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旅先の石とかと旅先の思い出

旅先で石をよく拾う。というか石を探しに旅に出たりする。
宝石グレードでなくても石はおもしろい。旅から帰ってきてからも、石を手に取るたびにその旅先の思い出が浮かんで、ああまた行きたいなあと思えるので好きだ。石でなくても、これはというものを選んでお土産にすることもある。


阿武隈川のアメジスト

昨年のゴールデンウィークに福島県の石川町を訪れた。メインの目的地は石川町立歴史民俗資料館。こんな名前だがおもに石メインの博物館である。
そのころこの資料館は移転に向けた一時閉館を控えていた(今年4月27日に移転再オープンした!)ので、駆け込みで行ってきた。

石川町は見事なペグマタイトが産し、上のpostのツリーにつなげてあるんですが、冗談みたいにでかい水晶とか長石とか緑柱石とか鉄電気石がどかどか置いてあって圧倒された。すっげえな……。
また、石川町では稀元素鉱物や放射性鉱物も産したので、第二次世界大戦末期には日本の原爆開発のために採掘が行われた。移転前の資料館のまさにその場所に、採掘した鉱物を選鉱する理研希元素工業の工場があったという。

移転前に一度行っといてよかった~

さて大満足で資料館をあとにしたサキノさんは、石川町の鉱山跡や市民温泉に行ったりしつつ、帰りの日の朝に石川町から見て少し下流の阿武隈川の河原に寄った。石川町のペグマタイト露頭は私有地にあるものも多く、下手に踏み入れば不法侵入になってしまうが、河原なら国交省の土地だから(よほど大規模に土砂採取とかしない限りは)セーフ!

いい河原
ペグマの小石や分離鉱物が落ちていた

河原で思いがけず拾ったのがこの小石。色自体はごく薄く、川流れで角はとれているが紫水晶(アメジスト)だった。

うすーい藤色をしている
この向きだと六角形の断面が1.3本くらい見える

もともとかなり太めの柱状結晶だったことが伺え、たぶんこれも石川町のペグマタイト鉱床から流れてきたものだろう。
紫水晶の発色は鉄イオンを含んで成長した水晶が放射線に晒されることで色が変化するものであるらしいので、この紫色は石川町の放射性鉱物やそこから発生する貴ガスのラドンの放射線のあしあとであるとも言え、春のような優しい色合いとあわせてすごく気に入っています。
新しくなった資料館にも阿武隈川の河原にもまた絶対行きたい。

関根浜のチャート

すべすべで重く握り心地が良い

また推しの話してると思われそうだけど、これは2018年にみらいさんに初めて会いに行ったときに青森県むつ市関根浜で拾った石。

実際に会いに行くまで、結構みらいさんに夢を見ていたなと思う。
原子炉からディーゼルエンジンに積み替えて、新しい天職を得て、それで彼女の『呪縛』は解けたと思っていた。
しかしいざ下北半島の北に来てみると、時は過ぎ薄れたとはいえ、ある種の呪いはまだそこに残っていた。往時には「第二の成田問題」と呼ばれたこともあったらしいのを後々知り、このとき抱いた感想はあながち的外れでもなかったとわかった。

過去の自分の棺たるむつ科学技術館や廃棄物の保管施設を背に、港に佇む彼女は寂しそうに見えた。この港は陸奥湾内から追い出された彼女のための流刑地だった。

さておき、むつ科学技術館は稼働していた実物の原子炉を一般人が見て触れる世界でも唯一(たぶん)の場所なので諸氏もぜひ行け

翌日の船の一般公開を前に、この関根浜を思い出せるようなものをなにか一つお土産にしようと思って、誰もいない浜を少しビーチコーミングした。
その時拾ったのが灰色のチャート。強い力が加わり幾度も砕けたらしく、その隙間を石英が埋めており、酸化鉄が染みて一部茶色い。華美さはまったくないが、砕けたものが長い時間をかけて再構成されたその色と形は、当初の夢から別物の船生を送るみらいさんに初めて会った旅の思い出とするには良さげに思えた。
あとから調べたが、チャートは地質的にもこのあたりの堆積層を構成している特徴的なものの一つだったようでそれもうれしい。重くひんやりして丸く優しい手触りで、この石を手に取るたび、あの津軽海峡を臨むもの寂しい港の肌寒い空気を思い出せる。

みらいさん遠景

翌日の一般公開は見るもの聞くもの全部興味深かったが、船内の順路の途中、大きな朱色のファンネル(煙突)に触れたときの温かさと重油と排気の匂いが印象に残っている。生きている船には体温があるのだとその時知った。

あったかかったなあ…

翌年も一般公開で関根浜を訪れたが2020年からはコロナ禍に突っ込み、一般公開自体が長く開催中止になり、今年はやっと復活するとかいう話なので絶対行く。

糸魚川のヒスイ

新潟県糸魚川市の海岸ではヒスイが拾えると聞いた。雪解け水で川の水量が増え上流から礫が流れてくる春がハイシーズンらしい。行くっきゃないね!
と弾丸車中泊旅行したのが2016年のゴールデンウィーク。
まずフォッサマグナミュージアムでヒスイについて予習だ! と思ったがめちゃくちゃ見応えがあった。初見ならぜひここを訪れてからヒスイ探ししよう。

ヒスイは緑色だけでなく白・黒・紫色などカラバリもかなりあり、色では区別がつかない。緻密で重く結晶がきらきら光り、(浜のヒスイの場合)角張っているのにすべすべで、白い場合はLEDペンライトで照らした場合に透過光が黄色っぽくならないのが特徴……というのを頭に入れて海岸へ。

ここがその名もヒスイ海岸

ヒスイ海岸とラベンダービーチをハシゴして「これかなあ」と思うものを拾い、最後にフォッサマグナミュージアムを再訪して石の鑑定をしてもらった。初めてでは見つける難易度は結構高いということだったのでボウズでも気落ちしないつもりで行ったが

フォッサマグナミュージアムで鑑定カードもらった
白いほうがヒスイ、緑のほうがオンファス輝石

いくつか拾った中に無事ヒスイありました!
予習した通り、白く角張っているのに驚くほどすべすべで手触りが良く、透過光の色味も確かに石英とはちょっと違う感じ。
一緒に拾った緑色の角張ったすべすべの小石もヒスイの兄弟石にあたるオンファス輝石岩でした。ヒスイ輝石岩(純度の高いものは白)にこの緑色のオンファス輝石がいい感じに混ざることで美しい緑色のヒスイになるらしいぞ。しかしこれはこれで渋い色味で気に入っています。
その後フォロワッサンとヒスイ探しに再訪したりしましたが何度でも行きたい。今度はブラックライト持って夜の浜辺行ってレア石のコランダム探したいな~。

野田玉川のバラ輝石

昨年10月に岩手と青森を旅した。初日に岩手をさまよい、二日目に青森でフォロワッサンと落ち合い例によってむつ市に行き、三日目は木村秀政氏ゆかりの地をたずねたり、八戸の台所こと八食センターをさまよったりした。
初日、翌日フォロワーと会うなら戦利品渡したいなと思い、本当なら岩手県久慈市のあたりで漂着琥珀を探したかったのだけど、波が荒く予定を変更した。

代わりに行ったのがここ、「マリンローズパーク野田玉川地下博物館」。かつて日本最大のマンガン鉱山だった野田玉川鉱山の坑道を実際に見学できる!

壁面のピンク色のバラ輝石に触れたり、稼働時の様子がマネキンの展示で詳しくわかったりと結構見ごたえあるが、施設も結構年季入っているので坑道内に展示された鉱物標本は結露・酸化でめちゃくちゃになってしまっているものもある。バブルの頃はもっと見栄えがしたんだろうな…。

さて足元の砂利に気になるものがあり、一つ拾って帰った。

ほぼ一面真っ黒な端っこが少し欠けて中身が覗いていた

一見真っ黒だが、端っこの欠けたところだけ薄い樺色をしている。
サキノさんは見逃さなかったぜ! マンガン鉱物は風化すると表面が真っ黒になるんだよね。お家に帰ったら磨いてみようじゃん。
なお琥珀がボウズだったので、翌日のフォロワッサンへのプレゼントは道の駅で調達した琥珀のストラップにした。喜んでもらえたので良かったです。

……旅を終えて帰宅して、百均で耐水紙ヤスリを調達し、次の週末に例の小石を磨いてみると、こう。

真っ黒な酸化層を削ればこの通り
ピンクですべすべになった!

半貴石グレードではないけどなかなかいい色をしたバラ輝石のかけらだった。もうちょっと気合い入れて磨いたら、酸化鉄が染み込んで茶色っぽくなったところやまだ残ってる黒い酸化物も削り落とせそうなんだけど、あんまり磨いても小さくなっちゃうしこのままでもいいかなあと思っている。

鮎川浜のマッコウクジラの歯

以前Ingressをしていた。ポケモンGOの元になった位置情報ゲームといったほうが通じる人が多いか…?
このIngressで2016年のGW頃に東日本大震災東北復興支援イベントがあった。このゲームのプレイヤーに実際に東北太平洋側現地を訪れてもらい、ゲーム内で拠点となる「ポータル(ポケモンGOのポケストップに相当)」としてその土地のランドマークなどを登録申請するというもの。
下記事では女川で開かれた記念イベントが紹介されているが、自分は野良参加でのんびり宮城の沿岸部を巡った。

お地蔵様や石碑などを見つけて登録しながら、松島から牡鹿半島に向かって北上していった。更地になった海沿い、倒れて壊れた墓石を使いお寺敷地に新しく建てられた慰霊碑、仮設店舗で営業を再開したお店……のやべえラーメン……。

とんでもなく食いづらいがおいしいラーメンだった。ラーメンですこれ麺見えないけど

このときの食堂、調べてみたら2021年に移転し、今もこの冗談みたいなラーメンを提供しているらしい。話の種に諸氏もぜひ訪れてほしい。


道中、松島の海のすぐそば、少しだけ高くなっている小さくて丘ともいえないような岩の上に「弁天堂跡の石碑」を見つけた。

「跡」の石碑ってなんだろう

建立されたのは昭和10年、昭和三陸地震の2年後だった。
たぶんこの岩の上にもともと弁天堂があって、津波で流出したのだろう。地元の被害も大きかったと思う。 2年経過し、当時の地元の人は弁天堂の再建を諦め、しかし水神である弁天様を祀り続けるために「弁天堂元跡」の石碑だけでも建てたのではないかな……と思ったが、由来を聞けたわけではないので憶測です。この石碑は結局ポータル申請は通らなかったと思うけど、記憶に残っている。

北上していき、着いたのは石巻市鮎川浜の仮設商店街「おしかのれん街」(現在は閉鎖済み)。

16店舗が入っていたが、天気がすぐれなかったせいかこの日はまあまあ静かだった

ここで鯨歯細工屋のおじさんに会った。
鯨歯細工屋のおじさんは震災当日、ちょうど用事があって牡鹿半島の工房兼おうちから街の方に出かけていて、帰る途中の山道で震災に遭い難を逃れたそう。工房は海のもろにそばだったので津波が直撃して全壊したが、クジラの歯はこのとき流されずに残ったものを洗ってきれいにしながら少しずつ細工に使っていると聞いた。
マッコウクジラの歯の小さめのものを1つ買った。

ちなみにこれを海外に持ち出そうとするとワシントン条約に引っ掛かり捕まる

細工にはマッコウクジラの歯を使うが、今はマッコウクジラの捕鯨はされてないので貴重らしい。クジラの虫歯とシャチの歯も見せてもらった。シャチの歯はマッコウクジラより硬くて加工しにくく、乾燥すると縦に割れ目が入ってしまうので細工には向かないそうだ。

おじさんが複雑そうな顔で話すことには「女川にも再建された商店街あるんだけどね、やっぱり津波でもろもろ大変な地元の人には、助成出て半額の今の状態でも賃料がキツくて、無論その後の満額なんて言うまでもなくて、あの場所に入ってるテナントの何割かは首都圏の人やお店なんだ。ああいうのほんとの復興じゃないと思うんだよね」

果たしてその後に訪れた女川駅前のテナント型商店街は、ピッカピカのハコにオサレな店、(少なくとも当時は)地元のおじちゃんおばちゃんのやってるようなお店はまるっきりなかった。ほんとの復興って一体なんだろうなあと思いながら、ずいぶんキラキラした商店街を眺めていた。
石巻の梱包会社製の段ボールでできたピンクのランボルギーニの展示(この店舗は2022年に閉店済み)もあったが、このお店はまあ隣市だけど地元企業ではあるのでちゃんと復興の一環か。

シーパルピア女川、今現在はだいぶ地元のお店になってるようでちょっと安心した。8年も経てば土地も変わりゆくものです。

その後2020年に「おしかのれん街」閉鎖の報を聞いて動揺したりしたが、鯨歯細工屋のおじさんは新しくできた観光交流拠点施設「ホエールタウンおしか」に拠点を移し元気にやっているようだ。

今年は7月下旬まで鯨歯細工屋のおじさんの作品の企画展示があるようなので、再訪したいな~!

旅先の思い出の品コレクションは、手に取るたび再訪したくなる旅のコレクションでもありました。
行きたい場所がありすぎる。どこもまた絶対行きたい。

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