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合わない時計

僕の街には時計屋がある。
古くて立派な置き時計とか、壁時計とかがたくさん置いてあるのだけれど、そのどれもが正しい時間を示していない。
ガラクタばかりの時計屋だ。

店主は言う。

”これでちゃあんと合っている。”

僕はついにボケたと店主を見やった。
僕は知っているのだ、何度直しても結局ズレるこの時計たちのことを。

シワシワのよぼよぼ、白い髭がぼさぼさのオジイ。
店の奥で丸い背中をさらに丸めて椅子に腰掛け店の時計を眺めてる。
僕は時折り、ここのオジイと喋ったり、立派だけど時間の合わない時計達を見るために遊びに来ていた。

そのうちオジイも僕の存在に慣れ、駄賃をやるから掃き掃除をしろだとか、時計を磨けだとか注文をつけるようになっていた。

実は、この時計屋に入り浸るのにはもう一つ理由があって、それは店の壁の一番上に飾ってある、とある壁掛け時計に一目惚れを決め込んだからだ。目が合った瞬間、僕はこの時計を買うんだと何故か確信までしていた。

だけどもそんな時計を買うお金はない。
お小遣いやお年玉を必死になって貯めているがまだ暫くはかかるだろう。
幸い、この店の来客は絶望的なので頑張れば買えるかもしれない。

店主にそれとなく、僕が唾をつけていることを話したが、やはり子どもだからだろうか取り合ってくれる様子もなかった。

絶望的な来客数でも、やはりふらりと吸い込まれるように立ち寄る客は少なからずいて、みんなめが合った時計を購入していく。

自分にも言えることだけど、どうして時間のズレた時計を買っていくのか分からなかった。
しかし不思議と時間が合わないといったクレームが入ることはなかった。

いや、一度だけあった。
ある男の人がやってきて、ろくに時計を見もしないで、一番近くにあった時計を買おうとした。
しかしオジイはその人に時計を売ろうとはしなかった。
“その時計はあんたのじゃないよ。”
オジイはそうとしか言わないのである。
男の人はポケットからたくさんのお金を見せてきたが、それでもオジイは売ろうとしない。

さらにさらにとお金を増やそうとするので、仕方なく、オジイはため息をついてこう言った。
“余分な金はいらん、あんたも分かるだろうから一旦持っていきな”
男は頑固な店主から買い取れたのが嬉しかったのだろうか、満足気に店を後にした。

その数日後、その男が時計を抱えてやってきた。
“一体全体どうなっている!時計なのにちっとも正しい時間を刻みやしない!こんなものは要らない”
そう怒鳴りながら、時計だけ置いて店を出て行ってしまった。
男の人が突き返した時計は、相変わらずズレた時間を示していた。

オジイの店に入り浸るようになってから結構な時間が経った。
進学して勉強の量も増えたし、同じくらい友達も増えた。
だけどやっぱり時々はあの時計屋に顔を出して、一番上の時計が売れてしまってないかをチェックしていた。

ある日、ずっしりと重くなった貯金箱に一体どれくらい入っているか確認すると、なんとあと本当に僅かなことに気がついた。
自分の財布の中身を合わせるとピッタリである。なんと。

僕は走って時計屋に向かった。
小銭ばかりでパンパンになった財布は、それでも心なしか軽かった。
扉を開けて一番上の壁を見る。
そこで思わず時が止まった。

そこにあったはずのあの時計は無くなっていて、前とは違う時計が掛かっていたのだ。
来客に気づいたオジイが出てきたが、僕を見るなり“なんだ、お前さんか”と言って中に引き換えそうとするので慌てて引き止める。
訝しげな顔でこちらを見るので、あの時計があった方を指差して、あれは売れてしまったのか?と聞いた。

オジイはニヤリと笑って引き留める手を振り解き中へ行ってしまった。


そうか、売れてしまったのか。

肩を落として店を出ようとすると、後ろから声がかかる。
“どこにいくんだ、お前さん。コイツを待っていたんだろ?”
その声に振り返りオジイの手に持っているものを見て僕は驚く。
あの時計がそこにあった。

財布の中身全部とで手に入れた壁掛け時計。
きっと本当は僕には不釣り合いなこの時計。
だけど何故だか、どうしても欲しいと思ったこの時計。
嬉しくて、嬉しくて、思わずぎゅっと抱き締めた。

“時間を見てみな”
オジイが言う。ここの時計は正しい時なんて刻まない。そんなのはとっくの昔から知っている。合っていなくとも欲しいから買ったのだ。

しかし、言われるがままに文字盤を見てみる。
ポケットに入れたままのスマホの時刻と照らし合わせてみるとなんと、正確に時を刻んでいた。

“コイツも長いことお前さんとの時間が合うのを待っていたのさ。大事にしてやんな。”
オジイはそれだけ言うとまた店の奥へ引っ込んでしまった。



あれから、半世紀以上の時間が経った。
僕は相変わらずあの壁掛け時計をつかっているし、僕の元にやってきた時からあの時計が間違った時刻を示したことは一度もない。
あの後すぐ、またあの店を訪れようと思ったけれど、何故か見つけることは出来なかった。

あれだけ入り浸っていた筈なのに、すっかり、あの店への道を忘れてしまったのだ。

だけどそれでいいような、そんな気がした。

今日も時計は正しく時刻を教えてくれる。

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