読書日記 - いつもの言葉を哲学する

しっくりくる言葉を慎重に探し、言葉の訪れを待つ

『いつもの言葉を哲学する』p.9

今回、自宅でしばらく眠っていたこちらをふと手にとって、ぱらぱらと読んでいると目に入ってきた、序章の一文。著者の「言葉を大切にするとは何か」に対する考え方。僭越ながらも、今こうして文章を書いている最中にも行っていることで、ああそっか、私は、言葉を大切にしようとしているのかもしれないなと思う。そう思ったことに、なぜかすごく気分がよくなって、この本は今読むべき本な気がするという気持ちになり、そのまま読み進めることにした。

この本では、言葉の語源や社会問題を取り上げながら、ずっと「言葉との向き合い方」について考えている。新しく得られた考え方もあれば、自分がなんとなく、こうしたいと思っていたことを言語化して肯定してくれているように感じられる部分も。以前、私が好きなポッドキャストで、本を読むことの醍醐味は「自分の中で言い表せない感情や思考が言語化されたものに出会えること」と言っていて、本当にそうだなと思ったことをふと思い出す。

たくさんメモをとって、浴びるように知識を得て、読みながらこれは感想まとめるのにも一苦労しそうだと思っていたのに、読み終わってみると案外思ったことはすごくシンプル。もっともっと知識を得て、ゆっくりでいいから自分の使う言葉をしっかり吟味しよう。シンプル、というよりもちょっと薄っぺらい?気もするのだけれど、素人の私はやっぱりこの程度、小難しい部分は二の次になってしまうということも受け入れたい。

言葉は移りゆくものだから、元の意味に固執してばかりいるのもだめだけれど、語源を知っていると言葉の奥行きを確かめられる。誰でも理解しやすい、やさしい言葉は時に必要だけれど、それにはまずその道を突き詰めた思考と表現が必要。

というようなこと、著者も書いているけれど、これは、まさに「故きを温ねて新しきを知る」と思う。物事の歴史を知ることはおもしろいし、新しいことを生み出すのにも必要と思うのだけれど、アウトプットが求められて、知識ばかり取り入れていることは否定されることも多いことに、インプット人間である自分が否定された気持ちになることがよくある。でもこういう考え方を知って、それもまた悪いことではないと思うことができたのがすごく嬉しい。これからは、引け目を感じずに、自分の知識欲をちゃんと満たしてあげられそうと、著者に感謝。

最後の方に、感覚的にはわかるけれど、言葉でその違いを説明するのが難しい言葉(こする、する、さする、なでるなど)の違いを明確にしてみるという部分があり、これにはもう興味津々。言葉オタクを発揮してしまう。言葉で言葉を説明するってなんて難しいことだろうと思うけれど、それは自分たちが普段していることを見つめ直すことでもあって。いやあ、辞書をつくるってすごい。言葉はどれだけ似ていても、それっぽくても、一つひとつに微々たる違いがあるから、今この場面では何を使うのが正しいのかなということを、面倒くさがらずに考えていきたいです。会話の中だとついつい勢いあまって、適切ではない言葉を使ってしまうこともあるけれど、まずは文章を「書く」ときくらいは焦らずじっくりと。なんて書くと、この文章にも、圧がかかってしまいそうなのが心配です。

ちなみに、初めて「新書」といわれるものを最初から最後までしっかり読んだのは、大学院で修士論文を書くときだった。専門的な用語が並ぶ、やたらと難しい文章は、一度読んだだけでは理解できないことも多かったけれど、何せそのときは論文を書かなくてはいけなかったから、メモをとっては何度もさかのぼって読んでいたのが懐かしい。でもそのときに、小説とはまた違った、自分の中の知識欲を満たしてくれるおもしろさに気づいたりもして。とはいえ、論文のようなきっかけがないと、こうした本との距離は自然とひらいてしまうものですね。でも、この本を読んでいても感じたけれど、やっぱり私は、社会問題に疎すぎる(疎すぎるというか、向き合うことを避けていることを、著者も本の中で触れていて、ぐさぐさしたりしていた)。でも、本を読むことが、少しでも社会の問題と向き合うことにつながるってくれるのなら、ゆっくりでも、すぐには咀嚼できなくても、触れ合う機会は増やしていきたいなと思う。活字中毒でよかった。



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