見出し画像

ゆるゆるとほどけて。

気持ちの糸が、ゆるゆるとほどけていくのを感じる。

それは角が取れて丸くなるのとは少し違って、丸くてぎゅっと縮こまっていたものが、その輪郭を少しづつ手探りで、ぼんやりと外に向けて広がっていくようなものだと思う。アメーバみたい、といったら少し気持ち悪いかな。でも、本当にそんな感じで、私の気持ちを包んでいる輪郭のようなものが、少しづつ、少しづつ、外へ向かって手を伸ばそうとしているようなそんな感じ。

ふとした瞬間に、日常へと手を伸ばしていける、気がする。「いける」と思うのは実際にまだ一歩を踏み出すには怖くて行動にはできないからだ。

完全にはもとには戻らないのを知っている。まだ、ワクチンだって治療薬だってないから。けど、それでもみんな生活のため、楽しみのため、少しづつかつてあったものととても似ている相似形の日常を、取り戻そうという雰囲気が感じられる。

スポーツを見ていても、観客の拍手や、応援の合いの手が戻ってきている。そんな一つひとつを、目にするたび、耳にするたび、私の心は温かくなって、目頭が熱くなってしまうことも少なくない。ファンが見てくれている、というのはきっと選手にも届いていて、それで頑張れる選手がいると信じたい。私はまだ画面の前でしか、声援を送ることはできないのだけれど。

先週、半年ぶり位に映画にいった。映画は、やっぱりあの空間で見るように作られているに違いない。迫力のあるシーンに身体をこわばらせた。絶望かの中に光が溢れるシーンを見て泣いた。大きなスクリーンと広い空間、暗闇。そうした環境で見ることを意図して作られたそれは、パソコンやテレビを通して見るのとはやっぱり違うから、ああこの空間で見れてよかった、見ないことで後悔しないで良かった、と思う。

暑さがほどけてきているのも、私の気持ちを楽にさせてくれている。

秋が来れば、いつもこう思うのだけれど、暑いのは生命の危機で、本能が前に出すぎてきてしまうのだと思う。生きるために、外に出ないとか、食事にも生活にも余計な体力を使わないような選択をとっている自分がいる。

何より考えることができない。気持ちとかそういうものを優先させることができないくらいに、無意識が生命の維持を優先させるようなそんな感じ。いつも頭で物事を考えがちな自分だけれど、夏の数カ月ばかりは脊髄反射で生きていると思う。

外にも出れないような日差しだから、自然と引きこもってしまうって、どうしても気持ちは外向きにならないんだろうな。酷暑とはほんとに言ったものだ。

今や、朝に夕に少し鳥肌が立つほど涼しい。これからまた少しづつ、気温が下がって、寒くなっていくたびに、きっとまた誰もが例年とは違うその季節に戸惑って、また自分の気持ちもまた縮こまることがあると思う。

それでも、きっと同じ場所にとどまってるのではないのだと思う。もがいてもがいてもがきながらも、少しづつ前には進めているはずだと信じたい。

きっと今感じているような、気持ちの輪郭を少しづつ外にほどいていくような感じなのだろう。どちらが前とかではなく、ぼんやりとじんわりと、外に広がっていくような感じの。

そして、いつか外の世界との輪郭も意識する必要がなくなって、大好きな人たちと思いっきり笑い合える日が来るといいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?