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もういちど、イチから

Gmailの検索ボックスで、ひさしぶりにある人の名前を検索してみた。
 
2014年4月24日の深夜2時過ぎに、そのメールは届いていた。
ゆっくりと開封した瞬間、起きぬけのぼんやりした頭でメールを読んだあの日の朝の澄んだ空気がひんやりとよみがえった。
 
そのメールは、眠いので言葉がおろそかになっていることを詫びた上で、わたしが新聞記者の内定をもらったことへの祝福の言葉で始まっていた。
 
大学3年の12月、就職活動のための企業説明会が解禁された。のんびりしていた、というより、働くことへの現実感と前向きな気持ちで一歩を踏み出すための着火点を見つけられていなかったわたしは、ひとつもフライングすることなくお行儀よく12月1日から就職の準備をはじめた。そして、1日だか2日に初めて参加した説明会がNHKだった。友だちが就職した。行った理由は、ただそれだけだった。

そこで、出会ったのがディレクターという仕事だった。なんの気なしに行ったその説明会で、現役のディレクターの人が登壇して話し出した瞬間、心が震えた。話を聞きながら、心臓がバクバクし、その人が話すひとことひとことに全神経が吸い込まれていった。
 
「絶対これになるんだ」
立ち上がって、そう叫びたくなる衝動を押さえながら、心に決めた。ぼーっと就職活動を始めたその日に、いともかんたんに情熱に火がつき、世の中に無数に広がるほかの選択肢に迷うことなく、進むべき道が決まった。
 
このメールは、そんな就活生のときに、誰かの紹介で知り合って話を聞かせてもらい、普通は入れないような渋谷の放送局のあちこちをこっそり案内してもらい、番組をつくる過程や頭の中を惜しげもなく見せてくれたディレクターの方からのメールだった。

結局、わたしはNHKのディレクターの内定をもらえなかった。ディレクターになれなくて悔しくてたまらない、でも新聞記者としてまずはやっていこうと思う。そんな報告と決意表明に対して、その人は指針となる言葉をくれた。
 
「ひとつエールを送るとしたら」
 
その人は、こう続けた。
 
「何よりも自分の感性を大事に、仕事をしてください。たとえば、僕が企画を出す時、『今、こんな番組が求められている』『こういう番組が必要だ』といって、自分の外部に理由を求めてしまうことがあったりします。
 
『必要だからやるべきだ』ということは、ある種ラクなのだけど、それはやっぱりよくなくて、自分が気になったこと、感じたことが最も大事だし、僕の短いディレクター経験のなかでも、結果として、そこが発端になった番組はオリジナルなものになったような気がします。
 
『小さな、自分の感覚(違和感、驚き、共感、喜び、怒り…)』にこだわることは難しいし、怖いことでもありますが(僕も、毎日その怖さとの格闘をしています)、自分の感性で社会を捉えて、情報として切り取り、伝えていくことにこだわってほしいなと、自戒を込めまくって、思います。
 
きっと吉田さんだからこそ書けた記事が、読んだ人の心を動かすことも、社会を変えていくことになると思います。」
 
真っすぐな言葉に胸を突かれた。あれほど憧れた仕事についている人が、わたしを同じ仕事のスタートラインに立つ人として、認めて、向き合ってくれている。そのことが嬉しくて、嬉しくて、新聞記者になってから怖さから逃げそうな自分を見つけるたびに、この言葉を何度も何度も心の中で繰り返していた。
 
もう一度メールを読み直して気が付く。
 
もう、10年か。少しの失望の中スタートを切った新聞記者という仕事は、かけがえのない職業だった。当時の手帳を見れば、日々どんな発見があって、どんな感情を味わって、どんな景色を見ていたのか色鮮やかに思い出すことができる。間違いなく、人生でいちばんきらめいていた時期だった。でも、その仕事も5年後に辞めた。あらゆることに行き詰まりを感じてしまい、記者という仕事からも、新聞社という組織からも、日本という国からも一度離れてみようと思ったのだ。
 
それから、タイで全く別の仕事をしてみて、韓国で留学をして、ある日胸にすとんと落ちてきたのは「書く仕事がなによりも好き」という疑いようのないまっしろな本心だった。
 
もういちど。
もういちど、きょうからこの言葉と一緒に、始めてみよう。
ラクをせずに、ズルをせずに、でもムリをしすぎずに、文章というものに真っすぐに向き合っていこう。きっとその先に、あたらしくて、もっと面白い出会いと発見がある予感がしている。

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