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【エッセイ】意味とか価値とか(番外編)#価値観?


前回


  あい。
  前回完結したエッセイを引っ張り出しておりますが、短文です。
  今度こそ終了。

価値観?

「価値観は人それぞれだからさぁ」

「これがアタシの価値観だからさぁ」

「あなたとは価値観が違うからさぁ」

 さぁさぁさぁさぁ鬱陶しいんだよその口調やめろ。

 いや、上記のようなセリフを常日頃事あるごとに言う女性が、かつて私の身近にいて私は、まず、このさぁが気に入らなかった。
 本題とはまるで無関係の彼女の口調についての話になってまた横道にそれまくって文章が長くなるのを避けるために、私は気に入らないこの口調の件に関しては今回、書かないことにする。
 指がムズムズするが、脇においておくとするムズムズ。

 ムズムズしながら話を本題に戻すとそれは「価値観」。というよりは価値「観」。
 他の人がどうかは知らないが、この女性がこの言葉を使う時というのは、たいていの場合、相手の意見が正論で彼女の意見が第三者の目から見ても捻くれた考えと受け取れる時で、要するにある物、ある者、ある事象の価値を彼女が著しく誤解しているしその事には話の経緯から自身も気づいているのだけど、それでもそれを認めたくない、自分の過ちを認めたくない、意地を張るための手段として使っている場合が多かった。

 あまり、メディアの流行に乗りたくはないのだがそれは。

「あなたの感想ですよね」

言い換えれば

「あなたの観想ですよね」

ということである。

 無闇矢鱈に、人と意見が違うということを「価値観の相違」で片付けるものではない。
 それではちゃんとした議論が成り立たない。

 はっきり言っておく。

 あなたの感想なんか知ったこっちゃない。

 あなたの観想で物事の本質は絶対に変化しない。

 価値「観」とやらは人それぞれなのかもしれないが、本質的な「価値」そのものは絶対不変である。

 あえて嫌な例を出すが、命の価値「観」は変わってしまう。
今現在、戦場にある人の命を観る時、敵勢力の兵士の持つ「価値観」と、その人の恋人の持つ「価値観」、さらに言えば本人の持つ「価値観」のそれぞれには大きな隔たりがあるだろうしかし、その人の命の「価値」そのものは誰がなんと言おうと絶対不変である。

 命だけではなく森羅万象全てに於いて本質的な「価値」は不変なのだ。

 「価値観」という言葉を使う時、まずそのものの本質的な「価値」を理解しているかどうかを自己評価し、理解ができていないまたは興味がないのであればもちろん、無理に知る必要はない。
 絵画に興味が無い者には世間で言われるどんな名画も無価値なのだ。
 音楽に興味のない者には世間で言われるどんな名曲も無価値なのだ。
 その判断のどこにも間違いはないし、世間的なその価値を理解できないことは決して恥ずべきことではない。

 ただひとつだけ。
 興味がない、理解できない、それならばわかったような顔をして強引にその「価値観の違い」とやらを押し付けるのではなく、ただ口を閉じておけ。
 「価値観の違い」とやらに逃げるな。
 そうすることによってあなたの価値観というものは初めて、あなたの意思表示としてきっと正当に評価されることになる。

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