ、手首が捥げて路面に落ちた。 私はその手首を拾い無造作に放った。残ったのはもはや手首も失くし、知らぬ人が見れば両端から流血しているなんとなく人体の一部っぽい醜い肉塊である。私はしばらくの間それを呆然と見下ろしていたが、特に面白いこともなかったので拾い上げてまた無造作に放った。
 私の視界に残ったのは老人の血液で赤黒く汚れたあの忌々しい縁石だけとなった。

 もうだめだ。
 脳がパンパンに膨れ上がっている。
 
 縁石があの気に入らないジジイの血液で汚れている。忌々しい縁石が忌々しいジジイの血で。
 私はとりあえず心の赴くままに膝を折り、血に汚れた縁石に顔を近づけた。血生臭く埃臭くガソリン臭い。このコンクリの塊にはいろんなものがこびりついている。
 私は老人の血を舐めた。しかしすでにコンクリに吸収されつつあった老人の血液は私が舐めた程度ではきれいにならない。私は勇気を持ってやや血だまりになっている部分に唇を付け、ちゅうと吸ってみたのだが、ただ臭いだけで状況は好転しなかった。
 ならいっそ。

 聴覚が失われていると自分の声も聞こえない。私は自分にも聞こえない音を肺から絞り出しながら大きく上半身を振り上げ、そして縁石に額を打ち付けてみた。
 体内、おそらく頭蓋骨から発したメリッという音が聞えたその瞬間、聴覚が戻った。
 人々が喚き散らす声とクラクションの連打音、不謹慎者が私を賛辞するような声さえも聴こえ始めたその隙間を縫って、遠くから警察車両の間抜けたサイレンが近づいてくる。しかし周囲を見渡す限り、走行している車より停車してスマートフォン、デジタル一眼、ビデオカメラなどで私の行動を撮影している野次馬がほとんどであることから、その警察車両がこの場に到達するのにはまだまだ時間がかかると推察できた。推察と言うか、まぁあたりまえだわな。道のど真ん中で殺人行為が行われているその場所に車で駆け付けようという魂胆がそもそも浅はかなのである。
 と。

「やめなさい、警察だ!」
 え、いつ来たの、こいつら?という疑問が浮かぶ私の脳裏。目の前には男女の白バイ隊員が警察手帳をかざして立っていた。なるほどぉ、白バイなら早いよね。私は瞬時の判断で男性警官の腕を掴んで引き寄せ、手帳を持ったままの手に噛みつき、顎に渾身の力を込めた。警官の手は私の口内でバキバキと音を立てて潰れ、私が首を振ると、掌の丁度中央あたりから親指の部位がちぎれた。私は唇の中に残った男性警官の親指を吐き出すと、ワーワー泣き叫んで煩いその警官の頭を掴み、中央分離帯の防護柵として機能している直径十ミリほどのワイヤーに向けて叩きつけた。
 男の顔面が強靭なワイヤーにぶつかり、一旦バウンドして戻ってきたところをまた掴み、次に変形が始まっているその顔面をワイヤーにこすりつけた。そう、なんというかイメージとしてはヴァイオリンの現に弓をこすりつけるような感じで。びしん、ぎゃしんみたいな擦過音と打撃音が混じったような音がするばかりでたいして面白くもなかったのだけど、全力でやってみたら顔面から眼球が落下したので汚さを感じて手を離した。警官の頭は一気に路面に落下し被っていたヘルメットで自らの眼球を潰しながらそこで僅かにバウンドした。生きてるかどうかはわからないが、しばらく動けないのは確実だろう。
 女性警察官に目をやると、拳銃を構えてこちらを睨んでいる。私は拳銃なんぞ全く意に介さず、スキップを踏みながら近づいた。
 「止まりなさい、撃ちますよ!」
 私がガン無視でスキップを続けると、彼女は空に向けて一発撃った。耳鳴りがして、周囲の声が一瞬消えた。しかしこれは私の聴覚異常ではなく、銃声に驚いたオーディエンスがびっくりして声を失っただけだったので、一瞬の沈黙の後はさらにやかましい絶叫、号泣、歓喜など、人間の感情の坩堝をダイレクトに表した様々な音声がそこいらじゅうの空間を埋め尽くした。まったくもってうるさい連中だ。
 女性警官は空に一発撃った後、私に銃口を向けようとしたのだが、銃口が空から私に向けられる前にその銃を持つ手は私の握力によって握り潰され、銃はあっさり私のものとなった。
 しかし、この銃は警察官のベルトに縄で括りつけられているし、いかに私でもこの強靭なロープを断ち切ることは不可能なので、ひとまず銃を持ったまま腕を振り回すと、ロープで括りつけられた女性警官の体が私の動きに合わせて踊るように動く。私は面白くなってぶんぶんと腕を振り回し、女を躍らせ、やがて銃を介して引っ張ると彼女はよろよろした足取りのまま私の胸に縋りつくような形で飛び込んできた。私はすかさずヘルメットを被ったままのその側頭部に右フックを入れる。
 吹き飛ぶヘルメット。
 もんどりうってひっくり返る女性警察官。
 しかし銃が私の手にある限り、彼女の体を操る権限は私にある。銃を引っ張って女の身体を引き上げ、振り回してまた吹き飛ばす。彼女の肉体は周囲で渋滞を起こしていた車にもガンガンぶつかり、意識を失いつつあるのか、足の踏ん張りも利かなくなってきている。後ろで束ねていた栗色の長い髪も解けてなかなかに艶っぽい。まぁ、このタイミングだろう。と私は思い、少し力を緩めると女性警察官の身体はくるくると回転しながら、眼球を失って痙攣している相方の男の上に覆いかぶさるようにうつ伏せに倒れた。私は女性警察官の太腿あたりに狙いをつけ、発砲した。彼女は呻きと共に飛び上がるように上半身を逸らせた後、動かなくなった。太腿だからまだ死んではいないだろう。放っといたら失血死するかもしれないけども、ならば女が失血死する前にやらなきゃならないことがあるのは明白だった。私は安全靴の先で女性警察官を蹴り飛ばし、一旦仰向けにすると、彼女のベルトを緩めてズボンを脱がせた。ふと見るとかなり美形の女性で、なんでこんな別嬪さんが警察官なんかしてるんだろうか?という疑念が頭をかすめたが、とりあえず今の私には好都合なことだし、問題もないので考えるのはやめた。
 ふとした思い付きで痙攣している男性警官の顔面を撃った。
 更にふとした思い付きで最も至近で私にスマホを向けていたスーツ姿の男を撃った。
 その後、女性警察官を正常位で犯し、それでも勃起の治まらなかった私は彼女をうつ伏せにしてバックから再度犯し、その体内に大量に射精したのだが、なぜかそれでも勃起していたからそのまま体をずらして、今まさにアナルに挿入しようとしたその瞬間。
 撃たれた。
 意識を失う前に、ヘリコプターのプロペラ音を聴いた。

 私は生きていて、かつ丼を喰っている。
 取調室というのはこんなに狭い者なのかと感心しながら目だけをきょろきょろさせて、手と口は忙しくかつ丼を処理している。
 私の担当となった中年の警察官が目の前でため息をついた。
 私はかつ丼を食べ切り、箸を置いて「ごちそうさまでした」と頭を下げた。そして顔を上げ、警察官の顔を見据えながら「大変だったでしょうね」と言った。
「まぁ、大変だったよね、あんた、なんであんなことしたの?つか、名前は?」
 警察官の質問を無視して私は続けた。
「いや、あれだけの別嬪さんだし、この警察署の男性警察官の性欲処理をひとりで担当していたのかと思うと、彼女の苦労は計り知れないですよ」
 警察官は頭を掻き、項垂れた。
「まぁ、ひとりで担当していたわけではないんだけどね・・・」
 そしてハッと我に返り、いきなり怒鳴り散らし始めた。
「きっさまぁ、俺の質問に答えろ!名を名乗れぇ・・」
 警察官の怒声が尻すぼみになっていく。
 残念だ。また聴覚が失われていく。
 しかし、聴覚はどうせまた戻る。そしたらこの人とまた会話ができる。署内にはほかにも性処理用の女性警察官がいるみたいだからそのことについて尋ねようかな?かつ丼は毎日食べられるのかな?天丼に変更できるのかな?この人の持ってる拳銃を見せてくれないかな?部屋の隅っこのちっちゃい机に腰掛けている若い男性警察官とも仲良くなれるかな?
 私はそんなことを考えている。短時間だが、久しぶりに人間とまともな対話をした気がする。気がするというか、少なくとも2年以上はだれとも話をしていない。
 それでも別に不都合はなかったんだけど、時々あんなふうに。

もうだめだ。

という気持ちが湧き上がって来てしまっていたのだ、そんなときは必ず聴覚が消えた、
今も聴覚は消えているけれど、

もうだめだ。

という気持ちは湧かない。いずれこの人たちと交わす事になるだろう会話が楽しみでならない。
 撃たれて逮捕されて取り調べを受けているうちにだんだんと人間としての蘇りを感じる。ここで更生して社会復帰しよう。
 先程から口をパクパクさせて唾を飛ばして叫んでいた中年警察官の声がほんの一言だけ聴こえ、また感覚が閉じた。
「てめぇ、このままだと死刑だからな!俺が死刑にしてやる!」
かなり興奮してるんだな、この人。隅っこの小さい机に座ってたあの若い警察官が懸命に制止を試みている。
 聴覚が戻ったら今度は死刑について話をしよう。
 会話はいい。生きる活力になる。死刑についての会話が私の社会的復活への第一歩となるだろう。

 あの女性警察官は元気だろうか?面会に来てくれればいいのに。

(了)

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