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ハロー・ダークネス・マイ・オールド・フレンド 1 前編

1 前編

暗闇を怖れる事はない。
暗闇は友達だから。
そう古い古い友人なのだ、


高城(たかしろ)は仄暗い壁の隙間から標的に銃口を向けた。ミスは許されない。一発で仕留める。それが暗殺者に課せられた使命だ。
男がホールに入って来る。秘書やら護衛の連中等が少なくとも10人は周りを取り囲んでいる。全員が濃紺のスーツ姿だ。
標的の男、永野は元外務大臣を務めた政界の大御所だ。今でも現役大臣を陰で操っていると噂されている。
高城が永野を狙う理由は明らかにされていないが、政治的な事ではない。それは確かだ。おそらく個人的に永野に恨みを持つ者が存在しているのだろう。
どんな理由があったとしても、それは高城には関係がない。与えられた使命を全うする事しか頭にはない。
この世界に入って5年。着実に高城は暗殺者としてその腕を上げて来た。勿論これまでに一度足りともそれに失敗した事はない。もしも失敗したらそれは自分の命を落とす時だ。

高城がこの世界に身を置くきっかけは、ある事件で死にかけて助けられた事による。
3年もの期間を得て、治療リハビリが行われ、高城は奇跡的に一命を取り留めた。
それは公的な医療機関ではない。
そちらでは高額な医療費がかかる上、高城を助けるだけの技術を持ち合わせてはいない。
高城は一度死にかけた男だ。
助けるには法的に認められていない治療法が必要だったのだ。
助けたのはある財団を営む老婦人。その名をここで口にする訳には行かない。
そもそも高城が直接会って話をしたのはこれまで、たったの二度だけだ。

秘密裏に高城は暗殺者としての訓練を受け、自身の復讐を兼ねて第一の使命を無事に終わらせた。
ある企業を代表する経営者だったが、高城はその男に家族を皆殺しにされている。高城自身もその時行方をくらまし生死不明という事になっている。
高城は暗殺者として、その経営者を自らの手で、闇に葬ってやった。

暗殺者としてその老婦人に正式に雇われてから、年に数度仕事の依頼が来る。それを伝えに来るのは山根という老婦人の秘書をしている男。
それ以外の時は、ある有名小説家のゴーストライターをしている。
その仕事の斡旋、住居、生活に関わる主だった事は全て山根の手配によって行われた。
老婦人がどこからその暗殺の依頼を請けているかは一切知らされない。
与えられた仕事に質問をしない。
それがこの仕事のルールだ。
相手の素性も普段は知らされる事はない。

だが、今回の相手は元外務大臣という肩書きもあり、山根からそのVIPである事の説明を受け、これまでになく厳重な体制が引かれているため慎重を期する様、注意がなされた。
山根がそこまで細かく説明をする事は稀だった。
高城も今度の仕事がかなり難易度の高いものだと推測した。

「暗闇に慣れる事だ」
この仕事を始める時に言われた言葉。
Xという男がこの闇の世界の指導者だ。
銃の扱いは勿論、日頃の鍛錬、暗殺時の心得、持ち物、建物への侵入の仕方、そして逃亡経路の選択、姿の隠し方、変装の方法など、事細かに教育を受けた。
そのひとつで最重要な点が闇を支配する事だ。
暗闇の中を自由に動き回る術を我々はすでに修得している。
今も壁の裏側、暗闇に身を潜めている。

これだけSPが周囲を固めていると、チャンスはそうそうあるものではない。
動いている間は無理だと思った方がいい。
チャンスはソファに腰掛けたその後だ。
高城はいつでも狙撃出来る態勢を整えた。
後はチャンスを逃さず引き金を弾くだけだ。


元外務大臣永野は苛立っていた。
予定していた会議が長引き、つまらないやり取りで採決が決まらなかったのだ。
ホテルの部屋には愛人を待たせてある。
この議会事務所のホールで、ある若手政治家に今後の策略を与えたらこの日の予定は終了する。
明日からはヨーロッパへ跳ぶ。
表向きは友好的外交という名の視察であるが、実際は愛人とのバカンスである。
70歳を超えようという年齢とは思えぬ程、永野は精力的に動き回る。仕事も女に対しても。
その若手政治家はすでにホールで永野を待ち受けていた。永野は軽く握手をして、ソファに促し、自分も腰を落とす。葉巻を取り出し秘書が火を着ける。
ひと息吸い込み、ゆっくりと深呼吸する様に煙を吐き出す。
「さて、」と言った所で、左耳のやや後ろ辺りに衝撃が走った。
目の前に突然光が走った様に何も見えなくなる。
身体が前につんのめり、ゆっくり傾き、そのまま倒れ込む。一瞬にして意識が無くなった。

永野を護衛しているSPのひとり井上はその瞬間、自分の右上腕部を掠める銃弾に気付いた。
その時井上は永野の左側やや後ろに位置していた。
ゆっくりと前に倒れ込む永野を見た井上は、対角線上の壁際に向けて拳銃を取り出し発砲した。
壁にいくつかの穴が空く。
秘書やホールにいた女性たちの悲鳴が上がり、場は騒然となる。
井上以外のSP達も一斉に狙撃手が潜んでいたと思われる壁や天井に容赦なく銃弾の雨を降らせる。
秘書が直ぐに携帯を取り出し救急車の手配をして、更に数人の応援を手配する。
テーブルにうつ伏せになった永野は後頭部を撃たれた様だが、僅かに急所を外れた様でまだ脈は動いていた。
井上は壁際に近寄り窓辺に足を掛け、天井裏に耳を澄ます。足音が遠く聞こえる。
「外だ」
その声と共にSP達は走り出す。


高城は、壁を伝い天井裏に上がると、換気口を通じてビルの外壁に足を掛ける。背後に銃声が一斉に鳴り響く。
SPのひとりの袖を掠ってしまった為、銃弾は狙った所より数ミリ軌道がずれてしまった。一発で致命傷を負わす事は出来なかったが、永野が助かる見込みはかなり低いと思われる。
それよりも今は追って来るSP達から逃れなくてはならない。
議会事務所の建物の裏は雑木林になっている。その中をひた走る。街灯がある訳ではないので、目を凝らして暗闇の中を樹々の隙間を縫って走るのだ。日頃からこういう訓練は積んでいる。実践は初めてだが。

背後からSP達の声と足音がする。銃声も聞こえる。
雑木林を抜けると高いコンクリートの塀があり、その向こうに自動車道が走っている。
そこまで行かないと逃げられない。相手は複数だ。
斜め前の樹木に光が走って銃弾が撃ち込まれた事が分かる。危ない。
コースを右に左に交わしながら前に進む。
樹々の隙間を擦り抜け、枝を避け、うねる様な木の根を飛び越えて走る。しかも辺りは漆黒の闇だ。
訓練を積んだ者で無ければこの雑木林をこの速度で走り抜けられない。しかし、追いかけて来るSP達もまたプロだ。間断なく激しい銃声の音が周囲に響き渡り火花が飛び散る。
小さな枝が身体にぶつかるのを気にせず本能のまま林の中を疾走する。怒号、銃声、足音が不気味に高城を追い掛ける。生きるか死ぬかの追いかけっこだ。
距離にすれば50メートルもない程の道のりが果てしなく長く感じる。とにかく樹木に激突しない様に身を翻して走り抜ける。銃弾はどこに飛んで来るのか予測が付かない。運を天に任せるしかない。

やっとコンクリートの壁が見えた。ここまで来ると街灯の明かりで周囲の様子が分かる。それはつまり自分の姿も相手に見られやすくなるという危険性があるという事だ。
高城は塀の近くの木を登った。コンクリート塀の上辺りまで来て枝を伝って、塀の上に飛び移る。と直ぐに足下を銃弾が掠める。
「うっ」
脛の辺りに激痛が走る。
コンクリート塀の上で顔を顰めて蹲る。
足音が近付いて来て、一人の姿を捉える。
高城は腰から銃を抜き、その人影に一発撃ち込む。
樹々の間に火花が散る。
人影は一瞬足を止め、高城の姿を確認すると銃を構える。
撃たれる。
高城はそれを覚悟した。
「飛べ!」
道路側から声がする。
山根が運転する黒い車が真下に止まって見えた。
高城が飛び降りるのと同時に銃弾はコンクリート塀の上に火花を散らした。

「しくじったのか?」
車に乗り込むと山根は訊いた。
「いや、おそらく生き延びる事はあるまい」
「一発では仕留められなかった訳だ」
「SPが突然動いたので、その右腕を掠めてしまった」
山根は黙って頷いた。
車は自動車道を疾走している。
追っ手は来ているだろうが、追い付ける距離ではない。
高城は監視カメラに顔が映らない様に後部座席に俯いて座っている。
山根にしても偏光グラスに黒マスクを着けている。
車のナンバーからは、とある会社の名前に辿り着けるが、そこから先は追跡出来ない。
そのまま山根の車は都心の夜景の中に消えて行った。


高城は痛めた足の包帯を取り替えた。幸い擦り傷程度で済んだ。目の前のテーブルの上に新聞が置いてあり、元外務大臣永野の死亡を伝えていた。
少し時間は掛かったが、高城は任務を果たした事になる。
それにしても危ない所だった。
あの時、山根が来てくれなかったら、今頃は命を落としていたかも知れない。
テレビのニュースで連日、永野元大臣の訃報を伝え、生前の様子を映し出した画像が流れる。
高城はその中のひとつに映っているSPの人物に目を止めた。
この男だ。
あの雑木林のコンクリート塀の上から見たSPの男。
拳銃を構えてた男の顔を高城は忘れてなかった。
おそらく相手の方にも高城の顔が見えただろう。
この事がこれから先の使命にどう影響が出るのか、それは分からなかった。
テーブルの上に置いてあった携帯が鳴る。この携帯に電話が掛けられる人間は2人しかいない。
老婦人か山根のどちらかだ。
高城は通話ボタンを押した。
「今、大丈夫か?」
山根の声だ。
「大丈夫だ」
「今夜、本部に来れるか?」
「本部に?」
「老婦人から話がある」
「…………」
話? 珍しい事だ。
「8時に迎えに行く」
山根はそれだけ言って通話を切断した。


続く

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