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【小説】愚。#4

前回

贋造と社会

 社食というのは騒がしい場所だ、
 社食。正確には社員食堂。安価なメシ喰える場所。
 安価なので品質等に関しては基本的に文句をつける気もない贋蔵はいつもどおり、壁に貼り付けてあるメニュー表を雑に眺めた。

 やかましさ。

 昼休みくらい静かにのんびりと優雅に過ごしたいものだという労働者のささやかな希望を打ち砕くほどにやかましい。
 なんでこんなにうるさく感じるのか?騒々しさの根源はなにか?そう、それは言うまでもなく。
 今まさに贋造が最後尾に並んだ麺類の列であるちなみに、本日は蕎麦と饂飩の日。

 社食とは言え一応食堂だから昼は混雑し、食堂の従業員は多忙である。
 横一列にカウンターがあって定食、丼もの、カレーライス、麺類という区分けがされ、食料を求める労働者はそれぞれの前に列を作ってダラダラと並ぶこととなり、その列ごとに食料が配給されて彼らはそれを喰うのである、
 勝手にサーバーからお茶を汲んで。
 それらをひとつのお盆に乗せて。
 テーブルについて。
 喰うのであるそして、食い終わったら一服してまた労働。
 そういうわけで喰う側は喰っておしまいだから特段言うべきことはない。 
 みんな同じようなものである。

 では給仕する側はどうか。
 昼に混雑するのは、こういう業種の宿命のようなもので、逆に言うとここで混雑するからこそ食堂の従業員は給金をもらって生活できるのである。
 だが、食堂の従業員とは言ってもそこは人間、忙しいとイライラするわけで、次第にストレスが過剰になり煮えたぎるカレーを客の頭にぶちまけて暴れたいという衝動に駆られる事は日常的にあるしかし、それをしたら何もかもお終いであってお終いにならないように工夫がされている。

 定食は事前におかずとご飯を多数準備しておいて、売れた分を補充するシステムが構築されているので一見、それほどあくせく働いているようには見えない。

 丼ものもだいたい同様。

 カレーライスはさすがに予備をよそっておくというわけにはいかないのだが、ライスだけは準備してあって、基本的にそこにカレーを流すだけなので、担当者はわりと悠然と構えている。

 問題は麺類。
 麺類というのはその性質上、事前準備というわけには行かない。だってのびちゃうじゃないだから、麺茹で用の沸騰した湯の中に、ほんの数食分だけ麺を茹でておき、オーダーを受けてから湯切りをして丼に入れ、各種トッピングをしてカウンターに供給しなければならず、他分野の担当者とはレベチの多忙さである。
 しかも、ラーメンはスープと具が違うだけで麺は同じだからまだ良いのだが、蕎麦・饂飩となると随意に注文をし腐る客どもに合わせてこの2種を振り分けなければならない上に「かけ」「きつね」「かき揚げ」「イカ天」「山菜」「カレー」等、多種に渡り、アホの客どもが次々に唱えるその呪文のようなオーダーを順番通りに数件は記憶しておかねばならず、ここは体力・気力・記憶力のどれもが衰えていない若者に任せたいところなのだけれども残念、好き好んでそれ以上発展性もなく低賃金の社員食堂従業員を職業に選ぶ若者は滅多におらず従って、どいつもこいつもジジイとババアである。
 人の気持なんか考える感性を持たない肉体労働者はそのジジババに対して無慈悲なオーダーを投げ、ジジババはただひたすらオロオロし給仕は遅延、蕎麦・饂飩のカウンター前は長蛇の列ができているというのが日常的な風景である。
 その業務遅滞が問題視されたのかどうか知らないが食堂経営者はこれを改善、麺類担当者を1人から2人に増員しまた、作業の遅滞に拠る渋滞の緩和を目的として「蕎麦」と「饂飩」の列を分割したのである。
 そんな優秀な経営者の采配によって作業の遅延は解消され、麺類の行列も緩和された。

 ということは全く無く、むしろ悪化してしまったのである。
 麺茹で担当者はひたすら麺を茹で、オーダーに沿って丼に麺を落とす。
 給仕担当者は、蕎麦と饂飩の列に並ぶ客から交互にオーダーを受けてそれを麺茹で担当に伝え、丼に落とされた麺にトッピングをし、カウンターに置く。
 しかし。
 給仕担当者は蕎麦と饂飩を交互にオーダーを受けてはいるのだが、それが長時間に渡ると次第に意識が混濁してきて自分がどんなオーダーを受けたのかわからなくなってしまい、丼を手に持ったまま暫し記憶を探り漸く完成させて客の前に置いた商品を「違うよ」と客から突っ返されるという不始末が多発、こうなると麺茹で係の方も計画が台無しになってしまい、それ以後、蕎麦と饂飩の予備のバランスは完全に崩れ、その日1日の作業リズムが狂ってしまうのでついに、給仕担当が受ける前に客に対して「次のお客さんのご注文は?」と厨房の奥から大声で怒鳴るようになる。
 すると客の方もその怒鳴り声にムカついてやや強めに「山菜蕎麦!」と怒鳴り返す、そのやり取りを最初はおどおどと眺めていた給仕係も徐々にこの険悪な空気に当てられてイライラが募り、次の客を指さして「次!」と軍隊式命令口調になって要するにこの麺類の列、これがこの社食のやかましさの原因なのである。
 あぁうるせぇ。

「おい、客に向かって『次っ!』て言い方があるか、刑務所じゃねぇんだから!このババァ!」
 そうその日その時、給仕係のババアに「次っ!」とオーダーを命じられたのは誰あろう贋造その人であった。
 しばらくはババアと贋造の睨み合いが続いた、やがて。
 ババアはぷいっとわざとらしくそっぽを向いた。
 これではたかだか蕎麦一杯のことで激昂している愚かな男、年寄りを虐める悪党、昭和生まれの勘違い短気男、と周囲から思われるのは贋造である。
 そんな不条理があるか。
 贋蔵は興奮でチアノーゼを起こした紫の唇をワナワナと震わせつつしかし、それ以上の荒事を避けるためという大人の判断をしてババアから山菜蕎麦を受取った。
 厨房の奥では麺茹で係がニヤニヤしていた。

 そこまでの苦労をして手に入れた山菜蕎麦を盆に乗せて列から外れ目線を上げた贋蔵の前に、若者がひとり。
 無表情に贋造を見つめていた。

 それは山空であった。

(つづく)

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