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ウクライナとロシアを考えたら宗教に辿り着いた話

こんばんは。今日もお疲れ様です。

ウクライナとロシアを考えていると、聖書の一節を思い出し
イスラム教徒の友人とその一節について話すという謎な展開になりました。

今日はその一節を紹介してみました。よかったら見てください。



”隣人を自分のように愛しなさい。”


この「愛する」とはどういうことでしょうか。
愛するという言葉には色々含まれると思います。
愛を注ぐ、思いやる、守るなど


また、「隣人」という言葉は隣の家に住んでいる人たちではなく
身の周りの人々のこととばかり思っていました。


つまり、
自分のことを愛し大切にするように、自分の周りの人も愛し大切にしなさい。

そのように解釈していましたが、実はもっと奥が深い言葉かも。





隣人とは、自分と異なる身近な人。

でも、隣人って個人レベルの話ではないかも。

隣国だって隣人、自国と異なる身近な国。

宗教だって同じ。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教…




規模こそ違えど、すべて隣人に当てはまりませんか?





隣人と騒音問題で揉めたり、

今回のウクライナとロシアのように
自分の民を守るために暴力を振るうことが当人の中で正当化してしまったり


自分と異なる宗教を尊重し距離を置いたつもりが、交流することがなくなり
いざ交わると衝突してしまう



個人単位から国や民族、宗教の単位まで争いは起きます。


それを見越した神が前もってこのような言葉をくれているのではないか


そう思うと
この一節は実はとても奥が深いのではないかと思いました。




おやすみなさい。
明日も楽しみましょう。



参考文献
新 約 聖 書       マタイによる福音書22, 34-40
クルアーン(やさしい和訳) 60 8節


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