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ボクたちのミライ

 朝の通学電車は見事に区分けされている。
 学年ごとに乗る車両が決まっているのだ。一年生は先頭車両、上級生は後方車両という風に。これらは所謂、不文律という奴で規則で決められている事ではない。だから理論上は好きな車両に乗り込めば良いのだが、うっかり別の車両に下級生が乗り込んでしまったりすると大変な目に合う。
 さらに、一つの車両の中でも前方は男子、後方に女子と、これも自然に分かれている。全く不愉快なアンリトンルールだ。
 唯一男女が交わり合うのは車両の真ん中あたりだけ。しかし、そのエリアでさえ、いつのまにか自然と集まるグループは決まってしまう。こういうのをヒエラルキーとでも呼ぶのだろうか。車両中央部で座席に腰掛けたり、女子達と肩触れ合える距離に立っていられるのは体育会系のイケメン男子であったり、少し不良めいて辺りに幅を利かせている輩達と決まっているのだ。
 女子達も同様であるらしく、そんな彼らの周囲に集まるのは、やはり美系か派手なタイプの女子ばかりで、毎朝チャラチャラした装いで、賑やかこの上ない。
 そんな中、美術部員の僕と図書部員の伊藤君はいつも車輌の先頭部分で、背中から聞こえて来る嬌声を煩わしく思いながらも無表情で、前方に続く線路を眺めて立ち尽くすばかりだった。

 それでも教室に入り授業が始まると、僕の右斜め前の席には小橋さんという女子生徒がいる。小橋さんはクラスで目立つ生徒ではない。どちらかというと物静かで、制服の着こなしもちゃんとしている。だからと言って、融通の利かない堅物でもなく、暗い性格ではない、少人数の気の合う女友達と一緒に休憩時間やお昼休みは楽しそうに行動している。
 僕はそんな小橋さんの笑顔や何気ない仕草から目を離す事が出来ない。授業中も気が付けばついつい小橋さんの姿を目で追ってしまう。小橋さんは僕にとって、心のオアシスの様な存在だ。他にどんな嫌な事があったとしても、小橋さんの姿を見れば一気に心が晴れる。ほんのささやかで幸福なひとときを僕にもたらしてくれる。

 一方、別のクラスの伊藤君は図書部に所属していて、毎日、昼休みと放課後は図書館で司書の手伝いをして過ごしている。伊藤君は無口で生真面目な性格で毎日何の楽しみを持って生きているのか謎な人だった。分厚いレンズの黒縁眼鏡からは殆ど表情が見えない。そんな彼の様子を見て他の生徒達は「図書館坊や」などというニックネームを付けて面白がっていた。
 だけど、僕は知っている。伊藤君の分厚い黒縁眼鏡の下には意外な程にキラキラした瞳がそこにある事を。いつか夏の暑い日、汗を拭く時にチラリと垣間見えたその目の美しさに僕は大層驚いたものだった。

 昼休みと放課後、僕はよく図書館に通った。それは伊藤君に会いに行くためだけではない。小橋さんがクラスの図書委員をしていて、当番制で週に何度か図書の貸し出しの受付をしているのだ。
 僕は図書館坊やの伊藤君と言葉を交わしながら小橋さんの姿をそこでも目で追っていた。教室でも図書館でも小橋さんには一度も話しかけれずにいたのだが、それでも同じ空間を共有している、それだけで充分だった。

 通学時、伊藤君はたまに、前方を見つめたまま、
「この線路、どこまで続いているんだろ?」
 などと呟く事があった。
「終点のN駅までだよ」
 僕はそう答えたが、
「この電車はそこまでだけど、線路はまだその先にずっと続いてる。乗り換えさえすればその先に行けるんだ」
 伊藤君はそう言うのであった。
 その時の僕には、そんなことより、車輌の一番後方部にいるであろう小橋さんのことが気になって仕方なかった。

 高校生の2学期は目まぐるしい、体育祭、文化祭、そして何度かのテスト。僕のそれらは散々な結果ばかりだった。毎日は苦しくてとても辛い。
 学業を除くと伊藤君も同じで、学校行事が苦手であったらしい。日々を淡々と過ごしている図書館坊やからも、時に疲れた横顔を僕は見出していたのだ。
 その同じ空間の中に、小橋さんの姿も映し出されていた。彼女が見ていたものは何だったのか?

 秋も深まった頃、唐突にその日がやって来た。
 朝の電車で伊藤君は口を開いた。
「今日は電車を降りない。このまま線路の続く限りその先に行ってみる」
 僕は大層驚いた。
「学校はどうするんだ?」
「サボる」
 僕は暫し我が耳を疑った。あの生真面目で優等生の伊藤君の口からサボるなんて言葉を聞くとは終ぞ思わなかった。サボる、サボる、サボる……、サボるって何だ?
 伊藤君の言葉が脳内にこだました。
 それを理解するのに多少の時間が掛かった。
 だが、伊藤君の横顔を見るとその意思は固い様に思われた。一途に前だけを見ている。
「分かった。僕も付き合う」
そう言って僕と伊藤君はみんなが降りて行った電車内にそのまま残った。


 電車は走り始めた。
 これは、小さな反乱の始まりなのかも知れない。
 僕の掌と背中には一筋の汗が滲んだ。

 その時、背後から足音が聞こえた。
 振り向くと、そこにいたのは、なんと小橋さんだった。
「どこに行くの?」
 小橋さんは聞いた。
「線路が続くその先まで」
 伊藤君が答える。
 小橋さんは、ほんの少しの躊躇いを浮かべたが、
次の瞬間、
「私も行くわ」と言って、僕と伊藤君の間に割って入った。

 小橋さんは伊藤君の事を好きなのかも知れない。そんな気持ちがふと脳裏を過ったが、最早そんな事はどうでも良かった。
 僕達はただ、線路が続くその先の風景を知りたくて仕方がなかったから。


おわり


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