191. アントニオ・タブッキ「インド夜想曲」 【小説】
ある日古本屋で、エキゾチックで艶っぽいタイトルに心惹かれ手に取ったのが、この「インド夜想曲」でした。
千夜一夜物語のようなめくるめくお伽世界か、はたまた異郷の香り濃厚なロマン小説か、わくわくしながら読み進めていきますと、これは思い描いたどんな物語とも違う魔術的な作品だったのでした。
物語は、失踪してしまったポルトガル人の友人を探してインドを旅するイタリア人の一人語りで進んでいきます。
設定だけでもこんがらがりそうですが、主人公は夢か現か定かでないような体験をいくつも経て、予期せぬ形でふっつりと旅が終わりを迎えます。
出版社のHPでは「インドの深層をなす事物や人物にふれる内面の旅行記とも言うべきこのミステリー仕立ての小説を読み進むうちに読者はインドの夜の帳の中に誘い込まれてしまう。」と紹介されており、まさしくその通り、よくぞこれほど分かりやすくまとめて下さった、という気持ちになりました。
ちなみに今作は1988年には映画化もされており、日本語訳はエッセイの名手・須賀敦子さんが担当されています。
作者はポルトガルを愛したイタリア人作家、アントニオ・タブッキ。
名前は聞いたことがあるような、でもどういう作家は知らないし、特に気にせず読みました。しかし読了後にwikipediaを覗いてみると、作品や主人公に多分に自己を投影しながら書かれた作品だったのだと分かったので、作家をご存じない方は基本情報を知った上で読むとより理解が捗るかもしれません。
今作の特徴は、掴めない会話と読者を幻惑する展開でしょう。
主人公と出会った人々の会話は奇妙にずれていて、本当に彼らが会話をしているのか分からないような気持ちにさせます。会話だけでなくて、物事の描写がずっと夢や靄の中で紡がれていく話のような印象を受けます。
描写はリアルなのにそれに対する実感がわかないのは、描かれる文化に馴染みがないことも関係しているのか? とも思いますが、それだけが原因ではないことは明らかです。
それから謎に包まれたラストは、もう一度頭から読み直したい気持ちにさせます。
※ラストシーンに触れますので、この先ネタバレです!
ホテルで出会った女性が
「熱帯の夜の椰子にかこまれたホテルにつけこんではいけないわ。わたしはお世辞にのりやすいから、するするあなたに口説かれてしまう。それは卑怯というものよ」
と言っておきながら、その少し後には
「あら、だめよ。わたしを口説いてよ。おねがいですから、やさしいことばをかけて、美しいものの話をしてちょうだい。わたしは美しい話にうえてるのよ」
などと言います。
そんな男女の駆け引きから、急に物語の核心に迫る話へ入っていくのです。
主人公は、自身の書いている話の断片(女性は小説と捉えるが、本人はそう思っていない)について語り始めます。
それはまるきり、読者がこれまで読んできた物語と同じです。
けれど、主人公は探す側で、失踪したのは友人だったではないか……?
しかも最後には、探していた男と探されていた男はお互いを遠くから認識したようで、けれど確認はせずに去っていきます。
では話している本人は、果たして探している男だったのか探されている男だったのか。結局のところ両方ともが主人公の影だったのではないか。不確かな推量を残したまま物語は幕を閉じます。
要領は得ないのに不思議と悪くない後味が、読了後もしばしわたしを幻想の中に漂わせていました。「つまり主人公とは誰なのか」と問い詰めることに意味はないし、野暮でしょう。
作中には自己や人間という存在に深く入っていくような問いが散見され、それも味わい深さの一因です。
小説のほとんどが、こういった謎めいた問い掛けと異国の描写で構築されていると言っても過言ではないでしょう。
旅しているとはいえ舞台は一貫してインドで、特有の文化などに対して注釈はないので、ある程度インドに関しての知識がないとイメージをうまく膨らませられない箇所があるかもしれません。また、著名人など人名も幾つか出てくるので文化的素養も試されます。
下記にわたしが読みながら立ち止まった語句についての簡単な説明を載せておきます。
理屈で読むのではなく、感性で読む本だと思います。
夢幻に惑わされたい時、静かに自省したい時などにどうぞ。
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