看護師になろうと決めた理由

私が、看護師という職業を選択した理由。

それには、いくつがあるけれど。
ここ数年は、というより看護師になってすぐから『私には向かない職業だな』と決めていた。

最近復職して、いろんな場所で看護師という資格を活用して働かせてもらったけど。そもそも、なんで私は看護師をしているんだろうか…。
看護師を決めた場面はいくつかあるけど。何だっただろうか。
それを思い出してみたい。

一つ目
母が『女の人も手に職を持ってたほうがいい』と、専業主婦の母が働く女性への憧れを持っていたこと。
母の古くからの友人に看護師をしてる人がいた。私も時々会っていて、その人のお家に遊びに行ったとき、何気なくかけてあった聴診器に目が行って。それを借りていろんな身体の音を聴かせてもらった。
そのときに、すごく面白いなとも思ったし、聴診器に興味を持っている私にも母とその友人が『興味を向けるってすごいね』と話していたように思う。

だから、小学1〜2年生の私は『看護師ってなんか良いな』って、そんなことでふと感じたような記憶がある。


二つ目
小さい頃からずっと私が大好きな時間があって。それは『誰も住んでいない山奥にある小さな家に滞在すること』だった。私も兄たちもそこでの時間を本当に楽しんでいた。

時々、友達が泊まりに来て合宿状態になったり、
祖母の兄妹が来てよもぎを摘んできて団子を作ったり、
虫取りや釣りに朝早くから子供ら3人で出かけたり、
お風呂を湧かす・炭に火をつけて料理したり、
腐食してきた柱にペンキを塗ったり、
探検に行ったり・砂山に身一つで登ったり、
登った山の上から降りられなくなったり、
焦りつつ試行錯誤したり、自分に任されることがあったり。

山では、本当に自由で、楽しい時間がいっぱいだった。

私はそこから仕事や学校に通えないのかと、真剣に考えていた。そしたら、母が『無理だよ。そんな大変なこと。あなたが稼いできて主夫してくれる人見つけるとかしないといけなくなるよ』って言われたことがあった。
うちの山は薪でお風呂を湧かしてたり、水も上下水道が通ってないので、水を運んだり、とにかく力仕事・男の人の仕事がたくさんあるから、どちらかというと男の人が家にいてもらわないと困ることが多いからってことだったんだと思うけど。
それを聞いて、中学生の私は『看護師ならできるってことかな』と、『出来るんじゃん』って思った覚えがある。

だから、看護師としての仕事のなかに魅力を感じたというより、山の生活維持の方法として確定したような感覚がつよいのかもしれない。


3つ目
私は暮らしの中が好きだった。
それは、祖母の創ってくれる暮らし・時間のことで、
幼い私とずっと過ごしてくれたのは祖母だった。

それも、祖母がだれより一番私といることを喜んで、楽しんでくれていたように感じてたというのもあるけど。とても大切であったかな時間だった記憶がある。

春は、よもぎや山菜を摘みに山の家に行って、一緒にたくさんを採ってきて作って、みんなに配ったし。
夏前には、梅干しをたくさん漬けて、干して、その毎日の繰り返しも好きだったし。
秋になれば、毛糸を巻き直してベスト作ってたあげようか。とか、焼き芋しに行こうかって、山まででかけたりした。
冬はおせち作りが大イベントで一週間前から、買い出しや下準備やと始まる。みんなが集まって食べてくれる時間は本当に嬉しそうにしてた祖母が懐かしい。

そういう時間の尊さを私は教えてもらって、何より大切だと感じていた。それを守れるために、効率よく稼げることも大事なんだと感じたのかもしれないし。
そういう時間を私にくれた祖父母になにかお返しができることを探していて、その中で社会福祉士になりたかったことがある。その社会福祉士はよく分からなくて。分かりやすくお世話や手伝いができる仕事として看護師が上がったというのもある。

私のこれまでの看護経験では、若い人もいたけど、やはりお年寄りとの時間が圧倒的に長い。
それも、骨折や怪我で動きに制限があるとか、意欲が弱まるとか。
健康寿命や自宅での生活を継続するための関わりが好きだった。


それが、私が看護師を選んできた理由で、
看護師であることの意義だった。
それなしに続けられたり、看護師である意味がないのだ。
ただ、病院や施設で最期を迎え、看取るために、
看護師としているわけじゃない。


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