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望遠鏡の円で縁どられた秋

 まる  で縁どられた風景がきれいだ。

京都タワーにのぼった。

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望遠鏡をのぞく。

…! 
なんて美しいんだ…。

望遠鏡の円で、何気なく切りとられた風景は、東本願寺の庭園だった。

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なんて、美しいんだ…。


望遠鏡をのぞくと、思いもしない風景が、手にとるように見える。

展望台から一面に広がるミクロの世界を眺めながら、「だいたいあの辺り」と定めて望遠鏡をのぞいても、みると、あっと驚く絵画のような、円で縁どられた風景が映っている。

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きれいだった。

紅葉で彩とりどりの世界。
天からふりそそぐやさしい陽ざしが街全体を照らす。

展望台から見た街は穏やかだった。

私がまだ幼かった頃、両親に連れられて、大阪から東京タワーを見に、出かけたことがある。
それまでも写真だけでは見たことがあった。

「東京タワーにのぼるよ」

そう言われて、東京タワーにのぼるのを楽しみにしていた。 


いざ、現地に着いた。
そびえ立つ目の前の東京タワーを見上げる。

(幼い私)「無理かもしれない…」

(父)「・・・?」
(母)「・・・笑!」

私はそれまで、東京タワーを写真でしか見たことがなかったので、ジャングルジムのように東京タワーの鉄骨をよじ登るのだと思っていたのだった。

東京タワーを目の前にしてもなお、「無理 “かも” しれない」と、自力でよじ登る可能性を残している幼い私に、両親は大笑いだった。

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はじめて、娘たちが京都タワーにのぼった。
何度も下から見上げてはいたけれど、のぼるのは、はじめての娘たち。

「かいだん〜♪」とわくわくしていた 3 歳の長女。
どうやら階段大好き長女は、タワーの空の上のてっぺんまで、階段で上っていくつもりだったようだ。

案内人の方に尋ねてみると、階段はございません、とのことだったので、なんとか長女をなだめ、

「また今度、東京タワーを階段でのぼろうね」

と励まして、今回はエレベータで頂上までのぼった (東京タワーは600 段の外階段をのぼって展望台まで行くことができる)。



私は小さい頃、なんとなく京都タワーよりも東京タワーの方が、外見がいかにもタワーっぽくてかっこいいと思っていたけれど、
あるとき京都タワーが「灯台」をイメージをしていると知ったとき、すごく自分のなかで合点して、京都タワーが一気に魅力的に感じられ好きになった。

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東京とちがって、低い建物や寺社がならぶ京都の街並み。
とくに夜景では、そんな京都の街が、波風たたない静かな夜の海のように見え、そこで京都タワーが穏やかに灯っている。

あんなにどっしりとしたタワーを、ビルの上に、ビルをつぶさないように絶妙に建ててしまう設計にも、ほんとうに感嘆してしまい、それが、京大工学部らをはじめとした尽力によって建てられたというのも、なんとなく親近感がわいてうれしい。

秋の京都が、円で縁どられた絵画のような風景。それには動きがある。

秋風にゆれる山々。
ピカピカに磨かれたビルのガラスに映る、流れゆく雲。
楽しそうな人、鳥。

そんな風景を見させてもらっていると、京都タワーが、京都を見守る母性のようなものを持っているように感じられた。

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