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【短編小説】 知らせ(もしくは洋風かぐや)

個人で出しているフリーペーパーに掲載した作品です。
後半は先行公開。
いつもと少し違うテイストになりました。ちょっとステレオタイプすぎたかもしれない。


 ばあやが、手紙が届いたと知らせに来た。朝夕に郵便受けを見るように言っておいたのだ。
 白いエプロンの前で手を重ね、彼女は指示を待っている。

「納屋で開けるから支度をしなさい。三本刺しの燭台を五台、ビロードのカーテン一揃い。ああそれと水を溜めたフィンガーボウル。わかったね」
 彼女は膝を軽く折ってお辞儀をし、早足で去っていく。階下の食堂で物品を調達するのだろう。さあ私も急いで支度をしなくては。

 本当は自室で開けられたら良いのだが……。便箋に薫きしめられた香りが部屋に残るのは許せない質なので。そしてこの手紙には十中八九、強烈な薔薇の香りが染み付いている。

 私は革のズボンに着替え、ブーツの紐を自分で編み上げて結ぶ。厚いヒールは七・五センチ。伸びた脚の広がった歩幅で部屋を闊歩する。レースシャツは柔らかく肌を包み、上に重ねたベストの胸ポケットに薄手のハンケチを挿す。
 開封の儀に相応しい格好が整ったので、部屋を出る。よく切れるペーパーナイフも一本、持っていく。もうそろそろ準備も整った頃だろう。

 ヒールを打ちおろす度、石造りの階段が重々しく響く。壁に連なった歴代当主たちの顔が皆わたしを見ている。煩くて目が覚めてしまったと言いたげな眼だ。今夜だけ、どうか我慢して頂きたい。音を立てて階段を下りることも必要事項なのだ。儀式はもう既に始まっている。大仰で華美で退廃的、そう振る舞わねば見透かした手紙の送り主が中身を灰に変えてしまう。

 別棟の納屋に入ると、私のイメージ通りの内装が出来上がっていた。天井から垂らされたビロードカーテンが夕日の最後の光を遮る。陽光の代わりに薄暗い室内にともされた十五の灯が、ドレープの陰影を浮かび上がらせている。即席のデカダンスとしては上出来だ。
 入り口で私を待っていたばあやが、まずフィンガーボウルを掲げる。カーテンの色を写して薄墨色に染まった水に両手の指先を浸す。黒い水を拭き取ると、件の手紙が差し出される。それを受け取り、ばあやには外で待つよう言いつける。

 昔鶏小屋だった名残の、数多の雌鶏が卵を産み落とした棚の上で、封を切る。赤い封蝋を施したクラシカルな封筒だった。ペーパーナイフが進むにつれ、予想通りのむせ返りそうな薔薇の香りが推し寄せる。腕がもう一本あれば鼻をつまんでいたところだ。

 中身を出そうとしたところで、くすくす笑う子供の声が聞こえた。反射的に振り向くと、扉にもたれかかったおかっぱの少年。傾げた顔の半分を手で覆って、こちらを窺っている。片側の隠れた真っ赤な唇が引きつって歪んでいる。
「本当にいいの? 貴方後悔しない?」
 不愉快な物言いはかつての私そっくりだ。亡霊がまだこの屋敷に残っていたとは知らなかった。そして私の決意はここへ来た時から定まっていたのだから、今更覆らないのだよ。

 封筒を傾けて、中から薔薇香る指輪を取り出す。任を解かれ、故郷に帰る日が来たのだ。待ち遠しく、また恐ろしくもあったこの日。懐かしい顔ぶれに会えるのも、落ち葉積もる常秋の庭で午睡するのも嬉しいことだ。ただ一つ嫌なのは、あの至る所で咲き誇る薔薇。私の嫌いなあの匂い。母上のことだ、きっと薔薇尽くしの饗宴で私をもてなすことだろう。

 掌で指輪を弄びながら、ばあやのところへ戻る。心なしか沈んだ表情の彼女に、努めて明るく声を掛ける。
「三十余年よく尽くしてくれたね。この屋敷はおまえの好きにするといい。ただしこの納屋は燃やしてしまいなさい。濃密すぎる香りに満ちているから。長く留まればきっと思考を狂わせるよ」

 館のことは恐らく私の亡霊が守ってくれるだろう。性悪でまだ幼いが、それなりの力を持っているはずだし、何より私はずっとここでの暮らしが好きだったのだから。
 ドアの陰に隠れている少年を一瞥し、指輪を嵌める。


「若様は本当に、天のお恵みでございました。子宝に恵まれなかった旦那様方のどんなにかお喜びになったことでしょう。けれども旦那様方の亡くなられた今、若様の去って行かれるのは仕方のないことでございます」
 嗚咽する老婆が何か言っている。私の居場所はここではない。薔薇香る彼の地へ帰ろう。重力から解き放たれた体が飛翔する。蒼白い月が夜の帳に浮かんでいる。


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