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パステルカラーの恋 4

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 電車のドアが閉まる瞬間、わたしは思わず「さくら!」と叫んでいた。車内にチラホラと他の乗客がいたにも関わらずに。さくらは動き始めた電車を追い掛けホームの端まで走って来たが、行方を遮られて立ち止まった。次第に小さくなってしまうさくらの姿を見詰めてわたしは涙が頬を伝わるのを感じていた。
 今のわたしはさくらを中心に世界が回っている。朝起きてはさくらを想い、仕事をしていても、ご飯を食べても、街を歩く時、テレビを観て、部屋で一人音楽を聴いていても、常に心の中でさくらに話し掛けている。四六時中頭の中はさくらの事でいっぱいだ。こんなに誰かを好きになるなんて事これまであっただろうか? わたしは記憶の淵をどれだけ探っても、そこに愛おしい者の姿は誰一人浮かんで来なかった。それでも憧れと言うのだろうか、そんな人はいた。違うクラスの女子でひっそりと慎ましやかな生徒だった。彼女の佇まいや話し方歩く姿、それらにわたしは惹かれていた。でも好きという感情ではなかったと思う。わたしがそんな女性になれればいいと一方的に思っていただけだ。たまにそういう事はある。有名人で例えると女優のあの人だとか、歌手のこの女性とか、憧れの存在だ。現実的にはかなりの隔たりはあるが、わたしはそんな女性達を目標として自分磨きをしているのだ。

 ガソリンスタンドとコンビニの仕事は今も継続して続けている。今は特に指導を受けなくとも自分から進んで身体を動かせている。夜もしっかり睡眠が摂れる様になって来たので、体調もすこぶる良い。働く事で社会の一員になれている満足感がある。しかし全く不満がない訳ではない。スタンドもコンビニでも両方、専用のユニフォームに身を包んで働いているので、女性として社会進出している気が全くしない。改めてT大のY教授のブログなどを見てみると女性装として仕事に就いて堂々と世の中の人達と渡り合っていて、尊敬する。わたしはそこまでならなくてもいいが、せめて女性服を着用して出来る仕事に就きたい等と考える時がある。

 そんな中でさくらと共通のSNSで以前から気になっている女性がひとりいる。ジュリアという名前で日本人とアメリカ人のハーフで今は東京に住んでいる。大学に通いながらモデルの仕事をしているそうだ。モデルにスカウトされるぐらいだから見た目もスタイルも抜群で何より服装やライフスタイルのセンスが良い。わたしは彼女の投稿を見る度に格好いいなと思い密かに憧れを抱いて来た。SNS上でジュリアと親しくなって行ったのは、さくらも関係している。もともとジュリアはさくらのお友達リストの中で見つけたのだ。きっかけはジュリアの投稿した部屋のインテリアの模様にわたしが「とてもセンスが良くてステキですね」とコメントした事からだった。ジュリアからお友達申請が来たのはそれから直ぐの事であった。ジュリアとコメントを通して会話する内に彼女から華やかな社交性を感じた。それでいて人には優しく分け隔てなく接するその明るさと生き様はまるで真夏の太陽を思わせる存在だった。わたしとは違うタイプではあるけれど気の合う関係になれた。わたしは唯一の女友達としてジュリアを特別な存在だと思う様になった。憧れでもあった。さくらは恋人、ジュリアは同性としての女友達、わたしは勝手に心の中でそう位置付けていた。

  わたしはモデルや大学教授には今更なれないと思うが、将来、女性として働ける何かを見つけたい、それをずっと願っていた。でもわたしに何が出来よう? こんな引っ込み思案で内気な人見知りの激しい人間に出来る事って一体何だろう? わたしの好きなもの、アニメとか、カラオケとか、あとは本を読む事くらいか。得意なものはなにか? と考えてわたしはつと立ち止まる。得意なものが何も見当たらない。絵を描くのは下手だし、手先が器用な訳でもない。自分に出来る事をまず探さなければいけないと思う。それと同時に女性に一歩でも近付ける為の努力をする事だ。今は女声の出し方の練習を続けている。あくまで自己流だがネットで集めた情報を元に裏声を出したり、ミックスボイスという地声との中間あたりの声を自然に出す練習だ。これは自室で好きな時にいつでも出来る。何よりお金が掛からない所が良い。

 それから先月から新しく始めた事が二つある。それは美容室に行って女性らしいヘアスタイルにする事。それで前々から気になっていた美容室に予約を取って出掛けてみた。小さなお店で家から少し遠いけれども、思った通り感じの良い美容室だった。オーナーさんも美容師さんもわたしの事を理解し優しい笑顔で迎えてくれた。わたしの意見も取り入れ似合うヘアスタイルを一緒に考案し、カットして頂いた。その出来栄えにわたしは満足した。これからも定期的にその美容室に通う事にする。
 もうひとつは美容外科クリニックで先生と相談の上、女性ホルモンの薬剤を投与する事を決めた。投与と言っても注射を2週間に1度打つだけだ。なるべく身体に負担のかからないものを勧めて頂いたのだが、それでも最初は吐き気などに見舞われた。でも大した事にはならず、暫くすると身体が慣れたのか徐々にそれは無くなり、胸が少し膨らみ始め、お尻にも張りが出て来た気がする。それはわたしにとっては大きな喜びになった。
 ただ、美容室もクリニックも毎月それなりのお金が必要になるので、継続的にしっかり働いてお金を稼いで行かなければいけない。女性になるためにはお金もかかる。もう今後は家に引き籠もってなど居られない。わたしは前へ進む事を選択した。
 将来的な事はこれからゆっくり考えて行けば良い。いろんな職業、そして各種専門学校や大学のホームページなどを閲覧しながら、今目の前にある物事に全力で取り組んで行こうと心に誓った。

  ところがそんなある日SNSでわたしはある写真を目にする事になった。ジュリアの投稿日記の中で『お友達が遊びに来たよ』との見出しが有り、見てみると新宿かどこかの居酒屋で楽しそうに食事をしているジュリアと男の人の姿があった。わたしは一瞬目を疑った。それは紛れもなくさくらに違い無かった。しかも見た事も無い様な満面の笑み。
 わたしは激しく動揺した。さくらが東京に出掛けたなんて話は聞いていなかった。それもジュリアと楽しそうな笑顔のツーショット。二人とも素敵過ぎる。ジュリアは何と言っても綺麗な人だが、さくらも目鼻立ちが整っている。好青年の部類と言える。こうして二人が並ぶといかにも美男美女でお似合いだ。コメント欄にも沢山の人がいいねして素敵なカップルですねとか言い合っている。
 普段のジュリアの投稿には気軽に「いいね」を押せるはずなのに、その投稿に関しては何故だか「いいね」が押せなかった。

 ジュリアとさくら……、今まで考えもしなかったが、元々二人はSNS繋がりの友達だった。コメント欄でたまにやり取りしているのも見た事はある。しかし、こんな写真を見たりすると、それもわたしの知らない間に二人で会って、と思うと何だか疎外感を感じてしまい、素直な気持ちでいられなくなる。わたしは直ぐにパソコンの電源を切り、ベッドに潜り込んだ。さくらとやり取りするのは最近もっぱらスマホを使っているのだが、昨日も今日もさくらからメールは届いてなかった。ジュリアとさくらはあんな風に親しく会ったりする関係だったのか? いろいろな考えが頭の中をぐるぐると巡っては消える。その日は久しぶりに明け方まで眠れなかった。何度かさくらにメールしてみようかとも思ったが、結局それも出来なかった。

 次の日も次の日も悶々とした気分で日々を過ごした。前向きな気分と後ろ向きの気分が波の様に交互に訪れる。睡眠不足でぼーっと考え事をしていたせいか単純な作業ミスをして同僚に迷惑を掛けてしまった。ガソリンスタンドで同じバイト仲間のユウからも「どうした?美和」と声を掛けられてしまった。わたしが黙って俯いていると、彼はそれ以上何も訊かずに缶コーヒーを買って来て、凹むわたしにポンと投げてよこした。驚いてすばやく両手でキャッチすると「おお、ナイスキャッチ。その調子、その調子」と言って笑顔で、グッドサインを送り仕事に戻って行った。金髪にも見える茶色い髪がさらりと揺れる。チャライ感じもするけど、こんな一面もある。気分転換しようと缶コーヒーを一口飲む。苦い。ブラックだ。世の中甘くないか。仕事に集中しなけりゃ。
 それはともかく、わたしの心に芽生えたこの不安な思いは何だろう? これが初めて感じる「嫉妬」という感情だろうか? わたしがジュリアに嫉妬? まさかとは思うが無いとは言い切れない。ジュリアは素敵な人だ。性格も良い。社交性に富み、いるだけで華が咲いた様に周囲が明るくなる。わたしには無い所だらけだ。憧れる。羨ましい。それだけにジェラシーを感じてしまうのかも知れない。争って勝てる相手ではない。もちろんそんなつもりもないが。
 
 さくらからは一向に連絡が無い。次のデートまではまだ2週間もの日数がある。そしてしびれを切らしたわたしはとうとう、さくらにメールを送ってしまう。文面は悩みに悩んだあげくこう書いてしまった。

――さくら、東京に行ってジュリアに会ってたんだね。

  送信してしまってから後悔した。これでは何か問い詰めてる様な文面ではないか。もっと違う事を話題にして書くべきだった。でももう遅い。さくらはこれに対してどういう返事をして来るだろうか? 初めてさくらからの返信を怖れる自分がいた。寒くもないのに身体の芯がぷるると震えた。
 日付に目にやると奇しくも今日は13日の金曜日。時刻は深夜であった。

 続く

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