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船を待つ小野さん

認知症の方との会話はなかなか難しい。

――このひとは一体何をいっておるんだ??

と思うことがよくある。多々ある。その連続である。
そういうとき、どう対応するか?
これは介護のワザの見せ所。解読困難なことをおっしゃったお爺さんに対し
何いってんの、まじイミフー。やばみざわ
と返してしまって介護失格なのである。

数年前。

小野さん(仮)いうお爺様がいらっしゃった。


足腰、身体はしっかりして健康な方だったが
やはり認知症。これまで出会ったご老人の中でも特に会話がファンタジーな方であった。あまりにファンタジーだったんで記録として、当時の会話を忠実にメモったりしていたので、それを参考にあるやりとりをご紹介したい。


これはある日の深夜二時ごろ。
自分が事務机で作業していると、後ろに気配を感じた。
パッと振り向くと、長身の老人がヌーーーっと立っていた。

びくっ

と一瞬なった。そう。小野さんである。
小野さんのとの深夜の会話は大抵このようにして始まる。

「ど、どうされました?」


と訊くと小野さんはぼそぼそと言った。


「あのーちょっとお尋ねしたいことが」
「はいはい、何でしょうか?」



「男子風の女性を変えて、ええーー、女性に作り直して。男子風に切り替えます。はい」 



「……………」



自分はこの時点で混乱した。



「男子風に替えても、女性が替えられるか、という、ここが問題ですね、はい」


「……………」

まったく分からない。もうまったく。
男子風とか、なんかちょっとジェンダレスな内容のようではあった。
「切り替えても、男子は困ります。女性は替えられれば、まあいいとは思うんですけど、」
と続け、田中さんはこちらを見た。


「はて、どうしましょうかね??」


なんてことだ。自分の会話のターンになってしまった。
小野さんはじっとこちらを眺めて、質問のアンサーを待っている。

「…………えーと………」

自分はむろん答えに窮した。「男子風ってその……んんん……」
と要領を得ない返事をしていると、小野さんが追い打ちをかけるように言った。


「えー正月じゃないんですが、まあ似たような格好に替えますんで?」


さらにカオスが加速された。

唐突に放り込まれた「正月」という季語。(※ちなみにこのとき季節は春から夏になろうとしてる時期だった)
自分は、タップするように

「ちょちょちょちょ。ごめんなさい!」

とまだなんか喋ろうとしてる小野さんを静止した。


「すいません。これは……いま何の話でしょうか?」


なるだけ丁寧に、率直な疑問をぶつけてみた。


「えー歌の話になります」


と田中さんは即答した。


「歌の話なんですか!??」


自分は驚いた。
まさか、歌の話とは思わなかったからである。歌の要素なんか無かったではないか。

「正月に歌う歌があります。正月に歌うもので」

「……はぁ……」


「それを歌って頂きたい」


「……………………」

――ここまでの会話を整理しよう。
まずキーワードとしては三つ。

『男子風』『正月』『歌』

そして小野さんの話の重要な目的が明らかになった。
曰く『歌って頂きたい』と。

これらをすべて統合してシチュエーションを想像するに――

小野さんは職場で正月に新年会があって、その幹事になったのではないか?
そこで小野さんは会が盛り上がるように、その出し物の目玉として「歌の出し物」をやろうと思いつく。小野さんの考えた歌の出し物とは、
女性は男子風に、男子は女子風にメイク・衣装などで着飾って、歌を歌うショーであった。それはおそらく宝塚ようなもの、もしくはワハハ本舗のようなものと察する。ろっくでーなしー♪と歌いながら鼻からピーナッツを飛ばしてほしいのかもしれない。
とにかく自分にその主役として、メインで歌を歌ってくれないか?と打診しに来たのではないか??


だとしたら、これは営業の仕事である。
事務所を通してもらわなければいけない。自分は確認の意味をこめて訊いた。

「それは僕が歌うんですか?」


「いえいえいえ。笑。 できれば上手な人に」


「………………」

自分はとんだ勘違い野郎であった。

プリマドンナに選ばれたとばかり思っていた。

しかし人の歌を聴きもせず下手だと決めつけるとは、なんと失礼な人だろう。


「わかりました。じゃ歌うまい人探しておきますね」

というと小野さんは「すいません。どうぞお願いします」
といってベッドに戻っていった。

とまあ、このように小野さんの会話は、
常にファンタジーではあったが、そこにはシチュエーションらしきものが存在しており、そこを理解して対応することが大事であった。
君何いうてんねん、やめさせてもらうわとドツいて袖にハケてはいけない。


実は自分はこの小野さんに、認知症の方への会話の対応術をけっこう学んだ。

小野さんが施設に来たばかりのころ――深夜に起きてきて、いつも必ずされる質問があった。


「あのーすいません、船はまだですか?」


もちろんここは介護施設なので、船は来ない。
なのでいつも自分は、シンプルに


「いや……船なんか来ないっすよ」


と返すのが常であった。すると小野さんは


「いやそんなはず無いんですけど、もうずっと待ってるんですけど、困りましたね。いやあどうしよう。間に合わないなぁ」

とぶつぶつなにかずっと言っているのである。そうしてまた


「船の時間はいつ頃ですか?」

とくる。
そうなるとこっちも人間なのでうるせえなぁ寝てくれよと思ってしまうわけで

「いいですか小野さん? ここには船は来ないんです。ここは東京の〇〇という場所です。海はありません。だから待ってもしょうがないのです。もう寝ましょう」


とド正論を突きつける。
しかし小野さんはあくまで、船は来るものだと思っているので

「いやいや、なにを馬鹿なことを? そんなわけはないでしょう!?」

とだんだん不機嫌になる。そうなるともう悪循環。こっちも「いいから今は寝てください!」なんて軽く喧嘩腰みたいなことになり、あげくが


「あなたじゃ話にならならないっっっ!!」


と小野さんは大きな声を出すのだった。
その声に反応して、そばで寝てたお婆さんが


「うるさあああーーーい!!!」


と往年の怪物くんのように叫んでしまい、
こうなるともう収拾不能で、自分は右往左往し、泣き叫びながら施設を飛び出し、現金輸送車を襲い三億円を奪い、湘南へ行き、海を見ながら介護パニックというタイトルのB級映画をとりたくなってしまうのだった。


このように小野さんは本当に毎晩のように、船がどうたらこうたら言うので、
この対応に自分はけっこう参ってしまっていた。

そんなある日――

この小野さんの「船はまだですか」問題を、
朝方やってきたおばさま職員に相談してみたところ、こんなことを言われた。

「あー小野さん確か、むかし港で働いてたんだよね」


――港? 


初耳であった。


「なんか船乗りとかだったんですか?」

「いや漁師さんそういうのじゃなくて。なんか港でね、船から来る荷物を管理するような、貿易関係かな? なんかそんな仕事だったみたいだけど。それ思い出してるんだよ」

なるほど……

これで合点がいった。

小野さんは目が覚めるとその場所を、かつて何十年も働いた港だと信じ込んでいたのである。

――恐らく、もう退職して30年くらい経っていたろうが、――んなことは関係ない。しっかりと職務を果たすため、彼は毎晩毎晩、責任もって船がくるのを待っていたのだ。
港での仕事は、小野さんにとっちゃあ人生の重要なパーツで、きっと誇りでもあっただろう。


その仕事をする男に自分は

「船なんか来ないっすね」

と、無責任に返してしまっていたのである。小野さんが激昂するのも無理はなかった。


――次の晩。

またいつもように深夜に目を覚ました小野さんは、
ヌーーーーーっと自分のいる事務机へやって来た。


「船はまだですか?」


と小野さんが訊く。

自分は落ち着いて答えた。


「ああ、今日は欠航みたいですよ?」


小野さんは少し驚いたように「あーーーそうですかー」と言った。

「連絡がくると思うので、それまでベッドで休んでてください」

小野さんは安心したようにぺこりと頭を下げ、「ではよろしく」と言って寝床へついた。

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