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5年ぶりの。

一人の正月は5年ぶりだな、と思った。

二十歳の年だったからよく覚えている。冬休みはひたすら旅行すると決めていて、色んな場所に旅行に行っていた。その年は結局、韓国で過ごしたのだった。どこでも大体年末年始って似たような感じだよな、と思ったのを覚えている。天気は悪くなかったけれど、吹く風はとても寒かった。

なんだかんだで年越しは実家に帰っていたから、一人ではなかったんだなあ、と少し不思議に思う。へえ、とか、ふーん、とか少し他人事に思えるくらいに。こんなご時世なので、と断って実家に帰るのはやめた。

母が煮物とかお餅とか色々食べ物を送ってくれた。ありがたいのだけど、私も同じような料理を自分で作って、そしてお餅も買っていたから「汝らを如何せん・・・」と途方にくれた。自分の料理も母の料理も悪くならいうちに食べないと、と思うと、ついいつもの年の2倍くらい食べてしまっている気がする。知らず知らずのうちに同じような料理を作っていたと思うと、どうしようもなく家族なんだよなあと思う。正月の概念が相似形なのだ。

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去年の後半は、あまりnoteに顔を出せなかったなと思う。

だから、「さあ、今年はやるぞ!」みたいな気持ちになれなくて。今日はそういう気分だから、と、ふらっと居酒屋に立ち寄るようなノリで書いている。書くのは好きだけれど、急かされるように書いても、なんだか本当に書きたいことが書けず、ただ疲れてしまう気がするので、今年も気の向くままにのんびり書いて、皆さんの書くものも見させてもらおうと思う。

そういう気分になれなかったのって、きっと色んな理由はあるのだろうけど、去年は人の書くものを見ても、自分が何か書いても、どこか暗い気持ちになってしまうような状況だったから、なんじゃないかななんて今更ながら思う。

別に悪いことがたくさんあったわけではないし、そこそこ楽しくはやらせてもらっているんだけれど、なかなか人に会えない環境がしんどいな、と心の奥底で常に思っていたんじゃないかな、と。

リモートワークで毎日の通勤から開放されたのはほんとだし、自分の時間も取りやすくはなったけど、どこを向いても自分しかいない、という環境も考えものだと思う。

ミラーハウスの中にいるみたい。自分がどこにいるのかわからなくなってしまうような、そんな感じ。わたしばっかり見えると気が滅入って、少しソワソワして、でも今どこにいるのかもわからないから地に足がつかない感じがして。そんなフワフワした心で何かを書いてしまえば、誰かを傷つけてしまうような言葉が出てきてしまうのでは、と怖く思っていたんだと思う。

他の人が姿が見えれば比べることはできるんだけど、わたししかいない空間にずっといたことで、どうしても比較せざるを得ないから、それを見るたびに落ち込んじゃうってきっとわかっていたから、読む前に避けていたんだろうなって。

心が知らず知らずのうちに気持ちを波立たないように、そっと守ってくれていたのかな。後付けの理由なんて自己正当化以外の何者でもないんじゃないか、ともう気持ちもあるけれど、きっとそれでいい。人生なるようにしかきっとならないのだし。

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書くのなら、できるだけ透明なものを書きたい。

無色というのは無理だけれど、淡くて透明な色がいい。濃い原色ではないとやつ。コップの中に、水彩絵の具の筆の先をちょっと溶かしてなる、淡い色水みたいな感じの色で書きたい。

言葉を色に例えるなんて変な感じかもしれないけれど、きっとすごく悲しかったり、何かに駆り立てるような気持ちになっていたり、ワクワクしすぎて落ち着かなかったりするときは透明ではなくて。そうした時に出てくる色は鮮やか過ぎてちょっと好きじゃない。

淡い透明な感じに書けるのは、頭がすっきりしていたり、心が落ち着いているな、っていう時。水で薄く伸ばし過ぎたかな、と思えるくらいの。少しの綺麗な色で気持ちが出せるんじゃないかなというときに、自分らしい時間が過ごせた休日なんかに、ああ、なんか書いてみたいな、と思うし、実際に書いていきたい。

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今年は、どんな年になるんだろう。

少なくとも去年より会いたい人に会える年になったらいいな。それで、美味しいものを食べて、たくさんおしゃべりできたらいいな。

週末にはちょっと贅沢してちょっといいアイスとか食べちゃいたいな。

もっと日当たりのいい場所に引っ越せるといいな。

そんな小さな願いを、少しづつ本当にできる年にできればいいな。

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