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北斎は江戸時代の売れっ子デザイナー
芸術や美術という概念や言葉は江戸時代以前には無く、明治になって西欧からもたらされたものです。
後に日本を代表する画家(芸術家)として世界に知られる、葛飾北斎や喜多川歌麿の浮世絵の絵師や俵屋宗達や尾形光琳などの琳派の絵師達、あるいは丸山四条派の絵師達の仕事は『意匠図案家』、つまりデザイナーでした。
紹介するのは北斎が櫛の為に描いたデザイン画(見本帳)です。
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上の写真はデザイナーは不明ですが、光琳クラスの名のある絵師によるデザインだと思われます。
このように当時は家具調度品、食器、おしゃれ小物、衣類、日常雑貨、武具、祭器に至るまで、彼らのデザインは及んでいます。
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当時の、貴族、士族、寺、神社、豪商、庶民、果ては遊女に至るまで、こだわりの物を持ち備える美意識がそれぞれにあり、質の高い素材や機能性と相まって日本独自の工芸文化が生まれました。
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上の写真は、明治37年のセントルイス万国博覧会に作られた『若冲の間』という部屋の中に設置された木彫の腰板のデザイン画です。この若冲のデザイン画を元に、木彫の職人が実際に制作しました。
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このように、江戸時代から明治にかけて、驚くべきは、優れた作品の多くがデザイナーと工芸制作者(技術者)との分業制の中で生まれていたことです。
それだけ、デザインの価値を重く見ていたということなのです。
さて、現在、京都と中心とした伝統工芸は絶滅の危機にあると言われています。
なぜそのような事態に陥ったのでしょうか?
それは一言で言うと「不易流行」の永遠の真理と「デザインの力」を軽んじたからです。
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皆様のご参加をお待ちしております。
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講師 成願義夫
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