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書くときに、ふとあらわれる、打ち上げ花火の法則

note を書くとき、空を見上げて、すこし考える。
空は、いろんな感情を素直に引き出してくれる。

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空を見ていると、ふと、打ち上げ花火の法則、が思い浮かぶ。

『打ち上げ花火の法則』というのは、わたしが勝手に名付けたものなのだけれど、ひとことで言うと、
『ある事柄を、ひゅ〜っと一度、空に上げて、抽象化・一般化して、ふわ〜っと地上に降りてきて、ほかのものに還元すること
だ。

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これは、まだ私が京大に入学する前、浪人していた頃、勉強をしながら考えたもので、当時、私に最も足りなかった考え方であり、同時に、これからの人生で最も大切にしたいと思っている考え方のひとつだ。

打ち上げ花火の法則は、勉強だけじゃなく、ありとあらゆるものに通じるから、おもしろい。
ちょっと難しそうに思うかもしれないけれど、じつは単純なので、読んでほしい。

打ち上げ花火の法則とは。
ある目の前の事柄に出会ったとき、それを、いったん、ひゅ〜っと空にあげて、抽象化・一般化する。
そして、それを、またふわ〜っと地上に降りてきて、別のものに還元すること。


たとえば、勉強中に見いだしたことなので、数学の問題に例えてみると、
目の前の難問に出くわして、その問題の答えを導き出すとき、
「要するにこの問題はなにか」
を、いったん宙に上げて考える。

そして、この問題は、ベクトルでも解けるし、ラジアンでも解ける、というふうに、空の上で、抽象化したいくつかの方法を思い浮かべる。
『その問題を、一言で表すと、なにか』を考えるのだ。


そして、その抽象化した方法の中から、最適な方法を還元し、地上に舞い降りてきて、目の前の問題に用いるのだ。

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それからまた、別の問題に出会ったときも、同様に、対応する。
つまり、まったく別のように見える問題に出会ったとき、またいったん、ひゅ〜っとその問題を宙にあげて、この問題は要するになにか、を考える。

すると、雲の上で、あ、あの抽象化事項が使える!、とひらめく。

すると、その「既に」空の上にあった抽象化事項を、ふら〜っと地上におろしてきて、まったく別のように見えたその別の問題に、適用できる。

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note の話をしているのに、いったい何を読まされているのか、と思う。

でも、ここで伝えたいことは、いったん空に上げて、抽象化することで、全然ちがうように見えるものが、一気につながるということ。
そして、それは試験問題だけではなくて、ありとあらゆるもの、たとえば日常の心にも通じているということだ。

私は、note を書くようになって、日常の生活でも空を見上げるようになっている事に気が付いた。

たとえば、目の前の事柄に対して、楽しい、なんだか物悲しい、といった、単純な感情で終わってしまうのではなくて、もうちょっと自分の感情と向き合うというか、これはいったい、どのような感情なのだろう、と考え、いったんひゅ〜っと空にあげてみる。

たとえば、この前の「最後と思わないまま経験する最後」の記事だと、授乳が終わってさみしい、という感情だった。
それを、空に上げて抽象化してみて、なんでさみしいのか、と考えてみる。
すると、「最後と思わないまま最後の授乳を経験してしまったから、さみしい」と思った。

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この、『最後と思わないまま経験する最後』という抽象化・一般化したことを、空を見上げながら考えていると、

そういえば、〜の話とか、〜の話とか… (抱っこ紐の話とか、桜の話とか…)

と、いろんな自分のなかの「最後と思わないまま経験する最後」という事柄につながってくる。
それを、地上におりてきて、それぞれの事柄に還元して、書く。

もちろん、思いつきのままの気持ちをストレートに note に表現することもある。でも、こんなふうに、打ち上げ花火の法則がふと浮かんできて、書いているときもある。


note の世界には様々なすごいクリエイターさんたちがいて、文そのもので、もう、陽だまりのような心地にさせてくださる人もいるし、美しい絵画のような文を書く人や、いつもオチがあったり笑いのある漫才師のような文を書く人もいる。
けれど、わたしはそんな文才はないから、そういう文は、読む側として、楽しませてもらっている。

逆に、自分が書くときは、自分らしく書く。

私は文を書くのが全く得意ではない。だから、note を書くとき、ちょっと考えて、言葉にしようと努力する。

そのとき、空を見上げる。

もやもや〜としたものを言葉にするとき、空を見ながら、自分の内面と向き合っている。

言葉にできない感情を、なんとか言葉にしようとすることで、過去と現在の感情が、不意につながってきたり、あんな場面やこんな場面での経験が、一筋につながって、その場かぎりの経験だったものが、自分の中でつながり、自分の真髄となって、言葉として表れてきてくれる。

note に書くときには、こうして抽象化したことを、タイトルにすることも多い。
そうすると、最初、言葉にできないと、もがいていた、一番表現したかったことが、素直に表現できるような気がする。


私はいつも、note を書くためにネタを探すようなことはしていない。あるとき思わず湧き上がってきた感情を、書く。
だから、ネタを探す努力をしない代わりに、あるとき note に思わず表現したくなった感情が湧き出てきたとき、それを言語化することに努力する。

そんな「もがき」のような心情にあるとき、ふとあらわれる打ち上げ花火の法則は、自分のなかでのいろんな感情と感情をつなげてくれ、さらに感情と言葉を、つなげてくれる。

note の書き方は、人それぞれ。
私もだんだんと書いていくうちに、自分のもやもや〜とした掴みどころのない心を、すっと表現できる人になれればうれしいなと思う。

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