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看護師という免許

私は看護師という免許を持っている。
それは私の自信を作る一つであることは間違いないのかもしれない。

だけど、『看護師の免許がある』ということ自体が自信なのではなくて。
今、私が何らかの自信を感じられるのは、きっと『新卒からの4年間を大きな病院で働けた経験』があるからだと思う。

新卒からの4年間というのは、私の生きている時間が一気に進められていくような感じだった。特に最初の2年間は、カルチャーショックの連続だったし、焦って、悔しくて、毎日が必死だった。
あっという間に10円禿げができていて。それは、今までいかに『のほほんと生きてきたかの証』のように感じて恥ずかしかった。
10円禿げの部分にまた毛が生えてきてくれて、それは白髪だったけど『頑張って乗り越えた自分の証』のように感じてほっとした。

そうやって、あの4年間を同期や先輩、仲間や家族に支えてもらって、なんとか乗り切った自分に私は自信があった。

その時間を経て、今度は田舎生活に入って夫婦生活を始めた。
社会批判真っ只中の二人の始めた田舎での薪生活。
これはこれで大変なことの連続で、なかなかうまく暮らしが回っていかなかった。
その時も私の中にあったのは『看護師の4年に比べたら、何でもないや』という感覚。

あれこれやることがいっぱいで、クルクルと動き回って必死だったけど、やっぱり自分が選んで決めてやってることに必死に取り組めている時間は嬉しかった。
そんな時間も、夫には乗り越える気力がなかったのかもしれない。
本当に疲れていたし、辛そうだったし・・・。

子育てと田舎での薪暮らしを回すのは私になった。
看護師4年の経験はものすごく私を支えてくれた。

それは免許として資格が与えられているからなんかじゃなくて、
私がその4年を乗り切ったという経験の方からくる自信だった。

そして、6年続けた田舎の薪生活もやめて、
離婚しようと決めた時も、やっぱり免許だけがあっても
不安で仕方なかったんだろうと思う。
そんなことじゃなくて、4年の経験と、
それを糧に頑張れた田舎での生活経験。
それらがあったから、私はどんな状況でも生きていける
と思えた気がする。

看護師というと、その資格だけで本当に就職もしやすいし、
働くことに困ることなんてない。
だけど、そんな資格の強さを持ってしても、
自分の心の本当の自信には繋がりはしない。
その免許を持って、さらに乗り越えられる経験や
様々な体験を自分に与えられること。
それがとても大きかったと私は思う。

今は、病院や医療の現場で働くことを望んでいないけど。
そんな免許を使う使わないではなくて、何だってできる
乗り越えられるという自信を身につけられたことが、
とても大きな私の財産だなと思っています。

私は本当に『ぼんやり、のほほんと生かされてきた』
そんな子供だったので、あの看護師の4年間は
『生きること・人生を自分で歩いてくこと』
を痛感させてもらう貴重な時間になっていたと思う。

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