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私たちは皆、地球ではなく頭の中に住んでいる。

あなたが今もし座っているなら、おしりの感覚を感じてみてください。あなたがもし今立っているなら、足裏の感覚を感じてみてください。

その感覚は、あなたが意識を向ける前から確かに身体は感じていたものですが、意識を向けるまでは身体の感覚とは裏腹に、思考では気づいていないものです。

私たちの脳内には、「脳幹網様体賦活系(のうかん もうようたいふかつけい)」というフィルターのような役割をする器官があります。このフィルターは簡単に言うと「あなたが意識しているもの・ことだけを見る・聞く」という機能を持っています。つまり、意識していないものは、物理的に目や耳に入っているものでも、実際には見ていないし聞いてはいません。

つまり、同じ現実を見ていると思っていても、意識を向けている先が違えば、全く異なる「現実と思っているもの」を見ている訳であり、さらに私たちは認識したものに自分なりの解釈・意味付けをして現実を捉えているため、「現実をありのままに見ている」なんてことは全くしていなくて、「現実だと思っているイメージ・ドラマ・フィクションの世界を見ている」のです。

この「意識」というものが、いかに私たち人間の思考をハックし、私たちを思考の住人たらしめているのかについて(そしてその思考がもたらす結果としての現実が、いかに┐(´∀`)┌ヤレヤレな感じになっているかについて)、脳科学や心理学・生物学など様々な視点からお話してみたいと思います。

と、その前に。このnoteを何気なく、あるいは興味をもって開いていただき、ありがとうございます。これもあなたの脳が、数えきれないほど膨大な情報の中から、たまたまこちらに意識を向けてくれたからこそのご縁です。ゆっくり自分の時間を過ごせる(割と暇な)今年のGWでなければ、このnoteには出会って頂けなかったかも知れません。
ここから少しの間は、小説の世界に入り込むような気持ちで、先を急がずリラックスしてお付き合いください♡

目ではなく、脳が現実を見ている

人間の脳は、1秒間に4,000億ビットもの情報を受け取っていますが、そのうち脳が処理するのは2,000ビットであると言われています。なんと、200万分の1%まで処理する情報を絞っているのです。なぜなら、4,000億ビットもの情報を一気に処理するには821年もかかります。そのため、脳は情報をフィルターにかけ、その多くを捨てています。そしてそのフィルターは人によって異なります。これが「脳が現実を見ている」という理由です。

私たちは、誰かと一緒に同じものを見ている時、相手と自分は同じ現実を見ているはずだと勘違いしています。しかし、人それぞれで現実は全く異なります。何を意識しているかで、目の前に現れる現実は変わってしまうのです。

例えば、私があなたと一緒に街でデートしていたとします。私は和食が好きなので、街をキョロキョロ見回していると、和食のお店ばかりが無意識に目に入ります。すると私は「この街は和食のお店が多いね〜!」とあなたに言うはずです。しかしあなたがラーメン好きだった場合、「え?和食のお店なんてあった?それよりラーメンのお店めっちゃ多くない?激戦区?」なんてことになります。私にとって、この街は「和食が多い街」、あなたにとってこの街は「ラーメン屋さんが多い街」という現実へと変化した訳です。同じ街を一緒に見て歩いていたにも関わらず。

これは物理法則としても言及されています。量子力学の世界では「量子は(物質)になっている時と、(非物質)になっている時があり、人間の意識が介入すると物質化し(粒となり)、人間が意識してないと非物質化する(波となる)」と言われています。意識を向ける(バイオフォトンと言う光子を、意識を向けた先の量子に照射する)と、それら量子の時間と位置が決まり、物質化するのです。

私たちは三次元+時間の物質的な世界に生きていますから、物質化されたものを"現実"や"世界"と見なします。つまり、意識する→物質化する→現実と認知する、という流れが発生します。「意識が現実を創る」という言葉は、引き寄せの法則とか言われたりしますが、量子力学的にも物理法則として言われている訳です。

ただ、この「意識」の9割以上が無意識だから(つまり顕在意識で思考出来ない=自覚出来ない領域だから)、私たちは現実をコントロール出来ずに困っている訳です。(よく意識のうち顕在意識が5~10%で潜在意識が90~95%と聞きますよね。その潜在意識のことをここでは無意識と呼んでいます)

逆に言えば、自分の潜在意識にアクセス出来ると、どんな自分の意識が目の前の現実を創り出しているのかを理解出来ます。でも、潜在意識は思考(顕在意識)でアクセス出来るものではありません。どのようにしたら良いのでしょうか?それは、「現実を観察することで、自分の無意識を知る」ということです。が、急がず順番に見ていきましょう。

氷山モデル

固定化された思考パターンが思い込み(信念)となり、無意識下で現実を創る

人間の脳は、体重の約2%の重さに関わらず、人体エネルギーの約20~25%を消費します。そのため、なるべく消費エネルギーを減らすべく、余計な思考を減らして省エネ化し、すぐに思考をパターン化するようになっています。この固定化された思考パターンが、その人の「思い込み(信念)」となります

私たちの思考は、信念という器の中で発生するものなので、信念の枠を出た思考をすることは、自分の信念に相当自覚的でない限りほぼ出来ません。例えば「自分は優秀でいないと嫌われる」という信念を無意識に持っていた場合、優秀でいること以外の思考や行動は生まれないということです。

更に先ほど話した通り、意識が目の前の現実を創りますから、思い込み(信念)は現実のものとなり、その現実を見て「やっぱりね」と確信し、さらに思い込みは確固たるものとなります。だから思い込みから抜け出すのはとても難しく、本人にとってはそれが思い込みなんかではなく「事実」となるのです

私たちは、「相手をありのままに見る」ということも、中々出来ません。なぜなら、「この人は、こういう人だ」というフィルターを一度創ってしまうと、無意識に相手ではなくそのフィルター自体を見続けてしまうのです。それにより、「相手と一緒に居る」つもりでも、実は「自分の思考と一緒に居る(相手というイメージと一緒に居る)」ことになり、無意識に相手の新たな可能性も、相手と自分の関係性の可能性も、奪ってしまうことになり兼ねません。

私は昔、両親に対する自分の思い込みの強さに気づいた時、とても衝撃を受けました。私にとっては母親も父親も、いつも「自分を守ってくれる強い存在」で、自分が過去に創り出した理想の両親像を、勝手に本人達に投影していたのです。しかし彼らも自分と同じ、些細なことで傷つき怒り涙する、同じ人間であるという当たり前の事実に気づいた時、「私は今まで両親というフィルターを見て生きてきて、本当の両親を見ることをして来なかったのかも知れない」と感じ、恥ずかしさや申し訳なさで大泣きしたのを覚えています。子供の頃に「両親は、こういう人だ」と決めつけた時から、当然両親も進化し成長しています。今目の前にいる両親が、今日は一体どんな人間なのか、新鮮な気持ちで見続けたいと感じています。

また、「相手をありのままに見る」ことが中々出来ないことと同様に、私たちは「自分自身をありのままに見る」ことも出来ません。生まれてから創り上げてきた「わたし」というセルフイメージ・つまり自己認識に囚われ、自分を見ているようで、実は自分というフィルターを見ているのです。そして「わたし」という自己認識こそが、あなたのピークパフォーマンスや幸せになることを制限します。人類が主観的な幸せ・Well-beingをいつまでも感じられない大きなボトルネックは、「わたし」という自己認識にあります。つまり、「わたしの問題」ではなく「わたしという問題」なのです。

さて、思い込み(信念)の中でも、大きなもの(絶対にそうであると信じ込んでいるもの)は、私たちが過去、特に幼い頃に体験した「自分にとって、すごく安全な体験&すごく脅威の体験」によって創り出されます。

私たちの神経系は、私たちが意識していないところで、絶えず「自分は今、安全か?安全では無いか(脅威か)?」を評価し続けています。これは哺乳類が生き残るための生存本能であり、安全で無い状況であれば闘争/逃走をして、それでも対処出来ない場合はシャットダウン/解離をする、と言う防衛反応が働くようになっているのです。この生理学的な「身体的反応」は、意識的な思考による行動とは異なり、無意識のレベルで反射的に行われるものなのです。よって、「自分の行動は自らの選択の結果であり、自己責任である」という論調が多い世の中ですが、自分の選択とは異なるところで神経系の作用により防御反応が出ることがあるということです。その反応が出た場合は、自分が弱かったのではないかと責めることなく、身体が生命を維持する目的で最善の反応をしたのだと、あなたの身体は勇敢だったと承認してあげてください。

私たち人間を含む数種類の哺乳類は、生きていくために長期間社会の中で相互依存的な関わりを必要とします。例えば、人間は生まれてからすぐ、母親からの世話を受けないと生きていくことが出来ないですし、生殖・子育て・睡眠・消化など生物学的な行動を果たすためには、他者との相互依存による「安全」が必要になります。

人間にとって「安全が必要」ということは、「人による」問題ではなく、生物学的に「人間が他者との交流を通した安全を必要としている」ということであり、逆に言えば「他者から孤立する」ことは、人間にとってトラウマ的な出来事となり、生死に関わる問題であると神経系は判断するのです。よく職場で「心理的安全性が必要」という言葉が使われますが、これは人間が生存本能として必要としているということです。弱い者だけが安全を必要としているという風に、認知的偏見を持たないでいたいところです。

そして、幼い頃に「これは安全だ」と判断した行為(例えば、良い子でいると母親から褒められる・愛される)や、「これは安全ではない」と判断した行為(例えば、わがままを言ったり自己主張すると嫌われる・愛されない・孤立する)等は、大きな信念として無意識下に刻まれ、大人になってからも毎日稼働し続けます(むしろ子供の頃より大きな信念になっています)。特に過去の脅威の体験によって生み出された信念は、「未来にもまた同じことが起きるのではないか」という思考を創り出し、「不安や恐れ」を未来に投影します。つまり、「過去の苦しみを繰り返さない為の未来」を思い描いている訳なので、その未来は単なる「前方に映し出された過去」に過ぎず、無意識の信念にコントロールされながら生きていることが多いのです。

「良い子で期待に応えないと、上司からの評価が下がるのではないか」「物分かりの良い妻を演じないと、夫に見離されるのではないか」このように、幼い頃、主に両親から感じた脅威は、大人になってからも相手を変えて、特に身近にいる人物に投影され続けます。良好なパートナーシップを築くことが難しい所以は、過去に両親との関係によって築き上げた信念が影響していることが多いのです。(しかし無意識下で行われているので、本人は自覚出来ません)

このようなメカニズムにより、私たちは起きるか分からない未来に不安を抱き(しかも大抵は起きない)、最悪のパターン(幼い頃に体験した脅威と同じ体験)にならないように回避行動をし続けます。これが、中々人が行動を変えられない所以です。

しかし実際は、最悪のパターンを回避しているようで、実は全く回避していない、ということが起こります。最初にお話した通り、意識が主観的な現実を創ることがポイントとなります。

例えば「結婚したらor特定のパートナーを創ると、不自由になる(安全が脅かされる)」という信念を無意識に持っている人であれば、起きている現実の中から、この信念の通りの現実、つまり不自由であるという現実しか見ません。なぜならその人のフィルターがその現実だけを見るように設定されており、それ以外の安全を感じられる現実も当然起きている訳ですが、現実は目ではなく脳が見ているため、本人はそのことに気づかないのです。そうなると、信念はいつまでたっても現実のものとなり続け、その人は一生不自由を感じ続けます。

さらに、「安全が脅かされない為に」結婚したくないと考えているにも関わらず、本人は他者と一緒にいることに不自由な現実しか見ることが出来ず、それによって他者と深い関係性(人間にとっての安全)を築くことから距離を置いてしまうので、結果として、本人が欲しいと思っている安全は得られないのです。つまり、「安全が欲しいから、安全から距離を置く」という┐(´∀`)┌ヤレヤレな結果を創り出しています。私はこれをやっていたことに気づいた時、漫画のように頭を抱えました。

本当の願いに気づき、フィルターを好きなように再創作する

しかし、実はフィルターは、どうとでも好きに再創作・選択できるということを自覚出来れば、現実は変わります。

自らのフィルター(信念)に気づき、その信念を過去に創り上げた背景と、その裏側にある願いに気付ければ、その本当の願いを現実に創り出すフィルターが何なのかを、自らの手で再創作することが出来ます。

しかしここで大事なのは、フィルターの再創作は「ポジティブシンキングでは無い」ということです。ポジティブシンキングは、実際はネガティブだと心の中で思っていることを、無理矢理ポジティブに変換する作用がありますが、それは心の中では「ネガティブだからポジティブに捉え直してる=本当はネガティブだ」と囁いてるのと同じことであり、結果としてフィルターは変わっていないので現実も変わりません。フィルターの再創作とは、「自分が過去に、大きな脅威や痛みを感じた際に創り出した、自分の本当の願いでは無いフィルター」を「自分の本当の願いであるフィルターに戻す」ことを意味します。「新たに違うものに変える」のではなく「本当の自分に戻る(本来の自分の好きや嫌いを憶い出す)」ことです。

例えば先ほどの例で、「結婚したら不自由になる(安全が脅かされる)」というフィルターを創り上げた背景が、幼い頃に母親と父親の関係を見ていて、「結婚すると(大切な人を創ると)、相手を失った時の悲しみや痛みが尋常では無く大きい」と感じ、「大切な人を創ることは、安全なことでは無い(すごく脅威なことである)」と判断し、信念を創り上げていたとします。しかし、この判断の裏にある本当の願いは何でしょうか?「大切な人(安全な人)を失いたくない(=ずっと大切な人との関係の中で、安全を感じていたい)」となりえます。

その願いに自覚的になれば、その現実を創り出す為にどんなフィルターで主観的現実を見て、本来の自分に戻りたいのかを選ぶことが出来ます。

今までは「この人と一緒にいることで、どんな不自由な未来が待っているのか」というフィルターで相手を見ていたかも知れませんが、「この人と一緒にいることで、どんな素晴らしい体験を創り出せるんだろう。私たち2人だからこそ味わえる、最高の体験やつながり・愛は何だろう。」と、「ない」ものから「ある」ものへと視点・意識の変換が出来ます

それと同時に、起きてもいない未来を恐れるあまり、今(現在)を大切にしない、なんていう本末転倒なことをしなくて済みます。未来は現在の積み重ねですから、今を未来の為に犠牲にしたら、未来も犠牲にしていることと同じなのです。また、未来を相手に委ねることなく、「共に」創作する未来を選べます。

私たちは普段、「ある」ものへの感謝を忘れ、「ない」ものに執着して生きています。そして無意識に、「ない」のは相手や社会のせいだと思っている節があります。(幸せなパートナーシップを築けないのは、相手が運命の人ではないから。お金が無くて苦しいのは、社会や家族・環境やシステムのせい、などなど)

しかし、「自分の状態を相手や環境のせいにする・依存する」ということは、自分自身に対して「私には力が無い。現実を動かす力が無い」と囁いているのと同じです。自分で自分を力無き存在として扱うことに、実は自分は傷ついていることに、私たちは中々自覚的になれません。

しかし、ここまで読んで頂けた方なら、「現実は、自分の意識(フィルター)次第だ」と気づいて頂けるかと思います。そして私たちはひとたび「ある」ものがいかに多いかを自覚すると、その有り難さと奇跡に感謝せざるを得ないのです。

部屋を見渡せば、誰かが『あなたの毎日がもっとよくなりますように』と祈りながら創った物ばかりに囲まれてることに気づき(その多さたるや気が遠くなるほど...)、自分の身体を感じれば、生まれたその日から誰の指示も受けずに絶えず鳴り続けてくれている心臓の鼓動に気づき、命が今日も"ある"ことに気づきます。

私たちの多くが「ない」に意識を向けてしまう理由は、「自分の信念(フィルター)に自覚的でないから」です。つまり、信念と同化し信念に使われているのです。しかし、ひとたび自覚すれば、それは信念を対象化して扱えることを意味しますから、信念を自由に・そして軽やかに使う側にいくことが出来ます。では、どのようにして信念を使う側に行くかというと、「現実を観察し・自らの信念や願いに気づき・本当の願いに従って行動する。そしてこれをプラクティスし続ける」なのです。

「何者でありたいのか」に気づき、プラクティスし続ける

私たち人間は、産まれてから今までずっと「正解を選択し続けること」をプラクティスし続けてきました。全ての物事を「正解」と「不正解」の二元論で判断するようになり、「親のしつけに対する、子供としての正解の行動」「友達や恋人に嫌われないようにするための、正解の行動」「学校教育の中で、授業やテストで正解を選び続ける行動」(私たちは時に生理的反応であるトイレに今行っていいかさえも、先生に確認して、正解を選ぶのです。)「社会人になれば、会社に置ける正解の行動」「結婚すれば、パートナーやパートナー家族に対する正解の行動」それら正解を選び続けることで、幸せになれると信じてきたのです。

しかし、社会一般的に言われる「正解」は、誰かが決めた正解であり、あなたにとってではなく他者にとっての正解であることが殆どです。多くは、管理する者にとっての正解です。例えば今の学校教育は、産業革命以降の「工場労働者向けの教育」がベースになっています。短い時間でより効率的に多くのものを流れ作業で機械的に生産する為に、子供は思ったことを自由に発言するのではなく、機械のように、先生の言うことを大人しく聞き、早く正解を選択し続ける必要があります。

しかし、その場の正解が何であるかだけでなく、自分はどう感じるのか、どうしたいと思っているのか、それを相手に分かち合いながら、相手の意見も受け入れる力・そのような社会交流を促進する神経回路を訓練しなければ、子供たちは大人になってからも、困った時に自己調整をかけたり、他者と協働して調整をかけることが出来ません。

しかし、多くのことが機械やAIに代替可能になってきている中で、人間として大切な力は「創造力」であると言われていますが、その創造力をいつ育むのでしょうか?「既存の発想に囚われないアイデア」は、既存の発想=これまでの正解ではなく、自らの正解や好奇心を信じる力が必要になってきます。つまり、「これは、社会的な正解/不正解か?」と言う視点だけではなく、「自分にとっての正解=これは、自分が望む・好む方向に対して、役に立つか/立たないか?」と言うモノサシを自らで持つことが必要になります。自分が望む方向とは、「自分が何者でありたいか?=本来の自分を思い出す」と言うことです。他者が期待する自分の在り方ではなく、自分がどう在りたいのか。それを自覚することが大切になります。しかしここでも大事なのは、ポジティブシンキングによって別の新たな自分に変わろうとするのではなく、本来の自分でいる(自分の好き嫌いが分かっている状態でいる)ということが大事になります。

私たちはこれまで、自分ではない誰かに認識や人生をハックされる人生を送ってきました。つまり、他者のレコメンデーションによって、自分自身を決めてきたのです。しかしそうし続けるかどうかは、自分で選ぶことが出来ます。「わたしは何者なのか?」と言う自己認識を、憶い出し、自分で持つのです。今この瞬間に自分が感じていることに忠実に、創造活動をする。その創造・表現を通して、自分が何者であるかを感じる。これを思考の中ではなく、実際に体験・体現していくのです。

そしてそれは、一度自己認識を持ったらおしまいと言うことではなく、その在りたい自分でいることを、プラクティスし続ける必要があります。なぜなら、私たちは「他者の正解を選ぶこと」を何十年もプラクティスし過ぎたので、「自分の正解を選ぶこと」もプラクティスし続けないと、無意識は常に「他者の正解」を選び続けてしまうのです。(プラクティスし過ぎで、顕在意識で思考せずとも、無意識で稼働し続けてしまっているということです。私たちが最初は出来なかったのに、今では当たり前のように走ったり自転車に乗ったりしてるのと同じことです)

望む自分で在り続けるには、プラクティスが必要。私は経営者コーチングや企業向けセミナーの講師の仕事をしていますが、コーチングを提供する理由はここにあります。つまり、「クライアントの望む現実が、どんなクライアント自身の信念・思考・行動によって、引き起こされていないのか/引き起こされているのか」を、共に継続的に観察し、彼らの現実がどんな無意識から引き起こされているのかに、絶えず気づき続けることをプラクティスする為にコーチングをしているのです。

私にとってコーチングとは、「クライアントが、自ら望む現実を、自らの手で創造する力」を引き出し育むことを意味します。そして、現実がどのように創造されるか?のメカニズムは、既に話してきた通りですが、私たちがよく陥るパターンは「望む現実のゴールを設定する⇒達成する方法を思考する⇒行動する⇒何かしらの結果が出るので、分析・計画(思考)する⇒行動する⇒分析・計画(思考)する⇒行動する」を繰り返すことです。

しかし、冒頭にお話した通り、思考は信念の器から作られます。つまり、自らがどのような「視点」から思考しているのか?に自覚的でないと、せっかく素晴らしい目標を掲げても、その目標を掲げていなかった頃の昔の自分の視点・信念と変わっていなければ、結局昔と同じ現実が引き起こされてしまい、目標を達成することが出来ないことがあります。なので、思考⇒行動⇒思考⇒行動を繰り返す前に、観察(視点の観察)⇒思考⇒行動、と「観察」を入れてあげましょう。それにより、あなたの現実創造の質とスピードは格段に上がるはずです。

コーチングの良さの1つは、この「観察」の精度が上がることです。コーチから様々な問いを貰うことによって、自分が無意識に設定しているフィルターにより今まで気づいていなかった無意識の部分へ、アクセスしやすくなります。そして、自ら解決の糸口を見つけ、行動に移すことをプラクティス出来ます。その体験は、自分の大きな可能性を信じることに繋がります。

自分の新たな可能性を信じることは、あなた自身をエンパワーメントすることにつながります。そしてそれを体現することは、他者をもエンパワーメントし、それらは数珠繋ぎのように繋がり広がっていくのです。

コーチをつけなくても、自分の信念や、自分が何に意識を向けやすいかに自ら気づく方法はたくさんあります。その中でも一番手っ取り早く簡単なのは「瞑想」だと私は感じています。

目を瞑り、外側に向いていた意識を内側に向け、絶えず湧いてくる思考を観察してみてください。ちなみに人は1日に約6万回思考すると言われており、それは起きている時間の約1秒に1回思考することを意味します。

絶えず浮かんでくる考えに、「これは良い考え、これは悪い考え」といった評価・判断を下さず、「こんな考えが浮かんできているな〜」と、思考が浮かんでいる事実それ自体を観察します。つまり、思考と同化せずに、思考そのものを神の視点で観察するようなイメージです。普段私たちは、思考と同化しています。なので、思考そのものをメタ認知することはあまり無いのです。しかし、思考を観察すると「私って、普段こんなことをよく考えているんだな」ということに気づくことが出来、自分が何に意識を向けているか=どんなフィルターを採用しているか、に気づきやすくなります。

近年のマインドフルネスブームにより、瞑想を行う人は増えてきていますよね。気づく力や集中力・創造性が高まるということで、ビジネスの世界でもGoogle、IBM、インテル、P&G、フォードやスタートアップ企業などの欧米企業では社員研修プログラムとしても取り入れています。しかし、実態がよく知られていないことで、なんだか怪しいと思ってやっていない人も多いと思います。

瞑想には様々な効果がありますが、特に「自らの不安や恐れの感情と上手く付き合う」という部分にフォーカスして、脳科学的にその効果をお話しますと、人間の脳内で情動(感情)反応の処理に主要な役割を持つ部位とされているのが扁桃体です。進化の過程において、動物が生き残る為に、特に恐怖や痛みを感じる時に大きな役割を果たすようになりました。動物にとっては、痛みを感じたり嫌な思いを避けるということは、生き延びる為の最も大切な手段であったためです。

現代社会では、昔のように野生動物にいきなり襲われることもなく、人間が生き残る上での安全性は殆ど確保されていると言えます。しかし過去に起きたネガティブな出来事の記憶や、未来への不安を繰り返し感じることで、実際にはその出来事が今現実には起きていないのにも関わらず、扁桃体はネガティブなメッセージを「安全を守る為の警告」として発し続けることになります。これが継続すると、些細なきっかけでも扁桃体が活発に反応しやすくなり、ストレスホルモンが分泌され、交感神経を緊張させ、血圧や心拍数の上昇、発汗などの反応が引き起こされます。職場で心理的な安全が得られず、どんどん萎縮してしまう人がいるのは、このようなカラクリからなのです。

その一方で、この扁桃体をコントロールしている部位があり、それは前頭前野という部位です。前頭前野は、思考や理性、創造性を司る脳の最高中枢であると考えられています。社会の中で生きている人間は前頭前野を使うことで、原始的な欲求や感情を抑え、バランスを取り生きていくことができています。これに対して、前頭前野の活動が低下している脳では、感情の調整が上手く出来ず、些細な出来事で悲しみや怒りを爆発させてしまったりすると考えられています。

しかし最新の脳科学の研究により、瞑想をすることで前頭前野が扁桃体をコントロールする力を高めることができると分かってきました。扁桃体が小さくなることでストレスが減り、リラックスすることが出来るのです。リラックスできれば、自分の思考をメタ認知しやすくなりますし、気づきを得るにはもってこいの状態です。

コロナの影響により、自分に向き合う時間を多く取れる今だからこそ、ぜひゆっくり瞑想をしながら、自分の信念や感情、身体感覚を味わって見てください。

最後に

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。きっと知的好奇心の強い人たちですね。気が合うので友達になってください。ふ〜、一気に書き切りましたが、本人が一番驚いているほどの大作となりました。けっこう疲れましたが、もう一息です(`・ω・´)!

令和という時代は、「Beautiful Harmony(美しい調和)」と訳されますが、1人1人が表現の自由を謳歌しながらも、全体として美しいハーモニーを生むこと。そして人々が美しく心を寄せ合う中で、素晴らしい文化が生まれ育つことを願っている時代です。あとは、あなたがあなたを、どうエンパワーメントするかです。

私たちは生まれてからずっと、自分の足元にはいつも地球があったにも関わらず、本当に地球に住んでいたのだということを、コロナの影響もあり、今やっと実感してきてるのではないでしょうか。

温暖化問題も、物理的に目や耳には入っていたにも関わらず、意識を向けないことで、脳はそれを見ては来なかった。だから現実のこととして扱う人が少なかったのだと思います。しかし、人間が経済活動を控えたことで環境問題が改善しているのを見て、あぁ、本当にそうだったんだと、思考の世界ではなく現実の世界のこととして実感しているのだと思います。環境問題が悪化すれば、滅びるのは地球ではなく人間です。

改めてコロナにより「地球は1つで、世界は繋がっている🌏」ことの実感が増した今、今回は世界を結ぶつながりの道をコロナが通ってきましたが、他のもの・愛やつながり・人を思いやり楽しませる力を、世界を結ぶつながりの道に通していきたいものです。

最近では、お話してきたような「人間の意識のメカニズム」を理解して、経営に取り入れる会社も増えてきました。それもそのはず。社員の心理的な幸せや創造性に繋がるのはもちろんですが、合理的に考えても、経営リソースの中でも大きくレバレッジが効く「人」の可能性を、潜在意識を開発することで引き出すことが出来れば、1だと思っていたリソースは5にも10にもなります。新卒や中途メンバーの入社後のタイミングや、ここぞという時にストレッチを効かせたいメンバーがいる時に、セミナーやコーチングのご依頼を頂くことが増えています。あなたの職場やご家庭でも、「意識が現実を創る」ことを共通言語として扱いたい際には、ぜひお気軽にご相談ください^^

さて、何か新しい挑戦をしようと思った時、それが大きくても小さくても私たちは必ず不安になります。あなたが意識しようとしまいと、あなたの無意識はあなたを危険から守る為に、「そんなことしなくていいよ」「今まで通りが安全だよ」と頭の中で囁いてくるでしょう。この反応自体は、あなたのことを何十年もの間、危険から守ってきてくれた愛しい信念が大活躍してくれている証拠なので、悪いことだと思う必要は全くありません。むしろ「ありがとう、わたしを守ろうとしてくれて」と感謝して、よしよししてあげてください。そして、必要な時はいつでもその信念を自分の脳の引き出しから出して使えばいいのです。

しかし、他の新たな信念を創作して使いたい時は、「今はこっちの気分なんだ!私は新しい現実を見る!」と言ってフィルターを軽やかに付け替えてみましょう。これまでは、あなたは世界に自分を合わせてきたかも知れません。しかし、ひとたびフィルターを変えれば、あなたの言葉やあなたの行動に世界が合ってきます。なぜなら、あなたが現実を創り出せるからです。あなたの意識は、あなたの味方です。

いつでも立ち止まって、自分自身に問いかけてみましょう。「あなた」という自己認識は、あなた自身をエンパワーメントしていますか?あなたという概念が、あなたが幸せになることを止めていませんか?

大事なのは、あなたが信念に無自覚に使われる側ではなく、扱う側にいて、信念と同化せずに、信念を対象化することで自由であることです。

さぁ、人類の次なるアジェンダ「Well-being」を、「わたしは何者なのか?」「私たち人類は何者なのか?」という問いを深め続け・アップデート&リフレーミングし続けることで、実現していきましょう。

そして、不安な時はぜひ、周りを頼ってください。私のことも頼ってください。私たちは産まれながらにして、「他者との交流を通した安全を必要としている生き物」なのです。あなたの力になりたいと思います。

いつも頑張っているあなたに、大好きな歌のエールを贈ります。

https://youtu.be/g91RzJqMNhU

では、良いGW・良い人生を♡!

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立山さき
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