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万画一鉄道の夜


1 星祭り

「いいかね、今宵は星祭りの夜だ。広場からは一夜限りで番外地行きの列車が復活するそうだ。その列車はだね、伝説の鉄道と呼ばれていて……」

担任の教師・小狡井(こずるい)は延々とどうでもいい説明を続けていたが、生徒達はとにかく今夜の星祭りが待ち切れなくてそわそわしていた。

「その列車に乗る時は必ず保護者同伴で乗ること。いいかね」
小狡井先生の言葉に、ひとりの生徒が手を上げた。
「オイラ、保護者がいません。どうしたら良いですか?」
「そうだね。サネリくんは先生と一緒に来なさい。校長先生もご一緒するから安心だろう。はっはっはっ」
と小狡井は無神経に声を上げて笑った。
「ちぇっ」
サネリはちょっと詰まらなさそうに舌打ちをした。

その日の放課後、隠れ家にしている山のツリーハウスで、サネリ(実利)とパンジ(番ニ)とネルナ(練奈)の少年3人組は星祭りで遊ぶ計画を練っていた。
「でも、せっかくのお祭りが保護者同伴だなんて、全然面白くないね。しかもオイラは先生達が親代わりだなんて、嫌になるよ」
サネリは口を尖らせてそう言う。
3人の中で一番落ち着いた感じのネルナは、にっこり笑うと、
「僕たちと一緒にいればいいじゃないか」
と声を掛けた。
「レンちゃんはご両親と一緒なの? ウチは母が新しく父親になる人と来るみたいなんだ」
バンジはちょっと不服そうな顔をしてそう呟いた。
ちなみにレンちゃんとはネルナの事である。

「新しく父親になる人って誰だい?」
「なんか、どこかの社長さんらしい。けど僕は嫌なんだ」
「どうして? 社長さんならお金持ちだから、良いじゃないか」
サネリの言葉にバンジは、
「どうしても!」と強く反発して、ピシャリと言った。

「わかるよ。バンちゃんは亡くなったお父さんの事がまだ忘れられないんだよね」
ネルナはバンジの言い分に理解を示した。
「まあ、今夜はそんな事は気にしないで3人で遊び回ろうよ」
サネリは今夜の星祭り、そして番外地行きの鉄道列車を楽しみにしていた。


一方、学校では担任の小狡井と校長の大手柄(おおてがら)が向かい合って話し込んでいた。
「実はウチのクラスのサネリの事なんですが……」
「おお、あの子がどうかしたかね?」
「あまり良くない噂を耳にしまして」
「何だね、良くない噂というのは?」
「ええ、もともと、あまり素行が良くない生徒だとは聞いてまして、度々、問題を起こす様なんです」
「ふ〜む、たとえばどんな?」
「盗んだバイクで走り回ったり」
「何だと! それから?」
「夜の校舎、窓ガラス壊して回ったりとか……」
「そんな事をするのかね。そりゃいかんな」
「それで先日も呼び出して話をしてみたのですが……」
「ふむふむ、それで?」
「何を訊いても、うっせー、うっせーと繰り返すばかりでして」
「何ぃ? それは困った子だなぁ」
「そんなにキレてばかりいると体に悪いぞって言ってやったんです」
「ふむ、そしたら?」
「あなたが思うより健康です、とこう言うのです」
「う、うん、まあそれはそれで良いけど……」
「今夜、星祭りとか番外地行き列車などがあるでしょう」
「おお、そうだなあ」
「何も問題を起こさなければ良いのですけど」
「うむ、それはそうだ」
「しっかり見張るつもりではいますが、もし何か問題でも起こしたら……」
「そうだな。何かしらの罰を与えねばならない」
「最悪、退学なんて事もあり得るのでしょうか?」
小狡井の言葉に大手柄校長は、難しい顔をして、
「とにかく理事会を開いて処分を検討しなくてはならん」と答えた。


2 お祭り広場

一方こちらは、お馴染みの2人。
「万画一さん、よく来てくれましたね」
小泥木(こどろき)警部は満面の笑みで万画一道寸(まんがいちどうすん)探偵を迎えた。
もっとも、今夜は特に事件があったという訳では無い。
ここはすでに人で賑わっている星祭り広場の一角である。
「警部さん、お誘いありがとうございます」
「いやいや、今夜は私も非番でね。家族と一緒に星祭りに出向いてみたのだよ」
「ご家族でお祭りだなんて良いですね。羨ましいです」
万画一はニコニコして警部の奥さん(景子)とまだ小さいお子さん(桃樹)に挨拶した。
「運良く番外地行きの特別列車のチケットが4人分手に入りましたのでね、これまでのお礼方々万画一さんをご招待しようと思い立った訳です」
「それは、それは、ありがたい。楽しみです」
「さ、今夜は事件の事など忘れて、ゆっくりと楽しみましょう」
そう言って、小泥木警部一家と万画一探偵はお祭りの人波に身を任せて、ぶらぶらと広場の中をそぞろ歩いた。


バンジは母親と、新しく父親になろうという社長さんと一緒にお祭り広場に到着した。
道中で盛んに社長から話しかけられはしたもののバンジはそれらにいつも素っ気ない返事を返した。
そんな態度を見て母親は恐縮した様に、
「もう、この子ったら、ちっとも愛想が無くって、ほんとすみません」とひたすら謝った。
「いやいや、この年齢の子供は誰でもそんなもんですよ。私は気にしませんよ」
と社長は鷹揚に笑ってみせた。
バンジはそんなやり取りを聞いてもプイッと横を向いて見せるのだった。
「それにしてもバンジくん、やけに大きなバッグを提げてるね。それは何?」
そう尋ねられても何も言わないバンジに代わって母親が答えた。
「いえね、帰りに牛乳屋さんに寄って、牛乳を受け取りに行くんだって聞かないんですよ。今朝届かなかったものですから」
「ああ、そうなんだ。牛乳は育ち盛りの子供にとっても良いからね、そうするといいよ」
社長はバンジにそう伝えた。
それでも、バンジはフンッと横を向いたきり口を開こうとしなかった。


広場に到着すると、すでにネルナとサネリは先に来ていて、バンジが来るのを待ち構えていた。
広場のあちこちでは様々な出し物やショーが始まっており、屋台の出店が立ち並び、賑やかに人々が往来している。
軽快な音楽が流れ、キラキラした電飾の看板が夏の夕空を彩り、甘い香りやとうもろこしの焼ける匂いが立ち込め、嫌でも子供達の気持ちを浮き足立たせている。

お祭り広場を一回りした頃、
「烏瓜(からすうり)を流しに行こう」
サネリがそう呼び掛けた。
近くを流れる川に燈火をつけた烏瓜を流す、そんな季節の行事がある。
暮れ行く夏の空の下を青い灯の烏瓜がゆらゆらと流れて行く。その様子はとても幻想的でうっとりとするのだ。
3人が川の方に向かって歩きかけるのをバンジの母親が呼び止めた。
「バンジ、ちょっと来なさい」
「えっ、これから烏瓜を流しに行くんだよ」
「それは後にして、レストランの予約をしたから、一緒に来なさい。大事な話もあるから」
「えー、やだよ」
バンジはぐずったが、今回ばかりは母親は引き下がらなかった。
仕方なくバンジはサネリ達にこう言った。
「それじゃ、僕、後から行くから、先に行ってて」
「うん、分かった。じゃ、後で」
と、サネリとネルナは2人して川に降りて行った。
そうして、バンジは母親に連れられてレストランへ向かった。

レストランは思ったより広く、こんな豪華な場所に来るのはバンジにとって初めての事だった。
そこは社長が予約してくれたお店で、慣れない場所で大きなテーブルに並んだフォークやナイフを見詰めてバンジも母親も緊張していた。
「硬くならなくて良いよ」
社長さんは優しく声を掛けてくれるのだったが、そう言われれば言われるほど、バンジは硬くなるのであった。

やがて、スープやサラダから始まり、バンジが見た事もない様な料理の数々が次から次へと並べられて行った。
お肉の味もお魚の味もバンジにはよく分からなかったが、最後に出されたデザートのケーキだけは甘くてとても美味しかった。
食事の間中、社長はいろんな話を聞かせてくれたが、どれもバンジの耳には残らなかった。ただ、右から左に流れて行った。
バンジにとってはそんな事より、烏瓜流しの方が気掛かりだった。
最後のジュースを飲む頃になってようやく、社長は本題に入った。
「バンジくん。君さえ良ければ、私は君のお母さんと結婚しようと思っているんだ。どうかな?」
バンジは何も答えられなかった。
それきり、ずっと俯いたままで、何も言葉が出て来なくなり、母親と社長を困らせた。
「まあ、今日のところは、これでよしとしよう。さあ行こうか。そろそろ列車の出発する時間だよ」
その時になって、ようやくバンジは「あっ」と思い出した。
烏瓜流しが終わってしまった。


3 番外地鉄道

出発のホームでは、すでに小泥木警部一家と万画一探偵が今や遅しと列車を待ち構えていた。
「この鉄道路線は伝説の鉄道と呼ばれていましてな」
小泥木警部は小耳に挟んだ豆知識を自慢気に披露する。
「その昔は1番地から10番地まで毎日何往復も走っていたそうですよ」
「へぇ、そうなんですか」
「一番隆盛を極めた頃は番外地まで線路を延ばして、番外地鉄道などと呼ばれていたそうですよ」
「番外地には何かあったのですか?」
「昔は炭鉱があったそうです。今は刑務所だけになってしまいましたが」
「そうですか。今はもう鉄道そのものが走ってないのですね」
「はい、残念な事に、列車を利用する人が居なくなってしまいまして」
「そうでしたか」
万画一は警部の話に神妙に頷いた。

「けれど、当時の人気は凄いもので、今でも幻の鉄道と呼ばれ、こういうお祭りの時に特別列車を走らせるんだそうです」
「なるほど、なるほど」
万画一は嬉しそうに頭の上の雀の巣をモジャモジャと掻き回した。
「特別列車ですから、ここは0番地駅ですが、ここをスタートして10番地の向こう、番外地駅まで行って、また戻って来るらしいです」
「なるほど、番外地駅というのは随分遠い所なんですか?」
「いや、時計の針の様にぐるりと一周するので、番外地駅に到着するまでは45分位掛かるらしいんですけど、帰りは15分程で戻って来れるらしいです」
「あ、そういう訳ですか」
「番外地駅に着くまではトンネル有り、鉄橋有りで、景色も良いらしいですよ」
「そりゃあ、楽しみですね」
「ライトアップされてますから、暗くなっても心配要りません。ゆっくりと寛ぎましょう。駅弁も買いましたし、いろいろと飲み物も買い揃えておきましたから」
「あぁ、そりゃ良いですねぇ、ありがとうございます。警部さん」
「いや、今日は警部さんはよしてくださいよ」
「あ、そうですね、分かりました。小泥木さん、あっはっは」
「そうです、そうです。その調子で、あっはっは」
と2人とも上機嫌であった。


その頃、サネリ達の担任小狡井と大手柄校長も駅のホームに姿を現していた。
「お、やって来たみたいです」
「サネリくんかね」
「はい、サネリくんとネルナくんです。あ、後ろからバンジくんもやって来ました」
「2人とも保護者と一緒なのかね?」
「その様ですね。あ、あの方は徐(じょ)さんの新しいご主人ですね」
「ほう、なかなか立派な方じゃないか」
「確か、どこかの会社の社長さんだと聞きました」
「そうかね、それは安心だ」
「保護者がいないのはサネリくんだけです」
「どうして保護者が居ないんだね?」
「元々片親なんですが、今は入院中らしくて」
「そうか、それじゃ、彼を私達と同じ座席に座らせよう」
「分かりました。そう致します」
小狡井はサネリに手を上げて合図を送った。

サネリは渋々な顔をして近寄って来ると、小狡井と校長に頭を下げた。
ネルナとバンジもやって来た。
バンジはネルナを見るなりびっくりした。
「どうしたの? レンちゃん、全身がびっしょり水浸しじゃないか?」
「ネルナは川に落ちたんだよ」
サネリが答えた
小狡井が目ざとくその言葉を聞いて、口を挟んだ。
「何があったんだね?」
「いや、オイラが流した烏瓜の火がすぐに消えてしまったので、それを取ろうとして、バランスを崩したんです。それをネルナくんが支えようとして、オイラの代わりに川に落ちてしまったんです」
「何? 突き飛ばしたのかね?」
「いいえ、何もそんな事はしてません!」
「ふーん、大丈夫かね、神波(かんぱ)くん」
ネルナは黙って頷いた。
ちなみに、神波とはネルナの苗字であり、
バンジの苗字は徐という。


列車がやって来た。
詰め掛けた人々から歓声が上がる。
どこかで何発か花火の音がした。
列車は思っていたより大きくて立派だった。
その豪華で凛とした佇まいに、万画一は深い感銘を覚えた。
小泥木警部の案内で万画一も車輌に乗り込み、座席に腰を落ち着かせる。
「何だかワクワクしますね」
自然と顔が少年の様に綻んだ。
やがて列車が動き出すと、空に一番星が見え始め、まるでそれに向かって走って行くかの様に思われた。

大手柄校長と担任の小狡井に囲まれてサネリは最初の頃こそ小さくなっていたのだが、バンジもネルナも案外近くに座っていたのに気が付いて、次第にリラックスしていった。
そして途中からは許可を貰って席を代わり、3人で向き合う形で腰掛けた。
万画一探偵と小泥木警部一家も同じ車輌に乗り合わせていた。

列車は軽快に走り続け、山の木々の間を縫う様に進んだ。
万画一と小泥木一家は駅弁を食べながら黄昏行く窓の外の風景を堪能していた。
各車輌の室内には液晶モニターが取り付けられ、周りの風景や観光スポットを映し出して解説の音声が繰り返し流されていた。

暫くするとサネリ達3人は食堂車に行って来ても良いかと校長と担任に許可を貰いに来た。
「レモネードやソーダ水を飲むだけですから。それに食堂車の様子はモニターに映し出されているので、ご安心ください」
見ると確かに液晶モニターには食堂車の現在の様子が映し出されていた。
「そうか、まあ良いだろう。行っておいで」
大手柄校長はそう答えた。
「ありがとうございます」
3人は嬉々として食堂車に向かって行った。
さて、この列車は5両編成で成り立っており、サネリや万画一が乗り合わせたのは最後部の5号車である。
食堂車は前から2番目の車輌に設けてあった。
1号車は運転席と機械室になっており、後部にデッキがあるだけで乗客は乗っていない。
3号車から5号車までが一般の車輌になっていて、それぞれに乗客が乗り合わせている。
しかし、その他の乗客はこの物語には無関係であるため、不必要な描写は割愛させて頂く。

食堂車にやって来たサネリとバンジとネルナはそれぞれレモネード、ソーダ水、カルピスをセルフでカップに注いで座席に腰掛けた。
食堂車はまるで水族館の水槽の中にいる様な装飾が施されていた。魚やイルカ、エイやタコの作り物が天井から吊るされ、壁には海草や珊瑚礁などの模様が描かれていて、隅の方には潜水夫の人形まで飾り付けてあった。
「面白いね、ここ」
バンジは笑顔を見せた。
ソーダ水はとても美味しかった。

その様子はモニターに映し出され、5号車にいる小狡井達にもその姿が確認出来た。
列車は各駅に近付くと少しスピードは緩めるものの停車はせず、次々と走り抜けて行く。
そして、6番地の駅舎を過ぎた頃にトンネルに入った。
その途端、車輌内外の電気が全て消灯し、辺りは停電でもしたかの様に真っ暗になってしまった。
乗客は驚き、女性や子供達の悲鳴もあちこちで響き渡った。
何か異変でもあったのだろうか?
もちろんモニター画面も一時消えてしまっていた。
時間にして3分から5分くらいだっただろうか。
程なくして照明は元通り復旧し、やがてトンネルをも抜け出した。
「おい、大丈夫だったか?」
小泥木警部はあたりに目を配し、全員の無事を確かめた。
幸い景子夫人も幼い桃樹くんも何事もなく元の席に座っている。
「おや? 万画一さんがいないぞ、どうした?」
「お手洗いに行くと言って先程、停電の前に前の車輌へ出て行きましたよ」
景子夫人の言葉に、
「ああ、そうだったな、では便所に入ってる最中に停電に遭ったかも知れんな。それは気の毒な」
と言いながら小泥木はニヤッと笑ってしまった。
しかし、次の瞬間、小泥木の顔から突然笑顔は消えた。


4 事件発生 万画一死す?

液晶モニターに、覆面を被った黒いマント姿の不気味な男の姿が映し出され、気持ちの悪い笑い声を響かせたのだ。
「何だ? あれは」
小泥木は画面を見つめた。
すると覆面男が一人の子供を羽交い締めにし、こう言った。
「この列車を乗っ取った。全員その場を動くな。3人の少年を人質に取っている」
そう言いながら、片手に持ったピストルを少年の頭に押し付けた。
それを見ていた乗客達からキャーという悲鳴が起こった。
一時、客室が騒然となる。
小泥木警部は立ち上がり、
「皆さん、落ち着いてください。列車は走り続けています。そのまま安全に座っていてください」
と声を張り上げてその場を静めた。
「あ、あれはネルナくんではないですか?」
小狡井が大手柄校長に伝えた。
「何? そうすると3人の少年というのは、あの子達の事かね?」
「たぶん、そうでしょう。あれは食堂車の様ですから」
それを耳にした小泥木警部は、
「あの子達とは? 誰なんです?」
と小狡井に尋ねた。
「ウチの学校の生徒です。私は担任でこちらが校長です」
「そうか、それが、どうしてこんな事に巻き込まれてしまったのだろう?」
「あの子達は食堂車にジュースを飲みに行ってただけなんです」
「そうでしたか、しかし、あの覆面男は誰なんだろう。一体何の目的で……、ちょっと私が食堂車の方へ行ってみます」
と言い小泥木警部は車輌の前の方まで来てみたが、
ドアが開かない。
「だめだ。ロックが掛かっている。どうやら我々は閉じ込められた様だ」
小泥木警部はドアの上のモニターに向かって、
「おい、何のために列車を乗っ取ったんだ。それから、絶対子供達に危害を加えるな」
と叫んでみた。
こちらの声が相手に届くかどうかは分からなかったが、呼び掛けずにはいられなかった。
液晶モニターの画面が一度暗くなって、すぐにまた点いた。
今度は別の少年を羽交い締めにして、同じ様にピストルを突き付けている。
「あ、今度はバンジくんです」
小狡井が叫んだ。
「あぁ、あれは私の子供です」
と泣き叫ぶ様に女性が取り乱した。
「大丈夫。落ち着いて。私が掛けあって来ますから、どうか落ち着いて」
社長はそう言い、バンジの母親を座席に座らせた。
大手柄校長も立ち上がって、バンジの母親を落ち着かせようと、宥めにかかった。
小泥木警部の側に社長が近寄って来て尋ねた。
「あの、あなたは?」
「ああ、安心してください。私は警視庁の小泥木警部です」
「警部さんでしたか、それは失礼しました。でもそれは心強い。あの、私は、今人質に取られている子供の父親になる予定の陳(ちん)と申します」
「そうですか、ご心配は分かりますが、ここは私に任せてください」
その時、モニターから覆面男の声が聞こえて来た。
「この子供達の関係者! この子達を助けて欲しければ、誰か身代わりを申し出てみろ。その代わり命の保証は無いものと思え! 但し、母親はダメだ」
そう言うと、プツリと画面は消えてしまった。


「私が身代わりになります」
真っ先に申し出たのは陳社長であった。
「気持ちは分かります。だが、警察の者として、一般の方を危険に晒す訳にはいかない」
小泥木警部はそう呟いたが、
「では、どうするんです? 身代わりを出さなければバンジは一体どうなるんですか?」
言い寄る陳社長の勢いに、警部もタジタジとなった。
「何とか説得してみたいと思います」
とは言ったものの、良い方法はすぐには思いつかない。
「私も身代わりになります」
担任の小狡井が立ち上がり、そう申し出た。
「良いのかい?」
大手柄校長はびっくりした様に小狡井を見た。
「ええ、やむを得ません」
「そうか、よろしく頼むよ」
校長は座席に腰を降ろし、額の汗を拭き取ると、背広の内側から扇子を取り出しパタパタと扇いで、澄ました顔をした。

「あっ! あそこを見ろ!」
モニターが再び点くのを待っていたら誰かが窓の外を指差して叫び声を上げた。
皆が一斉に窓から外を見ようとする。
「前の車輌だ。あの先頭車輌の後ろ、デッキに誰かいるぞ!」
「何?」
小泥木警部も慌てて窓から外を覗き込もうとする。
嵌め込みガラスなので外には顔を出せない。
だが、線路が上手い具合にカーブに差し掛かっており、前の車輌が丁度よく見える。
すると、先頭車輌の後部にあるデッキの部分で、人が2人、争っている様だ。
「あ、あれは、覆面男だ」
そうだ。覆面男がマントを翻しながら、誰かと取っ組み合いをしている。
その相手の後ろ姿に、小泥木警部は
「あ、あれは万画一さんじゃないか!」
と叫んだ。
後ろ姿になって顔は見えないが、いつものお釜帽とセルの合わせと袴姿なので、そんな格好をしているのは万画一探偵に他ならない。
万画一と覆面男はデッキの中で組んず解れつの闘いの真っ最中だ。デッキの上に照明器具が取り付けられているので、その明かりの下、2人の争う様子がよく見える。
「うっぐぐぐぅ〜」
小泥木は車輌に閉じ込められているので助けに行ってやれない事に地団駄を踏んだ。
やがて列車は鉄橋に差し掛かろうとしていた。
鉄橋の下は深い渓谷になっている。
あそこに落ちてしまったら大変な事になる。
「万画一さぁん!」
小泥木は必死の形相で叫んだが、その声は前の車輌まで届くはずは無かった。
得てしてこういう時は、悪い予感が当たるものだ。
覆面男に比べて小柄な万画一は身体を持ち上げられて、デッキの手摺りから投げ落とされてしまったのだ。
まさにそこは鉄橋に差し掛かった場所であり、その下にはゴツゴツした岩肌に囲まれた渓谷の激流がゴーゴーと音を立てて流れている。

「あぁ〜、万画一さぁん!!!」
警部の願いも虚しく、万画一の身体はその渓谷の底に向かってひらひらと風に舞う木の葉の様に落ちて行くのであった。
それを目撃した者達は声も無く、ただそれを見守るしかなかった。
5号車も鉄橋に差し掛かった。
車輌の窓から遥か下を見降ろすと、万画一探偵の姿が見え隠れしながら、渓谷の激流に飲み込まれて行くのであった。


interlude

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5 ネタバラシ

列車は尚も走り続けていた。
車輌内に言い様の無い静けさが流れた。
楽しいお祭りの気分がいっぺんに様変わりし、お通夜の晩みたいになってしまった。
「沈んでる場合じゃない。早く子供達を助け出さないと」
そう叫んだのは陳社長だった。
「そうだ。あの子達を無事に救出するのが最優先だ」
担任の小狡井も同意して声を上げる。
「分かりました。では、人質の身代わりに私と陳社長と小狡井先生、3人で参りましょう」
小泥木警部は再び液晶モニターの前へと移動した。
「おい、聞こえるか? 人質の交換に応じる。応答せよ!」
と、何度かドアを叩いた。
プチッ、ガーガーと音がして、
不意に液晶モニターの画面が映し出される。
覆面男が1人でそこに立っていた。
「もう一度聞こう。少年達の身代わりとして、命を差し出そうとする勇気ある大人はいたのかね?」
覆面男は不敵に笑い声を上げ、不気味な声でそう言い放った。先程よりも更に野太い声になっている。
それに小泥木警部が答える。
「決まったよ。私、小泥木警部とその子達の担任教師の小狡井先生、それから生徒の親になる陳社長さんだ。これでどうだ?」
それを聞いて覆面男は、暫く腕組みをしたり、あちこち歩き回っては、どうしたものかと時間を稼いでいる。
そして、とうとう何かを決心したのか、モニター画面の方に真っ直ぐ顔を向けた。
そして、突然、大声で笑い始めた。
「あっはっは、あっはっは」
と何度も愉快そうに身体を揺らせて笑い転げる。
「な、なんだ、何がおかしい?」

そこへ番外地駅への到着のアナウンスが流れる。
「番外地駅、番外地駅〜、当列車はこの駅で10分間停車致します」とテープの音声が流れて列車は番外地駅のホームに停まり、5号車以外の他の車輌からは人々がホームに降り立って、伸びをしたり、売店で買物をしたり、にこやかに歩いては立ち話を始めた。
「お、おい、人がホームに出ているぞ」
大手柄校長がそれを見て叫んだ。
「どうなってんだ?」

「警部さん、それから5号車の皆さん、お騒がせしました! それでは、ネタバラシです」

液晶モニターの中の覆面男が突然そう言うとおもむろに覆面を脱いでいった。

「あぁ〜」

その覆面の中から現れたのは……

その覆面の中から現れたのは……

その覆面の中から現れたのは……

その覆面の中から……

「くどいわ、早よせえや!!」
小泥木警部が、おいでやす小田並みの絶叫ツッコミをぶちかました。


な、な、なんと、覆面の中から現れたのは、
万画一道寸、その人であった。

「ま、万画一さん!?」
小泥木警部は唖然として、その名前を口にした。

そして、万画一は背中からプラカードみたいなものを取り出した。
そこにはなんと、『ドッキリ大成功!!』の文字が書かれてあった。

ああああぁぁ〜
へなへなと小泥木警部はその場に崩れ落ちた。
と、同時に、ドアが開き、サネリ達3人の少年がおずおずと5号車の室内へ戻って来た。
「おぉ、君達! 無事だったか!」
陳社長が声を上げた。
「良かった。良かった。心配したぞ〜」
と担任の小狡井もサネリを抱き締めた。
大手柄校長はそれがさも自分の手柄かの如く、ニンマリと微笑み頷いた。
少し遅れて、その後ろから、
「どうも、すみません」
とひょっこり、万画一も顔を出した。
黒いマントに身を包んでいる。

それを見て、小泥木警部は、
「万画一さん! これは一体何のマネなんです?」と、今にも目玉が飛び出さんばかりの顔をして、詰め寄った。
万画一は照れた様に頭を掻きながら、
「いやぁ、あのぉ、単なるアトラクションと言いますか、余興ですよ。余興」と笑ってみせた。
「ええ? 何ですか、人騒がせにも程がある。これはちょっと問題ですな。やり過ぎですよ。後で本庁まで来て貰いましょう」
と警部は怒りが収まらずカンカンである。
万画一は苦笑いしながらも、すみませんすみませんと恐縮しきりであった。

「しかし、さっき鉄橋から落ちて行ったのは万画一さん、あなたじゃなかったのですか?」
座席に座り直し、呼吸を整えながら、警部は質問した。
「ああ、あれは、僕の服を着せたお人形ですよ」
「ええ? そんなものが、どこに隠してあったんですか?」
「食堂車に飾ってあった潜水夫なんです。ハリボテです。すごく軽い物で、なに心配は要りません、後でちゃんと回収に行きますよ。あそこの流れは大体みんな浜辺に行き着くんで」
「では、あの時の覆面男があなたで、演技をしていたんですな。すっかり騙されましたよ。いや、全く驚きです。言葉になりません」
小泥木警部は冷や汗を拭きながら、奥さんと子供の方を見た。2人とも何にも知らずに幸福そうな顔をして居眠りしていた。
「他の車輌の人達はドッキリと知っていたのですか?」
「ええ、そうなんです。こちらのモニターを消している間に、これはドッキリです。とご案内したのです」
「こんなマントまで用意してるとは知らなかったですよ。あ、あのピストルはどうしたんですか?」
「あ、これですね」
万画一はマントの懐からピストルを取り出した。
「水鉄砲ですよ。お祭り広場の屋台で売っています」
そう言うと万画一はピューっと窓ガラスに水を吹き付けて笑った。
「万画一さん、あんた本当に悪ふざけが好きですな。ちょっとはこっちの身にもなってくださいよ」
と、最後にはとうとう警部までバカバカしくなって、苦笑いをするしかなかった。


6 祭りのフィナーレ

ホームに出ていた人達も再び客室に戻って、笛の音が鳴り響き出発の合図が流れた。
ゴトリゴトリと何事も無かった様に列車はまた走り出した。
周りの様子を伺ってみると、サネリも担任と校長と和やかに過ごし、陳社長一家も楽しそうに会話を交わしている。
まあ、大事に至らなかったので、これで良かったのかと、小泥木警部も胸を撫で下ろした。

言っていた通り、番外地からの帰りはあっと言う間に元のお祭り広場のある駅に戻った。

列車を降り立ってみると、もうすっかり暗くなって夜空には沢山の夏の星座が見えた。
駅を出たところで万画一は振り向いてもう一度列車に眼をやった。その眼は若干哀愁を帯びて光っていた。

「小泥木さん、ついでだから、もうひとつ種明かしをしておきましょう」
「何ですか? 万画一さん、もう何を聞いても驚きませんよ」
「この鉄道ね、かつては番外地鉄道と呼ばれていたとお聞きしましたが……」
「ええ、そう言いましたな」
「正式には万画一鉄道と言うんです」
「えっ? 本当ですか?」
「はい、『ばんがいち』ではなくて、『まんがいち』なんです。僕の曽祖父が創業者でした」
「えっ、それは、知らなかった」
「だから、この列車の事も、ほんのちょっと詳しいんです」
「という事は、あなたは鉄道創業者のひ孫さんでしたか! それならそうと早く言ってくれれば良いものを! いやぁ、万画一さんもお人が悪い」
「いや、曽祖父は曽祖父。僕は僕ですから。あっはっは」
と万画一はモジャモジャ頭を掻いて笑った。
どこかから花火の音が聞こえて来た。
祭りもフィナーレを迎えようとしている。

さて、サネリ達3人は丘の上の草原に並んで座り、夜空を彩る打ち上げ花火を見ながら、夏の夜のひとときを過ごしていた。
「バンジはやっぱりあの社長さんを父親として迎え入れる事に反対なの?」
サネリが訊いた。
「いや、反対してはいないよ。ちょっと嫌だけど」
「嫌なのかい?」
「あの人が嫌なんじゃないんだ」
「何が嫌なの?」
「だって、あの人、陳さんて言うんだよ」
「中国ではよくある苗字だよ」
「だって僕の名前が、チン・バンジになって、まるでチンパンジーみたいじゃないか!」
「それが反対してた理由か!」
「まあ、別にいいけど」
誰も笑いはしなかった。
気持ちは分かる。

「サネリはあの担任とは仲良くなれたの?」
「分からない。でも、叱られはしなかった」
「そう……それは、良かったね」
なんとなく星空を見上げた。
いくつかの星座が重なり合って、遠くの方から自分達を見守っていてくれてる様な気がした。
いろんな事があった星祭りだったが、最後はなんとなく良い形で終えられた気がする。
これで良かったんだ。
バンジは一言も喋ろうとしないネルナの事が少し気になっていたが、もう時刻も遅くなってしまった。
「そうだ。僕、牛乳を取りに行かなくちゃいけないんだ」
そう言って立ち上がった。
「そうか、じゃ、そろそろ帰ろうか」
サネリも立ち上がったが、ネルナはそのままの姿勢で眼を閉じたまま動かなかった。
サネリがそれを見て言う。
「こら、ネルナ、寝るな!」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


さて、ここでこの物語をおしまいにしてしまっても良いのですが、やはり、読者の皆さまには物事の真相をお話しておきましょう。


では、続きをご覧ください。


7 真相


次の週
学校帰りにサネリとバンジはいつものツリーハウスに立ち寄って遊んでいた。
何故かネルナはあれきり学校には姿を現さなくなっていた。
「レンちゃん、どうしちゃったんだろ?」
バンジは心配していた。
「もしかしたら、川に落ちてびしょ濡れになったから風邪でも引いたのかもしれない」
「これから家に行ってみようか?」
「そうだな、そうしよう」
と、言ったところで、下から誰かの声が聞こえた。
「おーい、君たち〜」
サネリが下を覗く。
「あ、あの人は……」
バンジも下を覗いてみた。
万画一探偵が、ニコニコ笑って、ツリーハウスを見上げていた。
「上がってもいいかい?」
サネリとバンジはコクンと頷いた。

「へぇ、ここが君達の秘密のアジトなんだね」
「アジトって訳じゃないけど、遊び場です」
「いや、いい所だよ。すごいねー、全く」
「はあ、あの」
「何だい?」
「今日いらっしゃったのは、あの事ですね」
万画一は変わらずずっとニコニコと笑ったまま、ふんふんと頷いた。

「先ずはこれを返しておくよ」
と差し出したのは、列車の中で万画一が身に纏っていた覆面と黒マントである。
「わざわざ、すみません」
バンジはそれを星祭りの時に持っていた大きめの手提げバッグにしまった。

「誤解しないで欲しいんだけど、僕は別に怒ってもいないし、あれを理由に君達をどうこうしようと思ってる訳じゃないんだよ。ただ、話を聞きたくてね」
「本当にすみませんでした!」
サネリとバンジは深々と頭を下げた。

万画一は2人の止めどない話を急かす事もなく、ただ黙って最後までゆっくりと耳を傾けた。

「なるほど、つまり、こういう事だね。サネリくんは担任の先生からあらぬ疑いをかけられて、嫌われてると思い込んでいた。
一方、バンジくんは新しく父親になろうと言う陳社長が本当に自分の事を我が子の様に考えてくれているのか、それを知りたくて、自分達が列車の立て篭もり犯人に人質に取られたという自作自演の狂言のドッキリを仕掛けて、そこでどういう行動に出るかを確かめてみたかったんだね」
「はい、その通りです」
「だけど、本物の警視庁の警部さんが乗り込んでいたと知って、引っ込みがつかなくなった、と」
「ええ」
「あっはっは、そこで、窮地に追い込まれた君達の前に颯爽とこの万画一探偵さんが現れた訳だ、あっはっは」
「そうです。そうです」
「最初の映像で覆面男に扮してたのはサネリくんだったんだね?」
「ええ、そうです」
「モニターには上半身しか映らなかったから、大人か子供か分からなかったので、僕はあの後デッキへ出て、万画一探偵と覆面男の格闘シーンを見せて覆面男が大人だと印象付けしてみたんだ。まあ、渓谷に人形を投げ落とすのは、ちょっとやり過ぎだったかも知れないけどね、あっはっは」
2人は万画一の言葉に顔を見合わせて、クスクスと微笑み合った。
「いえ、オイラは余興として、あれはすごくドキドキして、とても面白かったです」
「そうかい」
万画一は嬉しそうに笑って見せた。

「それはともかく、あのまま君達がドッキリでした、と言ったところで、多くの人を騒がせたから、学校からは何かしらの処分が下されたと思うよ。特にサネリくんは退学処分になることも充分にあり得た」
「そうなってたかも知れません」
「万画一先生のおかげで助かりました。本当にすみませんでした」
サネリもバンジも、ただひたすらに謝った。
「あっはっは、僕は大丈夫だよ。そりゃ少しは警部さんからお目玉を喰らったけど、それも今じゃ笑い話さ。それからバンジくん、陳社長さんはとっても良い人だよ。これは信用して貰って構わない。きっと君の事も大切に考えてくれてるよ」
「ありがとうございます。僕もそう思います」

万画一はパチンと手を叩き、
「さあ、この件はこれでもうおしまいだ。あれ? でも変だな。確かあの時、君達は3人組だと思ってたんだけど、僕の思い違いかな?」と言った。
「いえ、僕達はネルナを入れて3人組です。今日は休んでますが」
「あ、確かあの時、びしょ濡れに濡れていた子だね」
「はい、そうです。あの時、川に落ちて……」
サネリがそう言うと、万画一は、
「あれ? 何かあのお祭りの日、子供が烏瓜流しの最中に川に落ちて流されて、今も行方不明になってるって話を聞いたけど……」と呟いた。
「えっ、それ本当ですか?」
「いや、よくは知らないんだ。そんな噂を耳にしただけで、思い違いかも知れない」

それだけ言うと、万画一探偵はツリーハウスを降りて、ひょうひょうとどこかへ去って行った。

万画一の言葉に、サネリとバンジは急に不安を覚えて、一目散にネルナの家へと駆け出して行った。
バンジは心の中で何度も、
「レンちゃん、レンちゃん」
とその名を繰り返し唱えて、無事を祈り、いつのまにか瞳には涙が滲んでいた。


その結果……、

それは、万画一の思い違いで、ネルナは単に風邪を引いただけで、家で寝ていた。
「レンちゃん、良かった」
バンジはほっとした。
ネルナはやっと少し元気を取り戻した様子で、
「明日には、もう大丈夫だよ」とにっこりした。
それを見てサネリは、
「チキショー、やられたな。探偵さんに一杯ドッキリを仕掛けられちまったよ!」
そう言って愉快そうに笑った。


おわり

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