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白猫ホームスと探偵 3/3

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 次の日は朝から忙しく都内を東奔西走した。
 公生の手帳メモから拾い出した五件の消費者金融らしき事務所に実際に出向いて見ることにしたのだ。
 メモには住所がないので、電話をして相談したい事がありましてと、客を装いアポイントメントを取って、所在地を聞き出した。
 五件の内訳は次の通り、名前の横の数字はおそらく借りた金額と思われる。

 中島 300      花沢 300     磯野 200     
 フグ田 200      伊佐坂 200

 上段の三件が新宿、下段の二件は池袋だった。
 万画一は再びホームスを懐に忍ばせ、教えられた各事務所へと足を運んだ。移動はタクシーばかりをそうそう使っていられないので、山手線を利用する事にする。幸いホームスは電車内では大人しくしていた。
 さて、そんな風にして訪ねてみた各消費者金融は、どの事務所も似たり寄ったりであった。雑居ビルの一室、ワンルームの応接室を兼ねた事務所、ソファと事務机と観葉植物、意味不明な抽象画、殺風景なオフィスだ。応対に出た男達もどこか似たり寄ったりの顔つき、何れも一癖ありそうなタイプばかり。
 しかし、驚いた事に、そこでも壁の一角に昨日『ピンクのバナナ』で見たのと同じ、円に魚のイラストロゴKUROMASUの表示版を発見した。
 これは偶然なのか? 
 ホームスはそのマークを見る度、フーッと唸り声を出す。

 一体このマークは何なのだろう?
 万画一はさりげなく、それを指差し、
「どこかで見た様な気がするのですが、これは何なのですか?」と尋ねてみる。
 この質問に対して、どこも皆「さあね」と質問をはぐらかし、明確な回答は得られなかった。
 唯一、最後に訪れた店の伊佐坂という年配の男が、「クロマス会」という言葉を口にした。
 口にしたと言うより、口を滑らせたという方が妥当で、その後、慌てて手で口を塞ぎ、それ以上の事は喋らなかった。まさかそれが単なる魚釣り愛好会のマークという訳ではあるまい。
 探偵としての万画一の勘が働く。
あのマークとロゴの文字からは何かしら不吉で異様なムードがする。妖気というか怪しげな匂いが漂って来て万画一の背筋をぞっとさせるのだ。ホームスの様子もただならない。
 キャバクラチェーン店と消費者金融は共に「クロマス会」という組織が関係している。それだけは確かだ。
 これは調べてみれば何か掴めるかも知れない。馴染みのある小泥木警部を通じて警察に問い合わせてみるのも一計だ。

 それはともかく、藤原公生について店側に問い合わせてみるのだが、顧客に関する情報は頑として口を割らない。写真を見せても、空とぼけて「知らないな」と言い張るのみ。
 ホームスは万画一が店の男と話している間中、事務所内の床に降りて、部屋のあちこちを嗅ぎ回っていた。時々事務机の下に潜り込んだりして、「おい、コラ!」と咎められたりした。
 万画一は融資を受けるか受けないか迷っている客を装い、金融を受けるための条件とか、利息や返済方法について聞き出した後、ゆっくり検討してみますと申し込みはせず、それぞれの店舗を後にした。

 あれは三番目に入った磯野の店だった。ビルを出た所で、ホームスがシャツのボタンを口に咥えていて、それを万画一に見せて渡した。どうやら店内で見付けて咥えて来たらしい。
「ほー、なるほど、これがもし公生のものだったら、重要な手掛かりになる」
 万画一はホームスの頭を撫でてやった。ホームスは「ニャン」と一声立てて気持ち良さそうにペロペロと舌で毛繕いを始めた。

 午後からは、キャバクラ・ピンクのバナナのチェーン店を訪ね歩く。池袋から鶯谷、上野を回って、品川、渋谷、新宿とほぼ山手線を一回りした。
 しかし、こちらも内容としてはどの店舗でも同じ様な扱いだった。レイナの事も、公生の事も、一様に知らぬ存ぜぬの一点張りだ。ここでもホームスは店舗内をうろつき回ったが、どうやら収穫は得られなかったらしい。

 とっぷりと日が暮れてしまったので、とりあえず、高輪の加奈子のマンションに万画一とホームスは向かうことにした。
 高輪の駅で降りてマンションへ向かう道を歩いて行く。ホームスは万画一の懐でスヤスヤ睡っている。人通りの少ない路地を通る。辺りはもうすっかり暗くなっていた。突然、万画一の後方からタタタッと足音が聞こえて来たと思った瞬間、誰かが万画一に殴りかかった。
 間一髪体を交わすと、相手は黒服、黒マスクで帽子を被り、顔が見えない。手には何か棒の様なものを持ち、それを振り上げ、もう一度万画一に殴り罹ろうとする。
 すると次の瞬間、万画一の懐からホームスがギャーという甲高い声を上げて男に飛び掛かった。
 男は突然の猫の応酬に遭い、顔を引っ掻かれ、その場に仰向けにひっくり返った。だが、すぐに体勢を立て直すと一目散に走って逃げて行った。
「おい、待て! 何だ、あれは?」
 万画一が男の逃げて行った方向を見た時は、もう姿は見えなくなっていた。逃げ足の早い奴だ。
「ニャー」とホームスが鳴く。
「オイ、大丈夫か?」と訊くと、
 ホームスは道に落ちている何かを前肢でこんと突いた。
 なんだろうと拾い上げると、キャバクラの男がしていたのと同じ、円に魚のイラストのバッジだった。
「これは……」
 万画一はじっと、その紋章を見詰めた。

 とにかく、そんな事がありながらも、なんとかマンションに辿り着いた。
 加奈子は昨日よりは多少落ち着いた様子で万画一を迎えた。ホームスは疲れたと言わんばかりにサッと懐から飛び降りると所定の場所であるソファに飛び乗り、大欠伸をして、丸まって目を閉じて睡ってしまった。
 万画一は消費者金融でホームスが拾ったシャツのボタンを加奈子に見せた。加奈子は一瞬、ハッとしてリビングを出て寝室に向かう。
 そしてクローゼットの中から、一枚の白シャツを取り出すとリビングに戻った。
 拾って来たボタンと白シャツに着いているボタンは完全に一致していた。その公生のシャツの袖口のボタンがひとつ取れている。これはその取れたボタンに間違いが無さそうだ。
 これで公生が消費者金融に行ったという事実が判明した。おそらくそれの返済に充てるため、会社の金を横領したという事か。
 そして会社に振込返却した金は、当然ダイヤをどこかに売却して換金したものに違いない。
 一体、どこで? 
 それと問題はレイナというキャバ嬢の存在だが、公生がその女に貢いでいたという推測は出来るが、それを裏付ける証拠が見つからない。レイナの所在も不明だ。
 加奈子にレイナの件を伝えるかどうか、万画一は迷った。まだ確かな事を掴んでないので、その件はもう少し調査を進めてからにしようと思考していると……。

 そこへ突然、家の固定電話が空気を斬り裂いて鳴り響いた。加奈子も万画一も、それからホームスさえもビクッと身体を硬直させた。
 加奈子が立ち上がり、ふらふらと吸い寄せられる様に受話器を取る。
 その時、万画一の視界が朧げに揺れた。
 受話器を耳に押し当てて、二言三言話していた加奈子は、突然言葉を失うと、少しよろめいて壁に手をつき身体を支える。
 それから静かにゆっくりと受話器を置くと、こちらを振り返った。
 顔から血の気が引いていた。直ぐには言葉が出て来ない。
 加奈子の身体がゆらりと揺れる。
 ホームスが一声あげ、さっとソファを飛び降り加奈子の元へ走る。
 一瞬、金縛りに遭いかけた万画一だったが、全力でそれを突き破り、脱兎の如く駆け出す。
 加奈子は目眩を起こして、額に手を当てその場に崩れ落ちる。
 床に倒れ込む寸前に万画一が身体を支えた。
「大丈夫ですか? 加奈子さん、一体、何が?」
 加奈子は震える声で、途切れ途切れにこう伝えた。
「け、警察、からです。……主人と思われる、水死体が、……東京湾で、発見された と……」




 悲しい結末を迎えてしまったこの事件。
 警察で引き合わされた遺体は藤原公生に間違いは無かった。
 警察の調査として、公式に自殺と断定された。
 遺体確認、その他の手続きには加奈子夫人と万画一が立ち会った。
 残された遺品に公生の財布があり、中には少しの現金と数枚の領収証(レシート)が残されていた。
 レシートはどれも銀座の高級店で買ったブランド物の洋服、バッグ、時計、貴金属などであった。
その金額は合計すると約二千万円近く……。

 後日、万画一は公生が買物をした銀座の高級店を訪ねた。
 公生の写真を見せると、店主はちゃんと覚えていた。本人に間違いないと証言も得られた。時には若い女性を伴って来店したこともあると言うが、女性の方はサングラス姿で、顔がはっきりしなかった、と言う。
 次に警視庁の小泥木警部を訪ねて行った。そこで『クロマス会』なる組織に聞き覚えは無いかと尋ねてみたのだ。
 万画一は先日、夜道で襲われた話をして、その時拾った魚のイラストのバッジを見せた。
「そいつは驚きましたな。そんな危ない目に遭われたとなると放っては置けませんな」
「まだ相手がクロマス会と確定した訳ではないのですけどね」
「でも偶然という訳じゃないでしょう」
 クロマス会という名前に、小泥木警部は聞き覚えは無いらしいが、詐欺、窃盗、風俗違反等に関する情報に詳しい署員を一人二人紹介してくれた。
 その内の一人、捜査三課のニコラス刑事が『クロマス会』の名前を耳にした事があると告げた。
「詳しく教えて頂けませんか?」
 万画一は藁にも縋る思いで食い付いた。
「いや、その実態ははっきりしないんです」ニコラス刑事は言った。
『クロマス会』というのは、黒淵鱒之介くろふちますのすけなる人物を会長とする暗黒組織であるとの噂があり、麻薬、売春、詐欺、窃盗、人身売買等の疑いを持たれている。しかし、その実態は把握出来ず、クロマス会が表舞台に出て来る事は無い。しかもその黒淵鱒之介は二年前に亡くなっている。
 戸籍上の家族を持たない鱒之介だが、その跡目を自身の血を引く子に二代目黒淵鱒之介の名跡を託して、現在も『クロマス会』は存続しているという。但し、二代目鱒之介も実態が把握されず、年齢は勿論のこと、性別さえ不明である。そんな状況だという。
 今回の藤原公生の事件に対するニコラス刑事の見解を伺ってみた。
「自殺であるという事は、ほぼ間違いないでしょう。レンタカーを借りて埠頭を突っ切りました。遺書はないですが、レンタカーを借りたのも本人ですし、一人で運転されてた事は確認されています。それに断定は出来ないものの、クロマス会は殺人に手出しはしないと見做されています。けれど、自殺に至った因果関係はあるでしょう。キャバ嬢に貢がせて消費者金融を利用させるという手口はこれまでにもありましたから」
「やはり」
 万画一もそう推理していた。だがしかし、公生が自殺してしまうとは、迂闊だった。真面目な性格の男こそ自殺の可能性が高い。
 結局、今回の件で『クロマス会』を追い込む事は不可能である。
 売られたダイヤの行方が分かったら一報を欲しい旨をニコラス刑事に伝えて本庁を後にした。
 さて、それからの日々も万画一はピンクのバナナのレイナを探すべく、各地に張り込んだりしたのだが、とうとうレイナの姿は確認出来ないままになってしまった。

 さて、事件から約一ヶ月が経とうとした頃、万画一は『潮月』の女将・友恵と連れ立って高輪にある加奈子のマンションを訪ねて行った。
 途中、女将はタクシーの中で盛んに、お金の事で困ってたのなら私がいつでも金庭先生を紹介したのに……、と悔しがった。
 確かに。万画一もそう思った。けれどそれも、もう後の祭りだ。
 部屋を訪ねると、葬儀も終わり、一段楽したのか、加奈子の顔にも少しの落ち着きを取り戻した様子が伺い知れて、万画一はホッとした。
 もうすでに公生が自殺に至った経緯も加奈子には全て報告してある。
「今回は大してお役に立てず仕舞いで、本当に申し訳ないです」
 万画一は加奈子に頭を下げた。
「いいえ、とんでもありません。真相を解明するべくご尽力頂き、大変感謝しております。これは、僅かで申し訳ないのですが……」
 そう言って加奈子は万画一に幾らかの謝礼金を差し出した。
「いや、これは……」
と、万画一は一旦それを押し戻そうとしたが、友恵女将がそれを制して、
「万さん、受け取って頂戴。最初は私がお願いした事ですから」と言った。
「そ、そうですか、それじゃ、すみません、ありがたく」
 と言って万画一は、その封筒を懐にしまった。
 改めて頭を下げる万画一の膝の上に、横から白猫のホームスが走り寄り、ぴょんと飛び乗った。
「あ、ホームス! 久しぶりだね。お前がいなけりゃ事件の解明は出来なかったよ、暴漢からも助けて貰ったし」
「ミャー」
 万画一はホームスを持ち上げ頬擦りした。
「暴漢⁉︎」
 加奈子と女将にはその話をしてなかったのでびっくりしている。

「で、実はまだ、いくつか継続して調査している事がありまして、レイナの行方もそうですが、ダイヤがどこに売られたか、それも判然としていないのです。そちらは警察の手を借りないとなかなか調査するのは難しい所です。あと、クロマス会の件も」
 万画一はボリボリと頭を掻く。ホームスはフケが落ちるのを避けて抗議の声を上げる。
「ダイヤの件はもう、どうでも構いません。それで借金も無くなり、会社への返済も済んだとしたのなら、充分役に立ったと考えていますので」
 加奈子はそう言って心持ち頭を下げた。
「はあ、でも何か進展があれば、その都度ご報告させて頂くつもりです」
 加奈子はそれには無言で頷き、紅茶を一口飲んだ。
「でも私、未だに信じられないんです。主人がキャバクラの若い娘にそこまで入れ込んでいたなんて、とても、とても……」と、独り言を言う様に呟いた。
 万画一は言葉もなかった。後々その言葉は万画一の胸の奥で何度もこだまする事になる。
 女将は加奈子の肩をずっと抱いて慰めていた。

「それでね、万画一さん」
 暫くして、気分を変える様、加奈子は少し明るい声で話しかけた。
「はい、何でしょう」
「よろしかったら、ホームスを万画一さんの所でお預かりして頂けないでしょうか? もう女将さんには了解を得ています」
「え、僕がですか?」
「はい」
 女将もニコニコと頷く。
「はあ、それなら僕は構いませんし、むしろ、ホームスには助けて貰うことも多くて、嬉しいことです。でも、加奈子さんはそれで良いのですか?」
「ええ、実は、私はこのマンションを引き払って、実家のある信州でアパートを借りて暮らすつもりなんです。そこはペット禁止のアパートですので、ホームスを連れては行かれないのです」
「あ、そうでしたか、それなら、分かりました。お引き受けします。ホームスいいかい? うちへ来ても」
「ニャー!」
 ホームスも嬉しそうに返事をした。
「うちは料亭だから、食べ物には困らないわよ」
 女将もホームスに歓迎の意を示した。

 こうして万画一探偵と白猫ホームスは揃って『割烹旅館・潮月』の離れに居候する事になった。

 だがこの先、一人と一匹は『クロマス会』二代目黒淵鱒之介との長い戦いが待っている事を、その時はまだ知らずにいた。




万画一探偵シリーズ第五話
『白猫ホームスと探偵』  おわり


注:  この物語はフィクションです。実在する人物、団体、動物等には関係ありません。

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