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音楽を辞めた

辞めた、っていうか、始めてすらいなかったことに気がつくのに、十年もかかってしまった。

楽器もできない、譜面も読めない、だれにも師事したことがない。違う、しようとしなかった。
「これらは自分のすることじゃない」と線を引いていた。必要にかられて譜読みを練習したことがあったけれど、誰にも褒めてもらえないので途中でやめてしまった。もうこの時点で、そこまで音楽をやる気がなかったんだろう。ただ、好きなシンガーの歌い方を模倣することだけが好きだった。ただの消費者だった。私は最初っから、音楽を生み出す側じゃなかった。

ものごとに対して能動的な人間は、誰に指示されなくても自分で情報を集めて今やるべき事を見つけ、それについての自分なりのメソッドを構築して、他人に見えないところでどんどん実力を伸ばす。これができない人間はさっさと諦めて別の道を探せばよかったのだ。
そもそも、歌を練習し始めたのだって、小学生の頃つるんでいたやつらに「お前下手くそだな」「下手だから歌うな」などと浴びせられ、ひどくカチンときたからだ。他人をあげつらう人間ほど努力をしないもので、そいつらはものの数年で見返してしまった。この経験のおかげで、「他人に認められたい」「誰かを見返したい」という気持ちだけが歌うモチベーションになっていった。
カラオケの採点機能、あれはいけない。こういうガキの自尊心を下手に刺激するからだ。

大学に入って、意気揚々と音楽系のサークルに入ったが、そこは音楽経験者と才能の巣窟だった。「歌うことが好きな子はみんな大歓迎だよ!」なんて言ってる人間が一番なんでもできた。
根本的な能力がからきしな私はみるみる伸び悩み、音楽を乗りこなしている人間の中にいるのがものの一年で苦しくなった。それに加え、学年が上がり、課される責任が重くなっていくのと比例して、勢いよくサークルへの熱は冷めていった。
そのうち病気をして、学校に行けなくなり、歌うこともできなくなった。そして、例のパンデミックが起きた。ここで私はやっと、サークルを辞めた。
この頃にはすっかり、歌わなくても生きていけるようになっていた。

それからというもの、堰を切ったように思いつくまま様々なものに手を出した。
フィルムカメラ、スマホRPG、手芸、インテリア、読書、ストレッチ、ウォーキング。
気づけばミュージックビデオで溢れていたYouTubeのホームはゲーム実況動画やカメラ関係のブイログが並ぶようになった。

なかでも、フィルムカメラを思い切って始めたのは当たりだった。なぜか、生まれたときから一緒にいるかのように私の生活に馴染むのだ。

元々、写真は唯一私が人の評価を気にせずに自分のペースで続けてきたことだった。私にとって写真を撮るのは息をすることと同義なので、長らく趣味にすらカウントしていなくて、気づくのに随分かかってしまったけど。だからこそ、きっと音楽みたいに汚さずに済んだんだろう。

フィルムカメラはクラシカルな道具なので、何をするにもまず勉強をしなきゃならない。何も知識がない状態ではシャッターを切ることもままならない。興味がなければこの時点で音を上げるだろう。
アマゾンのレビューに「私には使いこなせませんでした😂😂」なんて書くんだろうな。事実、覚えることの多さに最初は圧倒されてしまったもの。


でも違った。カメラに関する知識の何もかもがまるで当たり前のようにスルスルと私の中に飲み込まれ、出先に持っていくカメラとフィルムを選ぶ習慣がつくのにもそう時間は要らなかった。
何より、「カメラを始めた」と言うと、周りの人間がみな、温かく見守ってくれ、褒めてくれ、支援してくれることが驚きだった。
まるでずっと前から私がカメラを始めることを待っていたみたいに、気持ちよく道が拓けていった。

母が「今は評価を受けずに好き勝手やる時期だよ」と言うのでそういうことにして、今はSNSに写真を上げるのは控えている。私自身、あんまり多くの人に写真を見てもらうことは望んでいない。ただ、写真を撮る自分が好きだから撮り続けている。

カメラを始めてから、一体何%の人間が、生涯のうちで自分に向いている事柄と、それに合った環境を引き当てることができるだろうと考える。
そしてその「運命」たるものが、音楽だったらよかったのに、と何度も思う。さんざすり減らしてそのまま捨ててしまったけど、確かに私は音楽が好きだったのだ。

追伸
ヘッダーが消えてしまっていたので、ヘッダーを追加して再掲します。

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