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年金合宿の福本さん

「ねえ父さん、こういう施設なんだけど……そんな悪いところじゃないみたいだし……週に一回は会いにいくよ……どうだろう。試しに一回入ってみない?」

なんて。

こんな台詞、ドラマや映画で訊いたことがあるだろう。
意を決して、実の父親に介護施設を進める――大抵は緊張感のあるシーンで、じっさい現実、かなりデリケートな部分かと思うのだけど、といって、別に自分みたいないち夜勤介護職員のお笑い風情がこんなシビアな家族会議の現場に立ち合うわけが無い。想像の域を超えぬ。

しかし

ああ・・・・きっと家族の人はどうにかこうにか説得したんだなぁ~・・

というその必死の痕跡だけが見えたりする。

――これは自分がまだ介護施設で働き出して間もない頃のこと。
福本さん(仮)というお爺さんがいらっしゃった。
福本さんはトイレや食事、着替えも自立している方で、あまり手のかからない利用者さんだったのだが
その福本さんが、ある日の深夜。
のそのそトイレに起きてきて、事務机の前にいる自分に向って言った。


「・・・年金合宿だよねこれ?」


自分は顔をあげた。


「・・・・はい?」


お爺さんなのにつぶらな瞳の福本さんが純粋なまなざしで見ていた。


「年金合宿でしょ??」


ねんきん・・・がっ・・しゅく??

一体何の話をしているんだ爺様は? と思ったが、福本さんはそうだよねっ? ね? って風情でこちらを見るんで、ここはなんとなく話を合わせた方がいい気がして


「・・・そうですね」

と自分は自信なく答えた。

福本さんはひとり、ね? そうだよねぇ? ったくねー。大変だよぉー。とかなんかぶつぶつ言って、へへへ、とか無意味に笑ったりしてから


「日本も面倒くさい国になったなぁ~」


といって寝床へ消えていった。

ひとり薄暗い部屋に取り残された自分は、【年金合宿】という、なんか絶妙に訊いたことあるような、無いような、なんともいえない語感のワードに混乱した。
なにせまだ介護はじめたてである。・・・これ自分が無知で知らないだけなんだろうか?
なんかそういう介護の専門用語? システム的なもの? があるんだろうか? と思って目の前のパソコンを操った。検索窓に


『年金合宿』


と打ち込んでグーグルさんに尋ねた。
・・・しかしどう調べても年金合宿とかいうワードは引っかからない。
『免許合宿ではありませんか?』
みたいなことをグーグルさんが言ってきたので、自分はパソコンを閉じた。

――その日の朝。
交代のスタッフのおば様が来たんで昨晩の謎を解明すべく、上記との年金合宿のあらましを語った。


「・・し、し・・・調べたのーっ!? 年金合宿ーっ!? うひはははは」


彼女はのたうち回って笑い転げた。

「え?え?」「うひははは」「面白いんすか」「だって、ひひひひははは」「だって知らないすもん年金合宿」「うひひおかしい」「すごい笑うじゃないですか」「だって坂巻くんーいひひひ」

よほどツボにハマってしまったようで、彼女が笑い止むのをひとまず待ち、呼吸を整える段になったところで、
ようよう『年金合宿』が何たるかを訊き出した。

曰く――
もともと介護施設に対してかなり否定的だった福本さん。
先だってのドラマの台詞みたいなことをご家族がおそらく言ったんだろうが

「そんなところの世話にはなりたくない! 年寄り扱いするな! この恩知らずめ!」

ばりな感じの返答だったので困り果てた。
本人の意見も尊重したいが、認知症の進行する老父を現実問題放っておくことはできぬ。
どうしよう・・・千思万考の末、ご家族の方はとあるシステムを編み出した。そう。それこそ


【年金合宿】である。


つまり


『年金を貰うため国民は【年金合宿】という国の定める合宿を一定期間行う必要がある』


という制度が定められたという、架空のSFチックな設定を作ったのだ。

「お父さん。年金を受給してもらうためには、これから日本では、こういうような施設でちょっとの期間生活する必要があるんだって。これは国が決めた新法なんだよね」

とスピリッツあたりで連載されてそうな設定で攻めてみたのである。
これにもともと政治的関心が強くインテリジェンスな面のあった福本さんは許諾。

「まあ国が決めたことならしょうがねえなぁー、面倒くさいなー、ったくもう~」

みたいなテンションで、入所したとのこと。
といって、いや、こういうケースは福本さんに限ったことではない。
入所拒否するお年寄が、ご家族から別の施設だと訊かされていらっしゃることはままにある。

やれ

『病院の検査のために、しばらくお預かりしてもらう施設』 だとか

やれ

『ご家族が引っ越しをするため、その期間だけ過ごす施設』 だとか


しかし【年金合宿】ほど想像力あふれる設定は、後にも先にも無い。
まあ言い換えれば要するに『嘘』なのだが。こういう事をいうと、
やい! 老人に嘘つくのか!? 認知症の人を騙すのか!? 
と目くじら立てる正義感強い系の人がいるかもしれないので、現場の声として反論しておくと、それはだいぶ素っ頓狂な意見である。
なぜならむしろ介護には『嘘』は不可欠だ。
そういった『嘘』が結果、利用者さんの身の安全、ストレス軽減に繋がるのだ。なんて持論を付け足さしてもらう。

まあとにかくそんなわけで【年金合宿】なる奇抜な設定を自分は理解した。


後日――
また深夜のトイレに起きてきた福本さんが、事務机にいる自分に再び問うた。


「ねえ年金合宿でしょこれ??」


自分はもうこの背景を完璧に理解している。迅速に、そして笑顔で答えた。


「そうですよぉー」


福本さんはやれやれ、と言った感じで、へへへと笑いながら言った。

「いやあ日本も面倒くさい国になったねぇ」
「本当すねえ。まったく」


「なんか海外のやつでしょ?」


「・・・はい?」

海外のやつ・・・?

「海外のやつから、あのー、ねーーー、ほら、ひっぱってきたねーーなんかやつでしょ?」


「・・・・・そうですね」

と自分は自信なく答えた。

そうだったのか? 年金合宿制度は海外の制度を見本に日本で適用された新法だったのか?
そんな裏設定は訊いていない。


「どこの国のだっけねえ? あのーーーうーーん」


「・・・・・・」

自分は答えに窮した。

「どこでしたっけね・・・」「どこだっけねぇー」「忘れちゃいましたねちょっと・・」「まあどこでもいいけどねえー」「そうすねーうーん・・・」「えーっとどっかのねーー」

「・・・ドイツとか・・・その辺の・・・・」


といい加減なことを試しに言ってみると


「あーそうだ。そうだねー」


と思いがけず福本さんの同意を得られた。

そうだったのか? 年金合宿制度はドイツで生まれた制度だったのか?
いやでも、福祉の発達してるスウェーデンとか言った方がリアリティあったかもしんない。
とか今書きながらどうでもいいことを思ったがそれは本当にどうでもいい。


「何年かごとにねーーなんかやんなきゃいけないんでしょー冗談じゃないよー」

「・・・・・そうですね・・・」


そうだったのか? 年金合宿は一回じゃなく何年かごとに更新しきゃいけないのか?


「なんか審査みたいのがあるんでしょー?」

「・・・・・そうですね・・・」

そうだったのか? 生活態度や成績で審査されて貰えないことも生じるのか?

次々の複雑なシステム体系が明らかになる。
考えた家族の人は、本当に小説家かなんかじゃないか? なんて思ってる間に、さらに年金合宿について話し込む気配の福本さんを

「ト、トイレ空いてますよ福本さん、トイレトイレ」

とうながした。あーどもども。へへへ、といって福本さんはトイレに入っていった。


■年金合宿制度まとめ
・年金を貰うために一定期間、国の定める合宿を行う制度。
・ドイツの年金制度を見本にして近年日本で制定された。
・数年に一度、定期的に年金合宿は行わなければいけない。
・年金合宿においては審査があり、規定基準を満たさなければ受給されない。


こんなもの本当に執行されたら日本各地で暴動が起きる。

というか、何が凄いって認知症であるはずの福本さんがこの入り組んだ制度を理解し、知識として吸収していることで人間の脳の構造というのは実に不思議である。
まあ、てわけで
福本さんは深夜起きてくると日課のように


「年金合宿でしょこれ?」


と訊いてくるのだった。
何十回、何百回も同じ質問をしていることも、何か月もこの施設にいることも、
ご自身はむろん全部忘れてしまっている。
ただ年金合宿というややこしい制度だけはなぜだか忘れずいるのだった。

「審査が長引いちゃってるみたいで。国ももっとしっかりやってほしいすねー」

「本当だよぉー、ねーー」

時に年金合宿という不条理な制度を、自分は共に憂いた。
そのたび福本さんは、やれやれ、といった感じでへへへと笑った。


――それから2年ほどで自分は別の事業所に移動となった。


「年金合宿でしょこれ?」


最期の出勤日。やっぱり福本さんに訊かれたのを覚えている。

「そうですよー」

自分も慣れた口調答えた。
――福本さんの年金合宿はこれからもずっと、永遠に続いていくのだろうか?? 
そんなことを考えた。
寝床に戻る福本さんに


「早く終わるといいっすね」


と自分は声をかけた。


「ったく。本当だよおー」 


と言って福本さんはへへへと笑った。

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