娘がサンタに“渡した”クリスマス
冬になり、ちらほらと街がクリスマス模様になってきた。
今年、長女は 3 歳で迎えるクリスマス。
今年は 3 歳だから、そろそろなにか、欲しいものを言えるかな〜、と思って、長女に聞いてみた。
*
もうすぐ、クリスマスだね。サンタさんに、なに、もらうの?
(私の予想:なんだろう、トーマスかな?プリンセスかな?)
「サンタさんに あげるの」
えっ、もらうんじゃなくて、あげるの……?
サンタさんに、〇〇 が、あげるの?
「うん あげるの♡」
(…なんと。もらうんじゃなくて、自分があげるそうだ。なんてやさしい…)
そうなんだ…。何をあげるの?
「えーっとね〜♪おかあさんに あげる ぷれぜんと!♡」
えっ?
お母さんにあげたいプレゼントを、サンタさんにあげるの?
そう !♡ サンタさんに おかあさんに わたす プレゼントを あげるの
なんとー!お母さんにクリスマスプレゼントをあげたくて、それをサンタさんに、届けるよう託すそうだ。
クリスマスに、贈り物を “もらう” のではなく、サンタさんに “あげる” と聞いただけで、すでに感動だったのに、さらにサンタさんに渡すものは、お母さん (私) へのプレゼントだなんて。
半分涙目になりながら、さらに聞いた。
プレゼント、なにをあげるの?
「くまさんと、おび」
くまさんは、なにかよく分からないけれど、帯とは、七五三のときに締めた帯のことだ。
「おびをしてたとき、おかあさん すっごい うれしそうだったから」
だから、帯を、あげたいそうだ。
…なんだかもう、その発想そのものが、まさにクリスマスの “きらめき” だった。
それから、七五三がそんなに楽しかったのかぁと、今年をふりかえった過去までうれしくなった。
頭がくしゃくしゃになるほど、しあわせな気分。
*
あれから、何日たっても長女はずっと「サンタさんに、おかあさんの プレゼント あげるの」と言っている。
そうなのかぁ…。それじゃぁ、いっしょに、お買いものに行こうか。
娘といっしょに、サンタさんあげる贈りものを、買いに行くことにした。
…大人になっても、サンタさんからプレゼントって、もらえるんだ。
長女と買い物した時間。
それは、まさにクリスマスだった。
自分の物を選んでいるようで、自分の物を選んでいないような感覚。
私は、娘の目線で、“サンタさんにあげるお母さんへのプレゼント” を選んでいる。
自分から自分へ、一周回ってくるようで、はるか空の上のサンタの世界を巡って、買い物をしている。ふわふわとした夢心地。
こんなにクリスマスが始まる前から、クリスマスが楽しいこと、あったかな。
かわいくラッピングされた、サンタさんにあげる贈り物の、くまさん。
いっしょに選んだのに。中になにが入っているか分かっているのに。
サンタさんからもらえる日を、楽しみにしている。
“物としては買えないやさしい幸せ” が、こうして 「物」となったとき、
その “物” にはかけがえのない生命が吹き込まれたように見える。
自分がもらうより、人にあげたいこと。
お母さんが、うれしそうにしていたことが、すごく心に残っていること。
私は当たり前のように、「サンタさんに、なにもらうの?」と聞いてしまったけれど、昨年はまだ、たどたどしい言葉しか話せなかった 3 歳から、間髪入れず、すっとかえってきた答えは、大切な本質を含んだものだった。
人を喜ばせるうれしさ。
大好きなひとが、うれしそうにしている幸せ。
自分が手に入れたい物質ではなくて、もっと、さらに広い世界で、ほしいものを感じとっているんだ。
*
12 月は私の誕生月でもある。
誕生日は祝ってもらえるもの、なんて、あたり前のように思っていたら、きっと娘に顔向けできないなと思った。
誕生日を祝ってくれる人が、今年もあたり前のように、自分を囲んでくれる幸せ。
またひとつ歳をとってしまった、ではなく、この一年を、楽しく明るく過ごしてこられた奇跡。ひとつひとつ、着実に年輪を重ねてこられた喜び。
そういったことに、感謝の思いを抱く日。
長女がクリスマスに、サンタさんにプレゼントを “あげる” のなら、誕生日は、私がかけがえのない人たちに、感謝の気持ちを “渡す” 日のように思う。
*
買い物の帰り道。いつものようにはしゃぐ娘の、小さくあたたかな手を握りながら、
サンタさんは、ほんとうに、いるんだなぁ…
と、空を見上げた。
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*贈り物のくまさんの中には、たくさんの飴玉が入っています。
「おかあさんと おとうさんが なかよくいっしょに ワキワキ♪ (=分け分け) できるように」。
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