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小学校の先生、教職大学院へ行く④~受験を決めるまで その1~

こんにちは!2024年あっという間に1ヶ月が終わりました。卒業式まで登校日だけていくと30日を切りました。ここからが6年生の踏ん張りどころ。なんとなく「これでいいや」になってしまうと、後々が大変なことになります。今こそ基本に忠実に。今まで積み重ねてきたことが台無しにならないように忙しい時こそ丁寧に過ごしたいものです。

3学期も残り30日弱ということは、私自身の進学も30日後に差し迫ってきました。入学手続きが終わってからはこれと言って大学院に関わることはありませんでした。いまだに「本当に学生になるんだよね」と心配になってしまいますが、きっと大丈夫です。

さて、今日は私が受験を決めるまでのマインドについてお話しようと思います。
なぜ進学を決めたのかはシリーズ1で詳しくお話しています。

コロナで途絶えた協力隊としての活動

「大学院に進もう」
コロナ騒動が無ければ思わなかったかもしれません。

5年間勤めてようやく手にした協力隊としての切符。
モンゴルで暮らした8ヶ月間は今思い返すと、夢のような時間でした。
(誤解のないように言えば、大変なことはちゃんとありましたよ)
ですが、任期1年をまるっと残して帰国になったのは、当時は仕方がないことでしたし、半年近くロクに働けずにいたので、久しぶりの仕事復帰は本当に楽しかったのです。(おかえりと迎えてくれた子供や先生方に感謝です)

ですがやはり心の中にずっと居座っていた感情もありました。
「なにも、やってないまま帰ってきてしまった」
任地の先生方にも子供たちには私が当時伝えられることはやってきたつもりでした。でもあくまで「つもり」です。帰国して、何度か協力隊時代のことを話す機会に恵まれつつも、「正直、私がしたかったことの半分もできていない」と悔しさの方が大きくなっていったのでした。

このまま普通の教員として生きていくのは違う

7年勤めた初任校を去り、異動先で前任校との様々なギャップに右往左往しつつも楽しく生活していた矢先、定年退職が引き上げになる話が会議でありました。

「え、私この生活をあと30年も続けていくのか」と。

つまんない。

私の本音です。教員という仕事は好きです。毎日エネルギーこそいりますしが、毎日が新しく、小さな感動があります。でも何かが足りない。
そう「アップデート」が足りないんです。
どことなくやらされ感のある研修や研究。
愚痴ばかりの職場。
もっと新しいことをしようという人の少なさ。

だめだ、自分で場所を変えよう。

そう思ったとき、頭に浮かんだのが一人の先生の姿でした。
前任校で特別支援学級の担任をされていた先生。4人のお子さんをもち、特別支援をもっと学びたいと言って通信制大学院に進学したパワフルかあちゃん。

「大学院か。」

その2へ続く…

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