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【短編小説:MTに恋して 1】

初めて彼女を見たのは、中学の全国模試だった。
国語の現代文の問題。
以下の文章を読み問題に答えろ。

なんて綺麗な文章なのだろうか。
思わず、テスト中なのを忘れて読み入ってしまった。           作者は、MT。エッセイの中に書かれた一首の歌に私は恋をした。

「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

思わず鳥肌がたった。目の前で言葉が弾けて、景色が広がる。33文字の言葉で目の前に物語が見えた。


小さなワンルーム。彼はテレビで野球中継を見ている。
国道からはバイクの音が聞こえ、どこかで犬の鳴き声がする。
道路に面した二階の窓は網戸で、今どきクーラーもない部屋で扇風機だけがモーター音を響かせている。私は汗をかきながら、彼の隣にで、アイスを食べている。野球は8回裏、先頭バッターのヒットで得点は2−1になっていた。
「巨人負けそうだね」
「あぁ、そうだな」
気のない返事。私は彼の横顔を見た。彼は無表情に、レモンサワーのカンチューハイを片手に、少し緊張したようにテレビ画面を見ている。すでに空になったチューハイの缶が、ローテーブルの上に置かれていた。
「なぁ、」
彼が言った。視線はテレビに向けたままだった。
「何?」
私は答える。彼は、手に持っていたチューハイをぐっと煽ると、缶を机に置いた。

「嫁さんになれよ」
「え、」

彼が振り返って私の顔を見た。赤らんだ顔に真剣で不安そうな表情が浮かんでいた。その顔を見て私は思わず笑ってしまった。

これからの一生の決断をカンチューハイたった2本でしてしまう軽さと嬉しさ。何か特別な儀式ではなくて、日常の延長にある結婚。



テスト中なのに、私は悶えた。むずかゆいような気持ちが心から溢れ出す。不器用だけど、優しくて、幸せをぎゅっと詰め込んだ言葉が愛おしくて、そしてなぜか切なかった。

模試の答案用紙を前に私は大きなため息をついていた。

カンチューハイの味も知らなかった、15歳の夏。             私はMTに恋をしていた。


☆出典

・俵万智(1997)かすみ草のおねえさん 文春文庫  P358 より


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