はじめまして。

周南市在住で、2児の母をしております、塩田紗希と申します。

産まれも育ちも山口県です。生まれは、宇部。そして周防大島へ引っ越しをし、3才の時に周南市(徳山)へやってきました。それから18才の高校卒業までずっと周南市で過ごし、大学は県外の福岡へ。そして卒業をし、また生まれ育った町に帰って来ました。

福岡は、人、そして食、街、全て素晴らしかったのですが、やはり生まれ育った場所、周南市、というものは何とも落ち着きます。

私が小さな時からあるお店や、建物、風景もたくさん残っています。変わって行った場所も、たくさんあります。ただ、今でも昔からある場所へ行くと、自分自身の小さな時の思い出を思い出し、とても懐かしく、愛おしくなります。

息子は今、小学1年生。岐山小学校に通っています。私も、岐山小学校出身です。私は、小さな頃から昆虫がだいすきで、お昼休みの時間中ずっと小さな蝶々、シジミチョウを追いかけていました。一緒に遊んでいた女の子は、運動場に行こうよー!と、言われていましたが、あまりに私が昆虫に熱中していたので、びっくりしていたと思います。初夏には、卵から産まれたアゲハチョウの幼虫が、山椒やミカンの木にたくさんとまっているのを見つけては、その当時は、上一ノ井手に住んでたので帰り道の道中、幼虫がいるポイントをおさえて、幼虫をつかまえて、自分のセーラー服にくっつけて、幼虫を連れて帰っていました。一緒にいた同級生が幼虫の数を数えてくれると、15匹はくっついていたと思います。イメージで言うと、ポケモンのキャタピーです。「あれ?1匹いないね。」なんて同級生が言うと、キャタピーが、セーラーの襟に隠れていたり。(笑)

家に帰り着くと、虫が大の苦手な母親は、悲鳴をあげておりました。

けれど、母親は何を思ったか、私の昆虫への熱心さに根負けし、自主的に米沢園芸へミカンの苗木を買って行ってくれていました。そして、家の玄関でキャタピー15匹を飼うことになりました。それはすごい食欲なので、エサのミカンの木がなくなる度に、買っては、エサを与えるという事を繰り返し、いよいよキャタピー達も、蛹に、いや、トランセルへ。そして、蝶々、いや、素晴らしい、バタフリーへと進化を遂げて、我が家から旅立って行ったのでした。。

そういう感動体験をしたからなのか、私は、子供が生まれて、今この年になって、改めて昆虫熱が高まっているのです。いや、子供の時以上かもしれないです。(笑) 昆虫=ひと。いや、それ以上かもしれないです。(笑) 昆虫の事を、神様の様にあがめています。昆虫の事になると、書きたい衝動が止まらないので、、書きながら脈が速くなってきたので、話を戻したいと思います。

息子も娘も、私の影響なのか、昆虫が大好きでございます。息子もやはり、私のDNAを受け継いでいるからか、春~夏は、小学校のお昼休みに、昆虫探索にいそしんでいる様子で、昆虫博士と言われているらしいです。(笑)

私が毎日通った学校で、自分の息子も同じように、生き生きと楽しく、自分らしく過ごせていることが、私も嬉しく思うこの頃です。

また、私が生まれ育った町、周南市でのびのびと子育てが出来ることも幸せに感じております。

昆虫になると、熱が止まらず、表現や行動の衝動が止まらない私ですが、これからどうぞよろしくお願いいたします(*^.^*)

本当は、もっと私の過去の昆虫の飼育などについて語りたいのですが。(カブトムシの卵を卵から成虫まで約70匹を育てた話しなど。)

今日はこの辺りで。

読んで下さり、ありがとうございました♪

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