過去の記録1 家族のこと、自分のこと。

私が小学校2年生くらいの時、母が職を変え社会復帰したから、私と兄は2人で過ごす事が多かった。
父は父で、私が小学校2〜6年生位までアメリカなどで働いていたから、3人暮らしが当時のデフォルト設定だった。

母作の作り置きを2人協力して用意し食べたり、たまにボーナスかのごとくお金と置き手紙が置いてあって、そのお金で2人で好きに外食したり弁当や惣菜を買い帰ってたべた。

だからというのもあるし、洞察力やら勘やら全体把握する力やらがべらぼうに強い私の性分もあって、
兄の変化にいち早く気づき、どうしたものかと気を揉むのは主に私の役割だった。


親はどうして違和感に気づかないのか。
なぜ、より悪い方向へと加速させる様な逆効果な言動ばかりするのか。
なぜ、そうも合理的に考え行動できないのか。
なぜ、そうもコミニケーション能力と洞察力が低いのか。
なぜ、そうも頭が固いのか。

兄は兄で、なぜ反抗しないのか。
元の器量は良いのに、なぜそうも野心や向上心がないのか。
なぜ、あとちょっと、短期間の頑張りができないのか。
なぜ、それ程一人の世界へ逃げたがるのか。
なぜ、初めから諦めて逃げることしかしないのか。
なぜ、何も心のうちを開示しないのか。
なぜ、だれにも助けを求めないのか。


双方への苛立ちが募った。
また、同じくらい、焦りと哀しみがあった。

幼い頃の愛嬌やひょうきんさはもう見る影なく、自信なく卑屈っぽくなり一人の世界へ逃避がちになる身内の変貌を、喜んで見る身内などいる訳がない。

面倒を見てくれた兄が、私の事をもはや庇護対象どころか攻撃対象かのように振る舞う様子を、平然と無関心に受け流すことも、ただただ我慢を重ねるだけなのも耐え難かった。

何が正解だったのか?
考えてばかりの数年を過ごして、社会人になり早々に家を出た兄に、病床の私は恨み言一つも言えぬまま。言葉もろくに交わさず見送った。
兄は年に1度だけ、元旦1日に実家を日帰りするだけになった。顔を合わせるのは年4時間程度。言葉を交わすのは1、2度あれば良い方。そんな関わり方しかできなかった。
元旦の行事が済めば、彼は早々に家を出て行くからだ。


彼が最も辛かったらしい時期、相反して私の調子は右肩上がりで楽しく充実した日々を過ごしていた。
兄の私への態度が激変していったのはそういった背景からだった。
私が成長していくにつれて、彼の私への敵意に近い感情は益々高まった。

兄とは異なり、出来が悪いと幼少から言われていた私。
高校生になる前後からようやく調子が上がってきて、少しは卑屈にならずに済む様に、物事を楽しめる様になっていった。
それでも、偏差値やらその他能力やら、世間的に兄の方が圧倒的に上出来なのだ。
なのに?なぜ成長を褒めてくれないの?嫌がるの?当時の私は、軽くパニックだった。

母が不意に見つけ私たち兄妹に見せたアルバムの中の、幼き日の私の事しか、兄は好きじゃなかった。
アルバムの中の私を、ニコニコしながらジッと見つめ「かわいい」を連呼する兄。
私はもうずっと、そんな扱いを受けていない。それどころか、冷ややかに見られたり、こちらの配慮にむしろ不機嫌になったり、吐き捨てる様に酷いことを言ったり、散々だった。


「妹の成長を喜べない兄こそ情けないんですけど」
「今の私、成長した私が可愛くないみたいな言い方傷つくんだけど」
「そもそもお前の嫌いな妹に育ったのはお前が途中から兄として振る舞わなくなったりして可愛くいられなくなったせいなんですけど」
「お前の尻拭いまでして、感謝こそされる覚えはあっても邪険に扱われるいわれなんかないんですけど」
「卑屈かまして相手を妬むとかモラハラくそ野郎じゃん。最低だな」

言いたい事は山ほどあったが、機嫌を損ねるのは確実だし、プライドを傷つける恐れもある。嫌われたくもなかった。

本心は、心にむりやり押し込めてやり過ごした。気付かぬふりをした。そんなものだ、弱い人は強い人が守ればいいんだ。自分に言い聞かせ続けた。そんな日々が、当たり前になっていた。

ただ、楽観的な希望をほんの少しだけ抱えていた。

いつかは分かってくれるだろう。今は本人が辛い時期だから。酷いのは今だけだから。また、過ぎ去れば昔のように戻るから。


私は好かれていない。嫌われている様にすら感じる瞬間も多々あるし、昔と違って関心も寄せられてはいない。
私が傷つく言動をする時も、たまたま家の中で出くわした時などで、意図した関わりの中ではなかった。だから、本当に私は気にかけられていないんだな、としみじみ思いすらした。


兄はコミニケーションを避けているから多くを語らなかったが、たまにボソッと言い放つ言葉だけで、私へのネガティヴな気持ちは十分に感じ取れた。

私は、兄の弱さに怒りと悔しさを覚える様になった。しかしそれ以上に、親への強烈な憎しみや怒りが勝った。

逃避する兄、激怒する私。
何が起きているか、どうして良いか分からない両親。

声をかける頻度はそれなりにあっても、すれ違い・空回りが常な母。

全くコミニュケーションの取れない父。

逃げていく、卑屈になっていく兄。

どうにか現状改善したいのに、立場が弱く経験も浅く、十分に力を発揮できない。双方に注意を払う事で、神経をすり減らしていく私。


昭和の古臭い人間は、いくら頭では分かっていようと、いくら高い学歴を持つほど頭がよくても、"親"として、すなわち家庭内絶対権力として振る舞う事を辞める事が出来ない。

それで問題が解決される事はないのに、無意味に権威を振りかざされ、私の憎悪は高まるばかりだった。

なぜ私は子供なのだろう。私がこいつらの上にいれば、こいつらの親だったらよかったのに。こんな奴ら、私が親の方が絶対に上手く行ったのに。私が"兄"であったなら、兄のプライドを傷つけず守ってやれるのに。
父が上手く話せなくても、父じゃなく子であったのなら、こちらがイニシアチブをとっていくらでも心情を汲み取ったりしてやるのに。
そそっかしくて空回りの多い母だって、子供なら「バカだな」で笑い飛ばしてフォローしてやるのに。

なぜ私は妹なのだろう。
兄の穏やかさと無欲さと世界の狭さは、この家の子供に向いていない。
両親を変えられないにしても、私が妹じゃなくて兄や姉なら、堂々と家庭を守ってやれるのに。
「しょーがねえなあ」と、いくらでも茶化しつつも誘導してやるのに。

なぜ私は女で生まれたんだろう。
向上心も競争心も、無欲な兄よりは圧倒的にある。それに、自分が男なら、無意識にストイックに頑張る私のスタイルは、もっともっと当たり前に受け入れられるのに。

日本で女に生まれるなんて損だ。どうせ色恋なんか興味ないし、ヘラヘラニコニコと馬鹿なフリをするのも媚びるのも苦手で大嫌いなんだから、私が男に生まれた方が絶対に家族・世のためにもなったのに。
男として生まれてしまえば、良い大学を出て就職し、ガムシャラに働きつつも適度に家族サービスできるスペックさえあれば、妻も子供も手に入れて、簡単に自分の家庭を築くことができたのに。

私と兄、逆の方が良かったのに。
初めから私が長子として生まれていれば、兄に期待なんかしなくて良かったのに。落胆しなくてよかったのに。傷つかなかったのに。態度の変化に傷つくこともなかったのに。弟や妹だったら、「生意気でしょーもないクソガキ」で片付いた話だったのに。

なぜ、幼い頃と態度が変わってしまうのか。なぜ、気にかけてくれないのか。なぜ、具合が悪くても心配してくれないのか。なぜ、私を置いてさっさと逃げようとするのか。なぜ、根本的な問題解決をしないで自分の世界に逃げるのか。なぜ、本来の素直さやひょうきんさを無下にするのか。愛嬌の良さでホームレスの心まで掴んでいた人間が、なぜ下手にニヒルを演じるのか。なぜ卑屈街道を一直線に突き進むのか。なぜ成長した妹に嫌悪感を示すモラハラ全開なクソ野郎でいても平気なのか。


常にそんな考えが頭を支配して、人生で最も浮かれたバカが多いと評される文系大学生の時を、ほぼほぼ怒りと哀しみで過ごしてしまった。

親に対する怒りと、うまく行かずに離れた兄との関係、そんな背景などが生んでしまった私の病気、不調。

兄の事をとやかく言えないくらい、私も卑屈になっていった。

大学の学友、世間、全てにムカつく。家もムカつく。そんな環境に身を置くしかない自分にも腹が立つ。いっそのこと、東大や名高い海外大学に行けるほどの能があれば良かったのに。父以上の力があれば良かったのに。

なぜ私にはその能がないのか?ただ卑屈に文句を垂れる、他人を羨むだけのしょうもない人間になんてなりたくなかった。病気になんかなりたくなかった。今がつまらないのは自分のせいだ。そんなことはわかっているけど、でもどうしたら良いのか。
考えたくなかった。人や環境のせいにして不機嫌を撒き散らす方が楽だった。

何者かになりたい。自分以外の何者かになりたい。それが無理なら、何か大きな事を成し遂げたかった。

「海外に行ったら人生が変わる!」と騒ぐ学友をあれほどバカにしていたのに、結局他の手段が思い浮かばず自分も留学もした。
その先で事件にあった。親を何度も、最後は殺す勢いで説得し了承させて、成果を出してギャフンと言わせてやると息巻いていたのに、結局は損失を生んでしまった。

私は、身の心配もそこそこに失敗を糾弾され続けるのに、犯人の家庭は幸せに満ちている様に見えた。私よりも頭が悪くて、罪を犯す様な愚かしい人間なのに、そいつには愛する息子たちがいて、その人の兄弟や両親も良い人たちだった。

私は、出来が悪いだのなんだの言われていたところから努力して、私大だが一般的に良いとされる大学に入った。

将来をきちんと考えて、何度も親を説得して留学を取り決め実行に移しているのに。それなのに私は被害にあって、親には責められている。

罪を犯すろくでもない人間なのに、家事もろくにできない、ろくに働けもしない人間なのに、そいつは親にも子にも愛されている。


死にたくなった。なぜ、努力して、それなりに成果を出してきた私じゃなくて、そいつが、私の望んだ環境にいるのか。

私の何がいけないのか、いけなかったのか。

考えたくなかった。それでも頭が勝手に回った。


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