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藍色のぶどう

“アズラのぶどうを食べると幸せになれる。”

そんな迷信が村ではずっと信じられてきた。

アズラのぶどうは伝説のぶどう。
東の神様アズラがこぼした涙で出来ている。
そのぶどう一粒、口に放り込めば、立ち所に病や怪我が治ったり、消えぬ財産を手に入れられるとかなんとか。

アズラのぶどうは藍色のぶどう。
村一番の年寄りのネスばあさんが言っていた。
まだまだ小さい子供の頃に、本物のぶどうを見たことがるのだそうだ。

眉間峠を越えた先、東の海の海岸沿いに、誰も知らない洞窟がある。
人一人、やっと通れる隙間を進み、選ばれたものだけが手に入れられる伝説のぶどう。

僕はそのぶどうがどうしても欲しかった。

先月、母さんが倒れた。
4年前に父さんが死んでから、一人で僕と妹を育ててくれた母さん。
元々体も丈夫じゃないのに、無理を通してくれた母さん。
僕もそろそろ半人前を抜け出して、母さんの力になれると言った頃合いで、バタンと倒れてしまったのだ。

僕はぶどうを探しに行くことに決めた。

ネスばあさんから、昔の話を如何にかこうにか聞き出して
目玉山二つ、眉間峠を抜けた頃合い、キラキラ輝く海を見つけた。
山肌にざぶんと波打つ海の隙間、それらしい洞窟がないか、時間をかけて見て回った。
けれどもどこにも入れるような隙間はなくて、諦めかけたちょうどその頃。
傾く太陽の日差しが導くように、一つの岩場を照らしていた。
なんとなく、だった。
これでダメだったら終わりにしよう。
何か精のつくものを買って帰って、それを食べてもらおう、なんて思っていた。

岩場の隙間を覗き込むと、そこには子供一人、やっと取れるほどの隙間が一つ。
思い切り頭からねじ込んで、擦りむくのも気にせず奥へと進んだ。
光の届かない真っ暗闇と、身動きの取れない硬い岩肌。
何度かパニックになりかけたのを、如何にかこうにか鎮めて進む。
もしかしたら、こんなに頑張っても、ダメかもしれないという言葉も全部飲み込んで。

ふと、視線の先がぼんやりと明るくなってきたような気がした。
それから、さっきよりもだいぶ息がしやすくなって、前に進みやすくなったような気もしてきた。
お?と思った瞬間、ぽこんと隙間から抜け出した。
そこは、さっきまでとは違い、広い空洞になっていた。
ぼんやりと、壁全体が発光している。
その景色はまるで、星の海にいるようだった。

あの岩場を抜けた先に、こんな場所があるだなんて。
こんなに綺麗な場所があるだなんて。

視線の先、さらに少し開けたところに、祭壇のような作りの場所があって、とにかく先ずはそこに向かった。

そして僕は困ってしまった。
誰も知らない祭壇の上、そこには確かに人ふさのぶどうが置いてある。
けれどもどう考えてもこのぶどう、食べれるような代物ではない。
なぜならそれは藍色の石で出来ていたのだ。
確かにこれは高そうな石だが、そのまま食べさせればいいと思っていた僕にとっては少し、いやとても困ってしまった。

これを持って帰って、売ればそれなりのお金になるだろうが、そんなことをしたらどこから盗んできたのか疑われそうだし、第一買ってくれる人がいるのかも怪しい。
石を買ってくれる人を探して、お金にして、腕のいい医者を探して、そんなことをしている間に母さんの具合はもっと悪くなってしまうかもしれない。

藍色のぶどうを目の前にして僕は、割とさっぱりとあきらめて元来た道を戻るために後ろを向いた。

『おや、ぶどうが欲しかったんじゃないのかい?』

聞こえるはずのない声が、聞こえるはずのない場所から聞こえてくる。
恐る恐る後ろを振り返るとそこには、ひとりの人?誰かが祭壇に腰掛けていた。

『わざわざ伝説のぶどうを探しにここまで来たんだろう?目の前にして置いて帰るのか?』

その人は、透き通るほどに真っ白な肌に藍色の髪と瞳。
この人はもしかして——
ある考えが頭をよぎった。

『これがあればお前の母親が助かるのではないか?目の前にあるのに諦めるというのか?』

面白そうに笑う藍色の瞳を真っ直ぐ見つめて僕は答える。

「その石じゃ、お金は手に入っても母さんの病は治せません。第一、そんなあからさまに誰かに捧げられたものを盗って帰ってきたって母さんは喜ばないし、食べてもくれないです。だったら、途中の山で猪か何か、精のつくものを狩って帰ったほうがましなんです。」

伝説のぶどうというから、すごいところに生えてるもんだと思っていたけれど、実際は厳かな祭壇に奉られた貴重そうな石。
僕にはそれを盗んで平気な顔をしていられるほど豪胆じゃあない。

だから帰ります、お邪魔しました。
そういって頭を下げた僕を見て、藍色の人は大きな声で笑い出した。
どうしたもんかと思って顔を上げると、祭壇の上で仰向けになって笑い転げている。

『あっはっはっはっはっは!!わざわざここまで来たのに、ぶどうを目の前にして帰るというのか、愚かな盗人かと思いきや、けったいな闖入者だったか!』

わけがわからないが、楽しそうにしているから良いのだろうか。
怒らせたら良くないと思っていたので、少しだけホッとした。

『童よ、こちらへ来い。久方ぶりにこんなに笑わせてもらった例をしよう。』

ひょいひょいと指で呼ばれたので、おずおずと近寄る。
藍色の人は、祭壇に置かれた藍色のぶどうの房から、一粒ぶどうをもぎった。
それを僕の両手に乗せて、ニヤリと笑う。

『これは確かに石で出来てる。しかしただの石でない。食べることもできるのだよ。お前の母親にこいつを一粒、丸のみさせてやれ。そうさな、運が良ければ助かるだろうな。』

その一粒は、小さな一粒だけど、ひんやりと冷たく、ずっしりと重かった。

『ああ、それから、来た道では帰れん。潮が満ちてきたからな。なあに、ついでだ、たった一粒じゃ他の奴らに笑われかねんからな、懐の広いとこを見せてやらにゃいかんのだよ。』

格好良く唇を片はしだけ持ち上げた藍色の人は、そのままパチンと指を鳴らした。
瞬きをした瞬間だった。最後に見えたのは、美しい藍色と幻想的な洞窟。
一瞬の暗転ののち、目の前に僕の家があった。
握りしめた手のひらの中には小さな藍色のぶどうが一粒。

わけもわからないままに自分の家に飛び込んで、母さんの部屋へ走って向かった。



東の神アズラ、尊大で寛大な命と恵の神。
気まぐれに施し、気まぐれに奪う。
そんな神の長すぎる時間のほんの僅か、人間にとってはそれなりに長い時間。一人の人間が欠かさずアズラに供えと祈りを捧げ、それを次の世代まで繋げた。
アズラは気まぐれな海の神。けれどもその人間のことは、だいぶ気に入ってしまったのだった。

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