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なぜ「経済を回す」必要があるのか

「経済を回す」とは結局なんなの? なんでやるの? 回さなかったらどうなるの? っていう頭の中のモヤモヤを一気にまとめてみる。

まえがき

2度目の緊急事態宣言が始まった。事業縮小を余儀なくされたり、大好きだったお店がつぶれてしまったり、新規感染者が過去最高だったりと、悲しいニュースが続いている。

このような気持ちに余裕ができないときこそ 冷静に正しい知識を得て判断することが必要だ。この情報社会において拡散されている情報は、データにもとづかないにも関わらず、恐怖を煽ったり、極論を発言することで視聴数を獲得する目的のそれが多く紛れ込んでいる。気持ちが不安になるほど それを鵜呑みにしてしまい、けっこう感情論で動いてしまうことが多い。

だからSNSを見れば何もわからないまま右から左へ「自粛だ」「医療崩壊だ」「お湯を飲むのはコロナに効くらしい」「いや、やっぱり効果はない」となってしまいがちだ。別に感情が悪いわけではない。誰しも死ぬのは怖いし、後遺症とか聞くと世界中 自粛してくれよ、とかって話になるのもよくわかる。危機感を持つことは必要なことだ。ただ、根拠なくヨコシマな気持ちで流されてしまうことはあんまり好ましいとは言えない。

ちなみにこのnoteでは自粛すべきとか、経済を回すべきという結論は持っていない。想像しづらい「経済を回す必要性」というのをイメージできるようにして判断の選択肢を増やすというのを目標にしている。

自粛派と経済派、両刀の問題を知ったうえで、「それでも自粛すべき」・「やっぱり経済を回すべき」という判断が各自でできればそれでいい。例え同じ行動指針であっても、根拠がある場合とない場合とで行動の質がぜんぜん違う

目の前の想像しやすい「人がコロナにかかって亡くなる」という恐怖によって、遠い未来に時間差でやってくる問題は想像がつかなくておざなりになりがちだ。いくら偉い人が「経済を回そう」(もしくは「自粛しよう」)といったところで、生活にどのような支障が出てくるのかイメージできなければやはり「自粛しよう」(もしくは「経済を回そう」)の一択になりがちである。

ところが選択肢が一択しかないというのは悲惨だ。雨なのに、傘がなければずぶ濡れになってしまう。その逆で、晴れなのに意味もなく全国民が傘をさすという残念なことにもなりかねない。とくに、今が大変な時期だからとずぶ濡れのまま歩いて、けっきょく風邪をひいて全滅していくというパターンは一番つらい。

けっきょく何を選んだってメリットもデメリットもある。このような予想だにしない出来事に関しては、正解というものは存在しない。実際に、国ごとに取り行っている判断はまったく違うし、同じ専門家でも発言している内容は真逆だったりする。結局のところ誰もわからないのだ。しかし選択肢は多いほうが、まだ良い選択ができる確率が上がる。だから少しでも多くの正しい知識、多くの選択肢を持つこと、そして一人ひとり考える機会が必要ではないだろうか。

各自がどうするのがいいのか考えるきっかけになればいいなと思って書いてみる。


経済のしくみ

そもそも経済とは何なのか。複雑に見えて意外とシンプルな要素で構成されている。

一言で言うと、「買い手」と「売り手」がお金と商品を交換するというものである。


例えばデパ地下で何かお土産を買って帰ろう。あ、何か甘いものがいいな、となって「ケーキを500円で買う」とする。すると、「お店」と「客」の間で、「ケーキ」と「お金」を交換することになる。

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全国各地で今この瞬間も絶え間なく、商品とお金の交換が行われている。

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この「商品とお金の交換」を繰り返すほど、経済が発展し、便利に楽しく暮らせるようになっていく。それはどういうことを意味するか。

具体例で考えてみよう。

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海のそばに住んでいるネコは、魚を食べて生活していた。そして、あまった魚を山のそばに住んでいるウサギへ売ることでお金を稼いでいた。

ウサギはレストランを経営していて、仕入れた魚を調理して、常連客であるイヌに提供することでお金を稼いでいた。

そしてイヌは工業製品を作って販売することでお金を稼いでいた。ある日、イヌは、魚屋のネコのところへ行って「一度に大量の魚をとるマシーン」を作ったんだけど買わないかと持ちかけた。話はトントン拍子に進み、ネコはそれを購入したことで、一度に魚をとる量を増やすことができるようになった。また、イヌの売り上げが上がった。

そのとき、レストランを経営しているウサギから一報が。なにやら「新規店舗をオープンするから魚の仕入れ量を今までの2倍にしたい」とのこと。ちょうどいいではないか。ネコは喜んで引き受けた。それと同時に収入も倍になった。

そして新規店舗が無事にオープン。お店は好調。ウサギの収入も倍になった。
「よし、収入に余裕があるから、新しいメニューも作ってみようかな。」
そんなわけで、レストランでは魚だけでなく肉料理も提供できるようになった。

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<最初と最後を比べて変わったこと>
・ネコの収入 → 2倍に
・ウサギの収入 → 2倍に
・村の中でレストランが2店舗に増え、魚だけでなく、肉料理も食べられるようになった

商品とお金の交換を繰り返していくことで、社会が発展し、生活が便利に楽しくなっていくことが想像できたと思う。


するとこんな疑問が生まれてきた。

「別にいったん経済を止めてもいいんじゃないの? 半年くらいみんなで自粛して、そのあとケーキ買えばいいし。それくらいならガマンできるよ。」

だが、そういうわけにはいかないのが経済の難しいところだ。続きを見てみよう。


経済を止めるとどうなるか

——— ある年、村にコロナ騒動が起きた。

村長は言った。
「6ヶ月間、経済活動をストップする。」

ウサギの経営しているレストランには暗雲が立ち込めた。レストランの営業を止めなければならないということは収入もなくなるということだ。多少の貯金はあるが、生活費と店舗のテナント代を支払わなければならない。いつまで持つか……。

ウサギは魚屋のネコに一報を入れる。
「明日からしばらく魚の仕入れを止めるよ」
仕入れ先であるネコの収入もなくなった。魚は獲れるからご飯は食べれるけど、しばらく節約生活になりそうだな……。

ネコはマシーンのメンテナンスを頼んでいたイヌにお金を支払う余裕がなくなり、イヌも収入が途絶えることになってしまった。
「代わりの仕事を探さなければ……」

——— それから6ヶ月後

村長「経済活動を再開しても良いことにする」

ウサギはレストランをいち早く開けた。客足は徐々に戻ってきたが、以前の半分になってしまった。
イヌをはじめとする常連客の収入が途絶えたことによって外食する余裕がなくなってしまったからだ。

そしてイヌの工場は取引先からお金を回収できなくなり、廃業となってしまった。代わりの職を探しており、失業手当をもらって生活している。

また、ウサギのレストランは2店舗のうち、1つはつぶれてしまった。イヌが廃業してしまったことで、ネコの魚取りマシーンがメンテナンスできず、たくさんの魚を一度に獲ることができなくなってしまった。そのため、仕入れる魚の量も増やせなくなってしまったからだ。

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<いったん経済を止めてから変わったこと>
・ウサギの収入が半分に(さらに店舗がひとつなくなったことで、1店舗分の売り上げもなくなる)
・イヌの仕事がなくなった
・国は失業手当の予算が増えた
・ネコの収入が半分に

(▼時間のある方はこちらの動画を見るといいかも)


ひとつがつぶれ、その先に関わっている一人が困窮し、それによってもう一人が困窮していくのがイメージできると思う。ゆるやかに情勢が変われば、転職したり対策を考えたりする余裕もあるが、環境の変化に人間の脳がついていかない。そして国民の生活を支えるための財源を削っていかなければならない。医療費も必要になってくるであろう渦中で これは不安だ。

また、レストランがつぶれた、給料が下がった、仕事がなくなった、という目の前に見えることは、「将来、何が起こるかわからない。節約して貯金しよう。」という人の心理的な部分にも影響する。サイフのヒモが固くなることは、さらにモノやサービスが買われなくなるということであり、またお店の売り上げが下がり、給料が下がったりお店がつぶれたり……という悪循環が生まれる。


お金の流れが変わるということ

ここで疑問が生まれる。

「レストランがつぶれてしまうのはわかった。でも人間は必ずご飯を食べなければ生きていけない。長い目で見れば、スーパーやコンビニなどの他の会社が潤うし、その分 そっちに雇用も生まれるのでは?」
「映画館や遊園地がなくなっても、家でAmazonプライムに課金する人が増えるから、そっちにお金が流れれば経済活動は止まらないのでは?」


たしかにそうかもしれない。「ご飯を食べる場所」を例に考えてみよう。

世の中にはお金を支払ってご飯を食べる場所がたくさんある。レストランをはじめ、出前、コンビニ、スーパーなどなど。現代では人間一人ひとりは原則として1日3食 食べている。これをどの場所で食べるかは一人ひとりが投票する形でお金を投じている。

わかりやすく極端な例にしてみると、村にはレストランとコンビニの2店舗があった。村人はそれぞれ好きな店舗で食事をとるだろう。

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コロナ騒動によって村からレストランがなくなったとしよう。するとコンビニにお金が集まる。するとどうなるか。

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・コンビニの経営者は儲かる。うれしい。
・コンビニの従業員はもしかしたら少し給料が上がるかも。うれしい。でも忙しくなるかも。しんどい。
・レストランの経営者は仕事がなくなる。悲しい。
・レストランの従業員は仕事がなくなる。悲しい。
・村からレストランがなくなる。外食できなくなって村人は楽しみが減る。悲しい。

どうだろうか。コンビニ経営者とそれに関わる人々はうれしいかもしれない。しかしその村からは食を楽しむための選択肢が減ってしまうのと、仕事がなくなって苦しむ人が生まれる。

短期目線で見ると、職を失ってリーマンショックの頃のように自殺者数が増えるかもしれない。選択肢が減って多くの人の生活が不便になってしまうということも考えられる。

もしかすると贅沢な悩みかもしれない。周りにレストランがたくさんあって、一人一台スマホを持って、エアコンの効いた部屋に住んで、衣食住が当たり前のようにできており、現代では非常に便利な暮らしが成り立っている。場合によっては隣のレストランがなくなったら、チャリを漕いで遠くのレストランに足を運べばすむ話でもあるのかもしれない。一時的には生活保護があって生活が保証されているし、レストランで働く人は別のレストランで働いていくのが運命なのかもしれない。

ところが幸福度は絶対ではなく相対であることが多い。いくら戦後に比べていい生活ができていると言っても苦しむ人は増えるだろうし、今回は大地震で街がつぶれたわけでもない。もし不便をあらかじめ回避できるのであれば、多くの人が苦しむのは避けときたいという考え方もある。実現できないからやらないのと、実現できるのにやらないというのには違いがある。

そしてなにより、あとから取り返すことができないものもある。今度はそのあたりについて考えてみよう。


可逆性があるものとないもの

まず前提として あらゆる問題は、再び逆戻りできるものと、もう二度と逆戻りできないものの2つに分けられる。逆戻りできないものはウカウカしてたら取り返しのつかないことになりかねない。今後、数十年にわたって傷跡が残る。そのため優先的に考える必要があると判断するための目安となる。

わかりやすい例で言うと、「人の死」だ。一度 亡くなった人はもう戻ってこない。つまり、「人の死」は逆戻りできない。だから自粛しようという結論も考えられるかもしれない。

しかし当たり前だがそんな単純な話にはならない。逆戻りできないものは他にもたくさんある。これからいくつか例を挙げてみる。


「都心のど真ん中の商業施設」の例

「都心のど真ん中の商業施設」はどうか。これは見方によって変わる。もしその場所が商業施設として存続することがゴールなのであれば、また元に戻る可能性が高い。なぜなら都心は人口が密集している。例え今あるお店がつぶれてしまったとしても、コロナ騒動が落ち着き、再びオフィスに、街に、人が戻れば商業施設は通常通りに再開できる。

つまり、「都心のど真ん中の商業施設」は逆戻りできる、という結論となる。(ただ、この話は消費者側からの観点から見た場合。あとで別視点から考えてみる。)


「地方の観光客によって成り立っている繁華街」の例

今度は「地方の観光客によって成り立っている繁華街」となるとどうだろうか。想像できるとおり現在は旅行者が激減。厳しい状況だろう。もしこのまま自粛ムードが続いてバタバタとつぶれてしまうとどうなるか。地方は少子高齢化が進んでいる。後継ぎがいなければ代わりのテナントが入らず、その場所はもう元には戻らない。

「地方でお店がつぶれる」というのはどういうことか。それは「その地域が消滅に近づく↓のサイクルが早まる」ということだ。

「つぶれるお店が増える」

「観光客が減る」

再び新たなお店は増えない

雇用が減る

若者は都会へ

人口が減る

* 繰り返し

まとめると、「地方の観光客によって成り立っている繁華街」は逆戻りできない、となる。


ちなみに星野リゾート代表の星野佳路さんの話が興味深かった。

——— コロナがおさまってから また会社を建て直すのでは元通りにならないんでしょうか?

私たちは日本の観光産業を育てていくために過去30年間なにをやってきたかというと、建物も作ってきましたけど、一番重要な資源は人材なんです。観光人材を地方につくってきた。地方に住んで、地方の魅力を把握して、それをお客様にサービスとして提供する人材、これは非常に重要な資源なんですよね。その人たちがいったんいなくなってしまったら、それをつくるのにはまた何十年もかかる作業なんですね。会社はお金を誰か貸してくれれば作れるかもしれませんけど、人材を確保するのはすごく大変です。

(参考: "GoToトラベル"本当に今やるべき? ひろゆきと星野リゾート代表が議論 "withコロナ時代"観光・ツーリズムの新しいカタチ


「都心のど真ん中の商業施設」の例(従業員からの視点)

今度は先ほどの「都心のど真ん中の商業施設」の見方を変えてみる。先ほどは消費者側から見える機能的な観点からだった。これを従業員の視点から見るとどうなるか。

具体例をあげると、あるお店の店長は 結婚して間もない30歳。コロナ騒動が想定以上に長引き、経営が厳しいため お店を閉める必要が出てきた。収入が減って生活が維持できなくなり、これをきっかけに離婚してしまった。

離婚してまた同じ人と再婚は考えづらい。また、もしかすると離婚していなければ子供を授かったかもしれない。また、離婚しなかったとしても将来の不安から子供は産もうという意欲はなくなる。未来に子供が生まれる機会も消えるということだ。これも逆戻りできない事象と言える。

しかしながらまた新しい人を見つけ、再婚し、お店を立て直し、、ということをしていけば、また同じ機会が戻ってくる。しかしながらそこまでいくとしてもまた数年後のことだろう。

人生は限られている。もしかすると、子供が2人になるはずだったのが、コロナによる空白期間で将来は1人になるかもしれない。もっとあれもできたかもしれない、これでもできたかもしれない、という機会が1つ、2つ……と減っていくということでもある。


学校が休校になって、勉強よりも影響が出るもの

話が少しそれるけど、機会の話で言うと、学校が休校になったり 成人式や甲子園が中止になったりといったニュースを耳にしたことがある。

別にそれでも勉強さえできればいい、とか、イベントが一個中止になっても別に将来には影響がないという意見もあるかもしれない。ただ、それだけの問題ではないと思う。

確かに思い出が減るというのもくやしい。しかしそれ以上に人の接触が減ることは、経済にとってマイナスの影響を引き起こすことだと思う。


結婚したカップルのアンケートでは、出会いのきっかけは学生時代に出会った人というのがそれなりの割合で存在する。恋愛は運の要素もあるけど、だからこそ出会った数が重要だ。10人と出会うのと100人と出会うのでは、おそらく恋人と出会う確率は後者のほうが高いのはイメージできると思う。

周りで学生時代に出会って結婚している人がそれなりにいるけど、もしあのときリモート授業が続いていたらふつうに今の結婚はなかったんじゃないかと想像できるカップルが複数いる。

いや、別にそれでもいいんじゃない、ってもしかしたら思うかもしれないけど、それは将来に生まれてくる子供の数が減るということでもある。その子供が大人になったときに生み出す仕事量や、消費するものが減るということまで考えると意外と経済に与えるインパクトは大きい。

つまり、人との接触機会は、未来に生まれる子供の数にも影響してくる。実際に将来の不安によるものからか、失業が増えた影響からか、2020年はとくに出生率は減少傾向にある。もしこのまま出生数がさらに減少してぽっかり空いた期間が生まれると、これは元には戻せない事象であると言える。

人口減少は経済にとってマイナス要因のひとつだ。イメージしやすいように例をひとつ挙げると、今年 生まれた新しい命が20年後に成人したら、ビールが飲める。すると、単純にお酒の生産量が上がる。上がれば雇用が生まれる。雇用が生まれると……というサイクルが生まれる。人口が増える、それだけで経済にはプラスの影響を与えることになる。

今回のコロナ騒動による死者や重傷者が減らせるよう守っていく必要はもちろんある。しかし、見落としがちな要因として、それと同時に将来に生まれてくるであろう子供がもう片方の天秤の皿にかかっているかもしれない。人生には「生まれる」「活動する」「他界する」というイベントがセットである。とくに「生まれる」の価値は先行きの話で想像しづらいため、忘れがちになってしまう。

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1つの店舗がつぶれるインパクト

ここでまたもう一度、お店の話に戻す。

もう少しおさえておきたいことは、ひとつのお店がつぶれるということは、店長と従業員、そしてその家族で収まる話ではないということである。さきほどの魚屋のネコや、工場勤務のイヌの例でもあったけど、食材を仕入れるための業者、運送会社、店舗を改装する業者の仕事がひとつ消えるということでもある。

さらに細かいところまで言うと、さっき言った人との接触が減り、出会いが減り、将来の子供の数が減る、ということにも裏側のほうで繋がっている。

先日、新宿のオフィス街にあるビルの地下を通りかかると、お店は開いているものの、客足はほとんどなかった。今はギリギリで繋いでいるという感じだけども、もしこのフロア全体のお店がいったん閉じてしまうと何百人、もしかすると何千人もの生活に影響が出てしまう。


「経済を回す」と「自粛する」

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ここまでで、経済活動がストップすることによるさまざまな弊害をピックアップしてきた。最初にも言ったように、ここでは「経済を回す」か「自粛する」かのどちらかに結論を出すつもりはない。というか、極論はありえないと思う。

・経済を回すことで感染者が増え、医療のリソースが足りなくなったり 高齢な方々が亡くなったりするのは悲しい。
・一方で、自粛をすることで、場合によってはこれから数年〜数十年、将来の身の回りの楽しみが減る、雇用が減る、子供が生まれなくなる、というものツラい。

どちらもしんどい。現時点で何をやってもハッピーになれる、というのは難しいように見える。したがって、いかに被害を減らしてこの事態を乗り越えていくか、というアプローチが必要だ。だからこそとにかくここで言いたいのは、「感染者が増えてきたから、じゃあお店は止めよう」は安易すぎるということだ。もちろんその逆に「感染者数が減ったからぜんぶ解禁」というのも。

必ずもう片方の弊害も天秤にかけて判断できるようにする必要がある。そして、片方の意見に偏らせることは難しいと思う。必ずこっちはいいけどこっちはマズイよねっていう、両者の間にはグラデーションのようにさまざまな対応方法が存在している。その中で今の状況にあったやり方をみんなで模索していくことしかできない。だからそのために全員ができる限り多くのことを知っておく必要がある。

最後に、この発信によって、少しでも多くの人が今の状況について考えるキッカケ、そして意見を持つキッカケになればと思って書いてみました。もちろん反論もあるかと思います。それと同時に新しい視点も見つかるとうれしいです。

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