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子供は頼られたい、親は頼りたくない

妻が妊娠をしてから、親とはどういうものかを考えるようになり、自然と両親のことを思い出すことが多くなった。

振り返ってみると、親というのは子供に頼りたくない生き物だと思う。
逆に私は、つまり子供というのは親に頼られたい生き物だと思う。
高校を卒業して県外の大学に行くまでは、私はご飯を炊くこと、兄は風呂掃除が担当であったし、お願いされて他の家事をすることも当然あったが、必要に迫られた場面で、両親が私たち兄弟を対等な立場で頼った記憶はほとんどない。

母が癌になって治療が必要になった時も、私はもう働いており生活にもそれなりに余裕があったが、経済的な支援や諸々の手続きなどの手伝いを頼まれることはなかった。
私がしたことといえば、たまに東京から実家のある宮城に帰り、お土産を渡して普段通りにダラダラと過ごしただけであった。
言い訳のようではあるが、父も母もいつも通りに過ごすことで、癌のことを深刻な話題として取り上げることができない雰囲気を作っていたように思う。
私は、私に心配をかけないようにする両親の気持ちに応えようと、東京での生活や仕事に打ち込んでいた。

母の病状が進行して余命が近くなったとき、新型コロナの影響で病院が面会を規制していたことで満足にお見舞いもできなかったため、両親は在宅医療を受けることに決めた。
私が実家に帰る頻度も増えてはいたが、ある日、父から家族のグループラインでは無く、私個人に連絡が来た。
「腰をやっちまって、母さんの世話が1人だと厳しい。お兄ちゃんも基本出社で働かなきゃいけないから、こっちでリモートワークができないか?」
すぐに上司に相談をして、地元に帰る新幹線の中でじゃがりこを食べながら、涙がこぼれそうになった。
やっと頼られた。遅すぎた。家族同士で気を使うべきではなかった。母への親孝行の時間は、もうほとんどない。できることは何でもしようと思った。

私はしばらくの間、実家で家族みんなと過ごし、東京に戻った。
やはり両親は最期まで、できるだけ私に心配をかけないように振舞っていたように思う。

それから数年が経ったいま、シャワーを浴びているときに、ふと気が付いたことがある。
あのとき父が私に連絡をしたのは、私を頼ったのは、母と私のためではなかっただろうか。
自分の腰のせいにして、母と息子の最期の時間を作ろうとしていたのではなかったか。
もしそうだとしたら、親とはなんと偉大で、プライドが高く、愛に溢れた生き物なのだろうか。
父に直接聞くことは、とてもじゃないができない。
父も素直には答えないだろう。
私は妻と2人で、家族との思い出と答えの出ない仮説に支えられながら、自分たちなりに頑張っていくしかないのだ。

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