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「自力を尽くせば、他力がはたらく」

初めてnoteを書いてみた。今までは完全に読む専。
みんなこんなに文章書けてすごいなー。と思っていた。
でも反対に私もこんなに文章が書けたらいいなと思っていた。
書き出せば書けるのではないかとも思っていた。

昔から「やればできる子」と言われ「やらなかった子」だ。。。

だが、私の国語力といえば、小学生の時のいい成績からジェットコースターのように、悲惨なものに落ちていった。
それはある日を境に救いようが無いほど、成績が下がったのだ。
国語のテストで、感想を述べなさい。といわれて回答をかいているのに、
なぜそれに点数をつけられなければいけないのか?
と感じたその時からだった。

それでも「書こう」と思ったnoteの仕組み凄い。(何目線w)

もとい、最初の文章を何にしようと思ったら、これしかないかなあと思ったので、心の赴くまま書いてみる。
タイトルの言葉はウチの会社で合言葉のようなものなのだが、
時々思い返してみる。
最初のきっかけは、この問いに対する経験を、ある合宿ミーティングでひとりひとり話すことだった。
私は、話そうとしていた内容を直前に変え、
もっと昔まで思いをめぐらせた。それは古い知人(今は上司w)も知らない話だった。
私は小学生のころからバスケットボールをしていた。
レギュラーと補欠のあいだをいったりきたりしていた。
私はどうしてもレギュラーになりたかった。
勝って喜んだり、負けてくやしんだり、
試合の結果の感情の当事者になりたかった。

どうしたら、レギュラーになれるのか?私ができることは何か?
オフェンスもディフェンスも、身長さえ中途半端。
そんな自分が努力をすれば結果が出ることは何か?
スリーポイントシューターならばどうだ?と思った。
これかもしれないと感じた。
そこで私は自分に課題を課した。10分で30本いれるのが課題であれば、
私は同じ時間で60本入れる。
それを毎日し続けた。

最初からもちろんうまくはいかない。
でも、成功し続けた頃から、レギュラーになることができ、
試合相手の監督にさえ、5番の選手にスリーポイントは打たせるな!と言われるようになり(私はその頃チームで副キャプテンだったので、自然と背番号は5番、キャプテンは4番だった)自分のチームの監督には苦しいときには「お前がスリーポイントを打て!」
と言われるようになっていた。

結果、そのエリアのバスケットボールで有名な高校にスポーツ推薦で入ることができた。バスケットボールに熱中したせいで、成績は悲惨なことになっていたが、学校の勉強のレベルが高かったため、これくらいの内申点があればいいですというそれをかろうじてクリアしていたので、テスト用紙に名前さえ書けば受かるというラッキーが転がり込んできた。

一度、部活の先生のことで母親にぶーたれたことがあったのだが、ピシャリと「バスケットボールに集中するなら、先生の文句は言うな」と言われた。その時の母すごいw

目の前のことを一生懸命やれば次の道が開ける。
言い換えればそのことだった。

そして、思い返してみれば、私の人生はそんなことの繰り返しだった。
バスケットボールのおかげで高校に入学できたし、
高校から大学に行く時はなりたい職業から逆算して、猛勉強して
希望の短大にかろうじて入ることができた。(多分一生で一番勉強したw)
短大に入ったら、課題を思いっきりやり切ることで、単位も人に渡せるほど獲得したし、成績もオールAだった。
そしてそのおかげで、就職氷河期にも関わらず、企業に就職することができた。それも特別講師の先生がスカウトしてくれたのだ。
私の美術系の大学から企業に行く人は稀だった。
課題をやりきっていたら、アーティストのようにゼロからイチを生み出すことはできなかった自分はあるものとあるものを掛け合わせ、新しい価値を作る方が能力があると感じた。それをやりきったおかげだ。

就職をしたら仕事を思いっきりやりすぎて、体調を崩し、しばらく休んでいたが、あるひとの紹介で次の会社が決まった。

そこで必要とされ、自分のできることを思いっきりやり切ったら、燃え尽き症候群みたいになって、でも一杯のコーヒーに人生を変えてもらい、今はコーヒー生豆を販売するプラットフォームを運営する会社に勤めている。(振り幅)
それもコーヒーにはまっているが、人生うまくいってない私を知人が引っ張り上げてくれたおかげだ。

なんだ、意外と自分頑張ってたんじゃんと、思えた。
でもその分、今は少しできていないかもと感じた。
そんなことを感じた3・11の日の夕方。

生きたいのに生きることができなかった人がたくさん出た日。
私の周りでも生きたいのに生きることができなかった人がいる。
その人たちに胸を張って、その人たちの分も生きているのか。
そんなことを思い出したら、もうちょっと頑張ろうと思えた。

もう少し、いや、もっとやってみよう。そう思えるうちはやれていない証拠だ。やり切っていたらそんなこと、考える暇はないもの。
それでは。

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