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【自己紹介】 人生はアンプレディクタブル


unpredictableという単語をご存知だろうか。predictable(=予想できる)というどこかつまらない単語に、否定の接頭語un-をつけただけで「予想できない」という全く逆の、どこかワクワクする意味になる。

ものすごくどうでもいいが、predictableと聞いて一番に思い出すのはウッディ・アレン監督作品「To Rome with Love (ローマでアモーレ)」にて、”...dependable, agreeable, predictable" と称された悲しきローマ人・レオポルドおじさんである。彼のおかげで私は心にグッと強くpredictableという英単語の深い(?)意味を刻み込むことができた。単語は単語帳より映画や本で覚えるのがオススメだ。

さっそく話がずれた。

予想できる人生と予想できない人生、どちらを選ぶかと言われた時に「予想できる人生」と選ぶ人はあまりいないのではないだろうか。たぶん。

私もそうで、実際いままで人生は予想できないことの連続だった。

理系オタク女子(コミュ障)だった私が「プログラミング飽きた(ていうか無理)」という理由で高専を中退し、故郷の大分の山奥からアメリカ・サンフランシスコに渡ったのが十八の頃。普通に就職に有利な分野で学位を取るつもりだったのに、なぜか四年後に馬鹿でかい一眼レフを抱えた写真学科の学生になっていた。意味がわからない。

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(*すでにフィルムカメラにハマっていた。現像はコストコ。)

クラスメートに「写真いいね!」と言われる程度でヘラヘラ満足していた私なので、日本に戻ってからカメラマンになる気なんてさらさら無かった。カメラマン=ファッション誌で綺麗なモデルさんたちを何かすごいセットで撮るリチャード・アヴェドンみたいなイケイケな人たち、というイメージだったからだ。自分には全く無縁な世界だと思っていた。代わりに、先進的な食文化を持つサンフランシスコという土地ですっかり「食」に魅せられてかつ栄養オタクになっていた私は、写真と文章の両方を一人でこなすフードコラミストになろうと思っていた。本当に。

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(*帰国前に自分で取材・撮影して作ったSFの食ガイド本「サンフランシスコの歩き方~簡易版~」)

そんなわけで、23歳で日本に戻った時点での私の人生プランは

①フードアナリストの資格を取り、食の分野に足を踏み入れる

②英会話教室で講師のバイトをしてお金を貯める 

③そのお金でフランスにワーホリに行って、パン屋でバイトしながら写真撮ってしばらく暮らす

というものだった。考えてるようで、ほとんど考えてないプランだ。

しかし帰国後、フードアナリスト検定4級の試験を受けに東京に滞在中に事件が起きた。

試験が、終わっていたのである。

あんなに勉強して100%受かると思っていた試験を、試験日の勘違いで見事にすっぽかしてしまった。無職の身で払った受験料7350円(税込)は本当に痛かった。

自分の馬鹿さ加減もさることながら、早速人生プランの出鼻をくじかれたことが辛くて私はとっさにこう考えた

「そうだ、これは神様が写真の道に行けって言ってるんだ..!」

それからの行動は早かった。

使わなかった受験票を丸めて捨てて、泊まっていた友人の家のパソコンを使ってGoogleの検索窓にこうタイプした。

”写真” ”アシスタント”

日本でカメラマンになる為にどういうステップを踏むのかをさっぱり知らなかった上に調べもしなかった私は、とりあえず検索して出てきた所に片っ端から履歴書を送りまくった。友人の家の近くの証明写真機で写真を撮って作った即席PDF履歴書だ。髪は茶と赤のツートーンだった。

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(*そもそもこれで英会話学校に就職しようと思ってたのが信じられない。)

ほとんど無視されたが(なぜか写真館にばかり応募していた)写真制作会社MASHだけが返信をくれた。奇跡。当時持ち歩いていたiPadには学生時代の作品が偶然入っていたので、それを持って二日後に面接に行き、その翌日に採用の連絡をもらった。

東京での滞在が終わり大分に帰り母親に事の次第を伝えた。

「2ヶ月後に東京行くわ」

『何あんた、また行くん』

「なんか就職したわ」

『ハァ?』

まったくだ。

人生が大きく変わった瞬間だ。

そんなわけで、初期投資と称して取得していたTOEICと英検もついに無駄にし(計16000円)予期せずカメラマンへの道を歩むことになってしまって今に至る。泣くほど辛い日々や、明日が見えない本気の絶望を経験したが、それ以上に楽しい経験と素晴らしい人脈と一晩語れるくらいのネタを手に入れた。結果的によかったと思う。まぁ結局ファッション誌で活躍するイケイケカメラマンにはなれなかったが。

さて本題に入ろう。

色々あって昨年末に今の夫と結婚し、夫が駐在で働くオランダ・アムステルダムに引っ越して来たのが今年の3月。それもあまり考えず、一緒に居たいしオランダ楽しそうだから!という理由で引っ越してきた。気づけばカメラを引っさげた駐在妻だ。本当に考えるのが苦手だ。

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(*仕事もないプータローなのでとりあえず弁当作りに精を出す。)

私がオランダに来たのを機に、夫がずっと一人で暮らしていたアムステルダム郊外の無駄に広い家から、もっと日々の生活にカルチャーを、バイブを!と望んで、アムステルダム市内に引っ越してきた。これぞオランダの家、というレンガ造りの細い家だ。市内の家は車も置けないし(路上駐車の権利は2年待ちという噂)エレベータも付いていないし、そもそも同じ値段でも狭いという理由で子持ちが多い旦那の会社では誰一人市内に住んでいなかった。それでも30歳になったばかりでまだまだ色々な文化に触れたい若い(?)2人は直感で「ここがいい!」と決めて実行した。さらば、定年感溢れる郊外の家。さらば、のどかな毎日。

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(*新居。若者が多く住み、ヒップなレストランやバーがショップが多いエリア。東京で言えば、中目黒とか代官山。)

10m先にあるCOFFEESHOPからマリファナの匂いが漂い、週末には隣の家のテラスでどんちゃん騒ぎのパーティーが開かれるこの家で、1~2年は二人だけの新婚生活を楽しもうと話していた。

しかし やっぱり人生はunpredictable。

新居に引っ越してきて5日後、私は信じられない事実を突きつけられる。

つづき


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