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自分の感性を信じ、貫く勇気

こんにちは♪ さかもとさとみです。

昨日、あるnoteを読んで、涙してしまいました。

文章を読んで涙することは、そう多いわけではないのですが、

自分の心の琴線に触れる文章に出会うと、涙が込み上げてくることが、たまーーーにあります。

(この、“心の琴線”がどこにあるのか、なぜふれるのか、についてはまだ自分のなかでも言語化しきれていないのですが。)

そして、今回noteを読んで涙して気づいたのは、伝わる文章かどうかとして大事かのは、長さではなく、言葉・文章の密度なのだと思いました。

…と、そんな副次的気づきを得ながら、
本当に自分にとってグッときた気づきについて。

“感性・感覚”というアンテナが教えてくれること

最近、私0歳児こ子育てをしているからなのかなんなのか、

感性感覚がすごく研ぎ澄まされているように感じることが、多々あります。

(研ぎ澄まされすぎているからか、人の空気感や自分の心の動きを敏感にキャッチしすぎてしまい、いいこともあればそこに振り回されてしまうこともあり…ということは、またの機会に書くとします)


今思えば、noteの更新ペースにもそうした自分の状況が顕著にあらわれていて、

最近また言葉にできるような時期(?笑)がやってきたのですが、

少し前は、感性感覚ではキャッチできているけれど、まだ言葉にはなるには早すぎる言葉未満の泡たち(→「さみしい夜にはペンを持て」参照)がたくさん頭にあふれかえっていて、

noteを書くどころかnoteのアプリをひらくこともありません(できません)でした👀

そして。

自分の心と身体のアンテナが立っているがゆえに、

今後までの生き方・仕事・ライフキャリアの選択についても、同様にすごく敏感にいろいろなことを感じ(て考え)ます。


・私が“心から”やりたいと思うこと、エネルギーを注ぎたいと思うことは何なのか?

・私が“心から”価値があると信じていることは何なのか?

・私が“心から”大切にしたいと思うこと、大切にしたいと思う人は?


そんな、自分自身に対する問いかけにたいして、身体がまっすぐに反応をするのです。😳

(YES!と思うことは、ハートが震える感覚がするしすぐに動きたくなるけれど、NO!と思うことには身体中が硬直して思うように動けない…という😅💦)


でも困ってしまうことがあって、それは、
頭で思うこと・頭でやっていこうとしていることと、心感性感覚の反応が真逆なときなのです。笑

・え?私は今までこれをやってきて、これからもそれをやろうと思っていたのに。

・え?…そんな選択をしたら、お金のことや今後の私のキャリアはどうなってしまうのだろう

・え?私、その領域については新参者でまだ知識経験もそんなにあるわけではないから不安


…などなど、思考と感性感覚が、相反する(そして拮抗する)ことが最近多発していて
自分のことながら少し混乱
しています😂笑

でも。

私自身ニューコードNLPを学び、無意識について学び、信頼して活かしてきた経験から、

やっぱり感性感覚が自分に教えてくれることは、自分にとっての指針として信じるに値すると思っているところがあり。

今回も例にもれず、自分の人生にとって大切な何かを、感性感覚が教えてくれているのではないかなーと思っています。


剥き出しの“感性”を、世に表す怖さ

前置きが長くなりましたが、このnoteで書きたかったのは、このことでして。

冒頭にかいた、おもわず涙したnoteを読んで深く共感したのは、

自分の感性感覚を信じることも勇気のいることながら、それを何らか言葉にして表して世に出すことって、すごく実は怖いということ。

世に出す、というと大袈裟かもしれませんが、

noteをこうして書いて“公開”ボタンを押すことは、未だに実は少しドキドキします。

読んだ人がどう思うだろうとか、
自分の頭の中を外にさらしても誰も得しないんじゃいかなとか。

大切なことを言葉にするからこそ尚更に、
だれかに否定される怖さも、未だに無くはありません。

もともと、自分の感じたことや考えたこと、大切にしていることはずーーーっと、

心のなかに置いておいたり手帳に書いて自分だけが読めるようにしていたり、ひとり自分のなかに置いておくことが多かった私。

…だから、こんなにnoteを続けていることも過去の自分からすると驚きだと思います(笑)


怖さの先に、得られること


でも、なぜそれでも怖さを乗り越えて(?)内面にあるものを言葉にするようになったのかというと、

自分の感性感覚を外に出してみることで、
人から思いもかけない反応を得ることができたり、それによって自分自身がアップデートされていったり、


時には自分の表した言葉が誰かの心の何かに触れて、行動や日々に変化がもたらされることもあるのだということを、少しずつ体感するようになってきたから。


それはnoteに限らず、対面の会話でも、イラストでも、なんでもそう。

自分の感性感覚を、外に表すことで、
だれかの何かが変わったり、
プラスな変化が起きたりすることがある。

そんな風に思うようになりました。


傷つくことを恐れて、表現しない自由もある。

だけど、怖さを乗り越えて表現した先に、
触れることのできる喜びや幸せやつながりもある。

そんなことを、改めて認識した今日でした。😊


おわりに

誰しも、その人にしかないもの、個性や才能があるんじゃないか。

そんな風に思っていたのは、覚えている限りでも、小学生の頃からだったと思います。

「私にも、きっと世界一になれる分野があって、
今はただ、その分野にまだ出会えていないだけなんじゃないかなー」

と、オリンピックで金メダルを取る選手をテレビ越しに見ながら、思っていたのを覚えています。(笑)

そんなことを思っていた小さな頃の私と、今の私は、あんまり考えは変わってない気がします。

だれでも、その人にしかない感性感覚を持っていて、そうしたものが個性となってその人ならではの興味や能力や価値観や空気感を作っていく 。

そう思って、信じている自分がいます。

不思議なもので、そう信じていても、
それでも自分の感性や個性を外に出すことって、勇気がいることなんですよね。(笑)

きっとそれは、小さな頃から、
正解不正解・高い低いといった、
外の物差しで自分をはかる習慣を身につけてきたからなんじゃないかな
とも思います。

それはそれで、役に立つこともあるけれど、
これからの時代はそんな自分の習慣をアップデートしていく必要もある気がする、今日この頃です。

もっと自分の感性を、思いっきり外に出していい!もっと自分の感性感覚を基準に、色んなことを選んでいっていいんだよ!大丈夫だから!

そんな風に、自分にいってあげたいです☺️🍀

最後となりますが、私がこのnoteを書くきっかけになった、涙してしまったnoteがこちら👇


もういちど、イチから。

私も自分のキャリアを、これからイチから積み上げていきたいなと、

そんな風に思った朝でした♪

それでは、また!✨


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