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稀代のうつけ者

去年使っていたロルバーンの手帳の表紙を見て、思えば随分遠くまで来たもんだなあと、なんか他人事みたいに思った。


海沿いに走る道路と、広がる青空。路傍に寄せて停められたオレンジ色のロードバイク。中央やや上に配置された、同じくオレンジ色のロルバーンのロゴ。
「この真っ直ぐ伸びる道路のように、どこまでも行けるように」と願ってこのデザインを買ったのだっけ。
これを買ったときは週に一度予定が入ればいいほうだったのに、二冊目に到達した今や、予定をダブルブッキングして知人に謝罪の電話をする始末。
「どうせ予定なんかありゃしねえ」と手帳を持ち歩くことをしていなかったのだけど、これは改めた方がいい。

日記を書く用に使っている後ろのフリースペースは、まだ三月中旬だってのにもう半分使ってしまった。「日々の充実」ってのは実在するもんだなあ、と実感している。手帳と日記って、もしかして分けるもん?

「日々起こった嬉しかったことを手帳に書いてる」って言うとやたら褒められるのだけど、正直暇なだけだし、私はいいことも悪いことも忘れるのが下手くそなのだ。
だから、良かったことは日記にして、悪かったことは煮こごりにしてnoteにするかTwitterでネタツイに加工してしまう。
「そんなのいいね付くの?」って聞かれるけど、付くわけねえじゃん、いんだよ、ほっとけ。一般の陰キャにとっちゃTwitterなんか日記なんだから。

高校のときにTwitterで知り合って以来、ずっと苦楽を分け合ってきた友達が、この春専門学校を卒業した。社会人になってから入学した学校をちゃんと卒業できるってすごい。

十代の頃、実家が死ぬほど荒れていて、人生で一番尽くしたひとにも振られ、思春期特有の「世界を呪って俺も死ぬ」マインドを拗らせていた私たちも、人並みに幸せになれちまったし、一番好きだったあいつが居なくてもどうやら生きていけるし、母親を笑って紹介し合えるまでになった。
遊んだ帰りに「体を冷やすな」「飯を食え」「ちゃんと寝ろ」とお互いに心配という名の圧力をかけ合う癖はいつになったら抜けるんだか知らないけど。

会う理由が「おまえに会えないと日々の辛さに耐えられなくて死ぬ」じゃなくて、「別に会えなくても死なないけど、なんか会いたくなったから」になれたのが、私としてはとても嬉しいところ。依存からの脱却って、なかなかできることじゃない。
半年連絡取らなくたって平気。だって信頼してるから。こんなくっせえことも面と向かって言えちゃう。だって友達だから。
こういうキモさの人間関係って稀有だよね。大人になってからの人間関係ってきっと、なかなかこうはいかない。


ウールのコートが要らなくなって、空気が埃っぽくなって、雪柳が咲いた。猫もすっかり丸くならなくなった。
染井吉野はまだだけど、山桜はもう盛りだ。
そろそろ植木鉢を植え替えする頃だろうか。
コンビニには桜味のスイーツが並ぶ。桜味って一体何の味なんだろう。でも、つい買っちゃわない?
こうやって意味もなく楽観的になれるのも、大人になった証拠なんじゃない、なんつって。

体感的には随分歩いてきたけど、まだ悟り顔してるだけの二十そこらのガキなんつったら、多分このnoteも数ヶ月後に見たらため息つきたくなると思う。知らんけど。

そこで、最近聴いてるこれ。

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