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6_強く生きることへの決意

こんばんは、加藤です。

実は今年の6月中旬、母が亡くなりました。
59歳でした。

あまりにも突然のことで、父から電話をもらったときは泣き叫ぶしかありませんでした。

すぐにでも電車に飛び乗り実家に駆け付けたい気持ちがありましたが、その時の精神状態が普通ではないことは分かっていたので、安全のために次の日の始発で向かうことにしました。(当然一睡もできない)

そして、実家に到着し、布団の上に横たわる母。
まるでお昼寝をしているかのように、穏やかな表情でした。
「そこにいるのに、もうそこにいない」
頭では、もう声が届かないのは分かっているのに
「おかあさん」と、何度も何度も泣き叫ぶ以外、できませんでした。

母は病によって、長年苦しんでいました。
私が新卒の頃から病気に苛まれ、一時期は旅行にでかけられるほど元気になりましたが、ここ数か月で病状が悪化しました。
本当に、ここ数か月です。
変わり果ててしまった母を直視するのが辛い日々でした。

母が私に心配かけまいと、本音を隠していたことも露知らず。

しかし、一番つらかったのは、母本人だと思います。
最近見つけた本に、心境が語られていました。本といっても、野菜栽培の表紙の裏側。1回書いた文字を二重線で消して、また同じ文章を下に書いている。「やめよう、でもやっぱり残そう」という当時の母の極限まで高まっている感情の往来や、葛藤が伝わるもの。一方で、遺す人への想いに溢れた優しい字でした。

「結局は、母に対して何もできなかった自分自身」に対して憤りを感じます。それは今でも。


母と最期に会ったのは、5月上旬。
そして、最後に話したのは、亡くなる2日前。6分41秒のLINE電話。
まさか、それが最後になるなんて思いませんでした。

もう彼女の口からは何も聞けない。
本音を知ることもできない。
想い、頑張ったこと、成し遂げたことを伝えることもできない。
「生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう」と伝えることができない。

でも、母のことを愛し、感謝し、大好きだという気持ちは本物です。
たとえもう伝わらなくても、この気持ちが真実なことには変わりありません。
火葬されるまでの間、これまで会えなかった時間を埋め合わせるように、母のとなりで寝そべりながら、彼女の横顔をずっと眺めていました。
たとえ、「そこにいなくても」大好きな人の寝顔は、どんなに眺めても愛おしいものなのだと初めて知りました。

私の中で、決めたことがあります。
①どんなに苦しくても辛くても、人前では絶対に泣かないこと・機嫌よくいること・平常心で振る舞うこと。
②悲しい感情に49%はもっていかれてもいい。ただ50%以上、持っていかれないこと。
③「忙しい」を理由にして、大切な人と会う事をやめないこと。

①これは周りの人に不要な気遣いをさせないための配慮だと思っています。そして、「人を心身共に元気にする人」が「この人大丈夫かな。疲れてないかな」と心配されることほど、プロ意識に欠けるようなことはしたくないからです。私は勘違いされやすいと自覚しているので、ふつうの人よりも意識しなければならないところです。
そして、少しだけ、意地でもあるかもしれません。

②これは尊敬している方に教えていただいた理論なのですが、非常に納得しており、大切にしたい考えです。感情は自然に沸き起こるものだし、コントロールは難しいけれど、49%までは許容する。だけど半分以上は感情の波に飲み込まれない。「ある一線」を超えさせないように努めること。そして、努めると決意すること。

③大切な人よりも優先しなければならない「忙しいこと」って何だろう?と。
母が亡くなったことを機に頭を殴られるように突きつけられました。
だから、「忙しい」という理由で人に会わないのは止めようと。
絶対に後悔するから。

先日、母の四十九日法要が終わりました。
生前、母の願いが「元気になったら、親戚と一緒に草津温泉に行きたい」というものでした。最期の願いを叶えるために、草津温泉で一泊してきました。
四十九日までが喪に伏す期間とありますが、機械ではないので、そんなにキリ良く「切り替え」はできません。電車に乗っているとき、歩いているとき、ふと思い出してしまうものです。だから、少しずつ、一歩ずつだと感じています。

大切な人との「別れの受け止め方」は、関係性の再構築だと思っています。
どうやって、故人との関係に納得し、受け入れていくかのプロセス。
きっと、故人の思い出、気持ちに思いを馳せることもプロセスの一種だと思います。

だから、気分の落ち込みは当然に経るべきプロセスだと思うし、一定期間であれば不健全ではない、と。

「故人との別れ」についても、万人に共通する正解はないと思います。そして、求められてもいないのに、他人が死について自説を繰り広げる必要性はないということも理解しました。
なぜなら、
①亡くなった原因(病死、事故死、自死など)、生前の関係性によって、「さようなら」を言う心境は全く違うから
②個人の死生観につながるから

同じ「親子」とはいえ、家族によって在り方は異なるもの。この世に同一の関係性などあり得ないと感じるのです。

話は戻り、私にできることは「生きる」ということ。
どんなに辛くても、悲しくても、前に進もうとする。
残酷にも、時間は私たちの気持ちに寄り添って、立ち止まり、待ってくれはしないから。

「私たちは人生に何を期待するのか」のコペルニクス的転回としての「人生は私たちにに何を期待しているのだろう」の問いに答え続けることのみ。
人生は楽しいことばかりではない。むしろ大変だと感じることの方が多い。

「生きること」について、高尚な考えや意見を提示するつもりもありませんし、そんな大層なことは私にはできません。

ただ、今まで以上に残された家族を大切にしようと誓ったこと。
強く生きようとすること。

この点は、何よりも強い決意です。

そして、色々な形で、支えてくださった方、寄り添ってくださった方、勇気をくださった方の存在に感謝しています。言葉では言い尽くせない程、救われました。本当に、本当にありがとうございます。



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