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再生の歌 【小説】

この作品、今日発行予定だったフリーペーパーの裏面に掲載するはずだったのですが、なんとインク切れで印刷できなかったので、こちらで先行公開します。
フリーペーパーの方は再来週から配布予定です。

先日見たブルース・チャトウィンの映画に感化されて、分かりやすく人類学風味。


 村人たちが列をなし、石で作った村を出て草原へと向かう。小柄だが勇猛な、戦士の顔をした長が先頭を歩く。その後ろを長の子供、子供と言ってももういい大人だが、それから村のすべての民たち。人々の纏う木綿の服は、ゆったりした下穿きと長い上衣から成っており、上衣には脇に腰からの深いスリットが入っている。それが吹き抜けていく風にはためく。色とりどりだが草原に馴染む穏やかな色で、何かの目印のように緑を彩る。

 随分と遠くまで歩いてきた。振り返っても、もう村の影はない。頭上には晴れ渡った空が地平線まで遮られず続いている。膝まで覆う背の高い草がある地点でぱったり生えなくなり、もっと柔らかな芝草の一面敷かれた広場に出る。円形の広場の中央に、岩が二つ身を寄せ合っている。ここには遥か昔、神殿があったという。もはやその面影はなく、倒れた柱さえ風化して消えた。すっかりすり減って丸みを帯びた礎石だけがああして辛うじて残っている。

 長とその子供は草を踏みしめてその石のところまで行き、収まりの良い平かな面に腰掛けた。他の村人たちは追って来ず、広場と草原の境に沿って横に移動していく。人々の列は円周をなぞって弧を描いていく。人影によって輪郭が明確になってくる広場。しんがりの男が広場に足を踏み入れたところで、半径二十メートルばかりもある輪が完成する。中心の二人の方を向いて、肩が触れ合うほど近く並んでいる人々は、一斉にその場に胡座をかく。目線を下に落とし、合図を待つ。

 沈黙が訪れる。風は広場を避けて吹いていく。草の下に隠れている小さな生き物たちは地下に潜るか、或いは植物に同化するなどして気配を消している。誰一人、微動だにしない。礎石に座った二人も目を閉じて、静かに耳を澄ましている。

 だしぬけに、若い女が抱いていた赤子がぐずりだした。浮遊していた埃が鼻をくすぐりでもしたのか、初めはごく小さな不満の訴えだった。それが次第にクレッシェンド、クレッシェンド、泣き声が爆発する。女が優しく揺すって落ち着かせようとする。焦りはなく、慣れた手つきで背中をさする。ただ、声は出さぬよう気を付けて、あくまで静かに対処する。いつの間にか叫びはすすり泣きに変わっている。

 長が歌い始める。小さな、それでいて安定した声が、足下の低いところを流れていく。なだめすかすような歌声だ。音程を探って緩やかに上り下りしている。その間に村人たちは各々の袂から木製の棒を二本取り出して、交差させた形に構える。

 長はじきに節を掴み、朗々と歌い出す。傍らに控えているその子供が後を追い、コーラスをつける。古代の言葉の歌だ。二人をぐるりと囲んだ村人たちは拍子を取って、簡素な楽器を打ち鳴らす。

 全ての音は円の中心で渦となる。歌とともに時間が古代へと巻き戻っていく、それは、時系列順ではなくてとびとびに色々な時代が訪れる。今生きている者が知るはずのない景色も鮮やかに。長は歌に気を集中しており動かないが、長の子はすぐ手の届く場所に木苺の枝が伸びていたら裾をたわませて集め、吹雪が来たらば上衣のスリットに手を差し入れて暖をとる。巨大な古生物が現れれば恐れて逃げ惑い、草原が森に変われば見慣れない植生を観察する。

 遠巻きにそれらの光景を見守る村人たちは、個を離れ恍惚状態に陥っている。変化は広場の中でだけ起こっているから、彼らにとっては夢を見ているようなものなのだ。

 長く群れて暮らしていると、思い出の時の層が厚く積もってくる。思い出は実際の出来事だけではない。詩人の歌に垣間見た遠くの景色も、夜の夢に出てきた何かも。そういった物事は、たまに時をかき混ぜてやらねば淀んでしまう。悲しみばかりが下に積もり、喜びは手の届かないほど高みへ。彼らの部族に古来より受け継がれてきた伝承である。

 それをかき混ぜて均質に戻す。これはそういう儀式だ。記憶をもう一度呼び覚ますのは巫祝である長の役目で、その子供はまだ能力は長に及ばないが、代わりに体力がある。彼の無邪気な行動が、即ち時をかき回す。

 日が陰る前に儀式は終わる。穏やかな心を手に入れた人々は、また明日から新たな思い出を蓄えることができる。笑いさざめきながら元来た道を帰っていく。村に戻ったら宴が開かれる。今日のために貯蓄しておいた干し肉や堅パンや酒を残らず平らげよう。大人たちが話すのを聞いて、儀式の間ずっとおとなしくしていた子供達が歓声をあげて走り出す。広場には風も生き物たちも戻ってきて、すっかり元通りだ。


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