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もしも「デスノート」の夜神月がアフターデジタルの世界で神になろうとしたら

アフターデジタル。オンラインとオフラインの境目はなくなり、人々の行動は漏れなくデータ化された世界。

もしこんな世界に、あの、デスノートの夜神月くんが現れたら、どんな裁きをするだろうかという思考実験です。妄想を楽しみながら理解が深まればなと!

データ社会≒監視社会、いいことすればいいことが返ってくる…のはわかるけど、うかつに悪いことできないのも正直怖い!

ここにも出てくるんですけど、それこそ中国の「信用スコア」みたいな。もろもろの行動がスコアリングされて、良いことをすればいいサービスが受けられる、みたいな。

日本でも始まってはいるみたいですね、どこまで普及するかは見ものですが…。

去年中国に遊びに行った時も、上海の超観光地のとこに、歩行者の信号無視を記録するカメラとかがあってですね、正直そのデータがどこにどう送られてるかもわかんないし、いやーこれだけしっかりデータ取られてると、悪いことできないなーっていうの、素直に率直に思ったんですよね。

でも実際、中国ではそうやって行動をデータ化して評価することで、人々のモラルは向上しているらしいです。アフターデジタルにも書いてありました。私自身、旅行してみても、正直、サービスの質が悪いとか、人が悪いとかってことは一切感じなかったですね。

我々の世代にとってこの世界観、「デスノート」的じゃありませんか、と

で、この世界観。なんとなく、「デスノート」を思い出すんですよね。

デスノートというマンガは、もう説明不要かもですが、主人公のライトくんが、「顔と名前を知っていればいつでもどこでも人を殺せる」能力を得て、それを使って犯罪者を殺していくことで、世の中から犯罪・悪事・戦争をなくそうと行動していくんですよ。

結果、凶悪犯罪が激減したりして、世の中がよくなる側面もあるんだけど、いやそもそもライトくんはただの大量殺人鬼なので、警察には追われるわけですが、それでいいのか、的な、善悪を問いかけるストーリーです。

※ あと、「シリアスな笑い(BAKUMAN談)」を織り交ぜたシュールギャグを叩き込むという悪癖もあります。いまだにあれだけコラが出回ることも、そのシュールさと、愛され度を感じさせますよね。

でもそう、監視と賞罰によって、人々が「悪いことできないな」って思うことで、世の中がよくなる、っていう点においてかな、ちょっと似てる部分があるなって思ったんですよ。

そこで、これ、もう15年とか前の作品ですけど、もし、今このデータ世界を舞台にしてデスノートが描かれていたら、主人公のライトくんどんな行動するんだろうって。どんな新世界の神になるんだろうって。素朴に思ったんです。

前置きが長くなりましたが、、今回はそこんところの素朴な思いを掘り下げて、思考実験的なブログを書いてみようと思い至りました。

「テレビの報道」から犯罪者情報を得るのは大変だったろうねライトくん

連載開始が2003年。17年前(!)。犯罪者を裁きたいライトくんの情報源は、もっぱらテレビでした。ポテチの中に携帯テレビを忍ばせてこっそり裁くシュールなシーンは、デスノート屈指の名シーンですね。

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今であれば、そんな情報もどちらかと言えばWEBで検索してバンバン裁いていきそうなもんですが、おそらく時代的な背景もあり、物語の中でWEBから犯罪者情報を得ているような描写はほぼありません。

そのわりに、

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殺人を犯した者に対して殺すだけの理由があった殺された人間の方が悪だとキラ自身が判断すれば裁かない

意識高い!!

当たり前です。何せ新世界の紙ですから。やはり本当の悪人をこそ裁くことによって、世界を良くしていきたい、という正義感が彼にはあったわけです。

いやでもさ、

テレビの報道だけでどうやってそこまで判断してんだよ!!

と、子供ながらに思ったのは私だけじゃないと思います。

うん、相当難しいですよね。テレビの報道ってそもそも情報量が限られてるし、偏ってる可能性だって否めない。そこでそんな正確な善悪判断ってほぼ無理でしょう。その点、今の情報化時代、さらには中国みたいなデータ社会になってたら、もっといい判断ができて、いい神になれると思いません?

てなわけで、単純に思うのは、今の時代ならもっと情報得られるよねっていう話。

「テレビの報道」「犯罪」という、非常に限定的な「点」ではなく、アプリやデバイスを通じて、もっと継続的に、網羅的に「日頃の行い」な感じで、「面」的な情報を得ることができるんじゃないだろうか……ということですよね。。

企業活動も同じ。「点」的なつながりから、「面」的なつながりへ。

さて、急に話は書籍「アフターデジタル」へ。書籍の中では、以下のような概念が語られています。

「バリューチェーンからバリュージャーニーへ」。

① 企業と顧客が「製品・サービスの提供」という一点でつながる「バリューチェーン的な考え方」

企業行動の観点で言うと、かつての時代(ビフォアデジタル)では「商品・サービスの提供」というただ一点、「単一点」においてしか企業と顧客は繋がれませんでした。顧客からのフィードバックもそこからしか得られないんですよね。非常に限定的な情報。

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逆に言えば、その点だけ見て、その点だけ考えていればよかったとも言えます。良いサービス、良い商品を提供すれば売れたし、それをどう作るか、どう効率的に届けるかを考えればよかったわけです。これが「バリューチェーン」的な考え方。

非常にたとえが悪くて心苦しいのですが、これはライトくんが「テレビの犯罪者報道」だけで情報を得ているのと似ています。「犯罪者」側にも人生があって、善悪いろんな行動をしてきたでしょうに、「テレビで報道される犯罪」という一点のみでしかライトくんとつながれないのです。

そら殺される側もたまったもんじゃないですよね…。

そう考えると、今までの企業と顧客の関係がどれだけ限定的で、得られる情報がどれだけ少ないか、がちょっとわかる気がしますよね。よくこれで顧客を満足させる製品を作ってくれていたものだと、企業努力のたまものだと、尊敬の念を禁じ得ません。

いや、しかし書き始めてから気づきましたが、例えが悪すぎますね…犯罪だの殺しだの…でもここまで来ちゃったから、ちょっとこのままいきますね…。

② 企業活動と顧客の人生が面で接し続ける、「バリュージャーニー的な考え方」

さても今の時代は、モバイルデバイス、5Gネットワーク、クラウドデータベースなどの発達によって、企業と顧客は、「常に(オンラインで)つながれる」状態になっていますよね。先述のような点ではなく、面でつながれる。

例えばアフターデジタルの中で挙げられている「スニーカーの提供」というビジネスを例に挙げると、スニーカーだけでつながるのはもったいないというわけです。スニーカーに至るその人の人生の、様々なシーンで接点を持つことができる。その接点一つ一つで、「サービス・商品・体験を提供し、顧客情報を得る」ことができるわけです。

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単一点での提供・情報取得よりも、はるかに厚みのある体験を提供できそうだと、思いませんか?

ライトくんも現代に生まれていたら、テレビの報道という単一点、あるいは対象の「犯罪」という単一点だけではなく、もっと多くの接点を持つことで、その人の人生を知ろうとし、より深い裁きを実行していたことでしょう。

アフターデジタルで考える②:対象との「接地面」を設計する

ただまあ、そう簡単にもいきませんよね!

ライトくん、どうやって犯罪者予備軍と「面」で接するんでしょう、っていう。上記のスニーカー店の例でいうところの、「接地面」の設計が要るわけです。

「接地面」を設計するのに最も重要なことは、アフターデジタルでは以下の2つだと語られています。

高頻度接点による行動データとエクスペリエンス品質のループを回すこと。
ターゲットだけでなく、最適なタイミングで、最適なコンテンツを、最適なコミュニケーション形態で提供すること。

つまるところ、接点を持つにしても、そもそもその各接点を「ユーザーに選んでもらわないといけない」ということで。スニーカーの例で言うと、数あるヘルスケアアプリの中から選んでもらわないと意味ないし、数あるマラソンイベントの中から選んでもらわないとですもんね。

そのためには、データ取得と分析によって、「顧客理解」をして、適切なタイミングでサービスを届ける「即時性」が大事である、すなわち「顧客の人生に寄りそう」ような接地面設計が重要だと、アフターデジタルの中では説かれています。

自分のことをすごくよくわかってくれる執事が常にそばにいてくれて、ここぞというときにすごくいいサービスやサポートをしてくれる。みたいなイメージかなと…。そういう設計ができて初めて、企業と顧客が面でつながれる。すべての場面でいい体験が提供できる、というわけですね。

ところで、そう、そうなんです、この辺で早くも、

ライトくんの手法が詰んでしまった感があります。

提供される体験が「裁き」じゃあもう、論外、問題外。誰も選んでくれない

ですよねー。

ライトくんの立場からすれば、「正しい」裁きを行うために、データが欲しいわけなんですけども、でもデータをとるための「接地面」を作ろうと思ったら、その人の人生に役立つような体験提供を設計しなきゃいけない、というわけで。

もうその時点でなんか本末転倒感あるし、仮にそういうデータをとるためのサービスみたいなものをつくれたとしても、行き着く先はライトくんの「裁き」なわけですから、なんか成立しなさそうですよね。。

これも「アフターデジタル」内に書かれていましたが、中国の信用スコアなどの例をとっても、「スコアの低い人に罰則」ではなく「いいことをすると、メリットが返ってくる」という加点方式になっている、ことが多いようです。そうでないと、ユーザーが好きになってくれない、使い続けてもらえない、と多くの中国企業は考えているから、らしいです。

そりゃもう、「このサービス使ってたら、やたら怒られる」とか、ましてや「下手したら殺される」とかいうことがわかってたら、絶対に使わないですよね。。

現代の「神」はデスノートでは務まらない。「善行が評価されるシステム」をつくることで、世界は少しずつ良くなる

思いつきから始まったこのブログでしたが、こういう結論に落ち着いて本当によかった。笑

悪を罰する恐怖政治は時代遅れだと。それよりも、良いことをしたらよいことが返ってくる社会を少しずつ構築できれば、着実に良い世界につながる…ということなのかなと。

そしてそれはデスノートみたいな超能力や、ライトくんみたいな超天才は必要なく、今やふつうの人、ふつうの企業努力でシステム設計をしていくことで実現できるってことでもあるなと。それだけ世のテクノロジー(クラウドとか、AI)が発達したということかなと思います。

私の仕事も世界平和への一歩になったらいいな。
いや、なるはず。頑張って設計しよう。

ご精読いただきありがとうございました!!

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