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#7 化粧を公開すること

こんにちは。sacaikumiです。

この「考える」マガジンは、私が関心を持ったトピックを幅広いテーマで自由に書いていく予定で作りました。今回は、電車の中での化粧ついてお話ししたいと思います。

私は昔から、電車の中で化粧をする女性を見ると、何故だかゾっとしてしまいます。

電車の中で化粧をせざるを得ない女性の事情は理解できます。寝坊しちゃったけど遅刻できないとき、その上で、すっぴんが許されないときって確かにあります。

だけれど、ほとんど反射的にぞっとしてしまいます。

化粧品売り場や、お手洗いの化粧直しスペースでは全くそんなこと思わないから不思議です。インスタグラムで見る化粧のハウツー動画に至っては、寧ろ好きなくらい。

自分がどうして、どこにぞっとしてしまうのか、未だに答えが出ないのですが、私と同じように思う方はいるのでしょうか。特に女性の方の意見が聞いてみたいです。

電車の中で化粧する女性を批判したいわけではないので、どうしてゾッとしてしまうのか出来る限り中立的に考えてみます。

そもそも日本語で言う「化粧」という言葉は、粧ひ化けると書くだけあって、オフィシャルな場面専用の自分を作り込むようなイメージが強いように見えます。一方英語の「make up」は、元の顔の素材を、より良くなるような形に持ち上げるような、、。

言葉だけでなく、文化もそもそも違っていると思います。日本の化粧にはどうも、自分の顔からマイナスを見つけ出して化粧を通してそのマイナス要素を減らす側面が強いと感じます。例えば一重を嫌がって化粧やプチ整形で二重に変える人が山ほど居たり。一重をマイナスだと捉えて居るのは私たち日本人だけだったりします。

日本の「すっぴんでごめんなさい」みたいな風潮は、こういった言葉や文化の成り立ちから来ているのかな、なんて思います。

もし、化粧なんてしてもしなくてもどっちでも良くて、それでもいつもより心の温度をちょっと上げたい男女が"趣味で"するものだったら、電車の中で、人の目もくれず必死な顔でお化粧しなくても良いはずなのにな……

もしかすると私は、あの、電車の中という時間制限のある空間で、せっせと化粧を施すための必死な顔を怖がっているのかもしれません。時間にも遅れられず、スッピンで人にあうことも憚られる女性たちの闘いの表情。そこにどうしても自分の美学をはめ込むことができないのだと思います。

電車の中で繰り広げられる、真面目さと厳しさがせめぎ合う世界の小さな闘い。化粧に関してだけでは無いのですが、特に気になってしまうことだったので取り上げてみました。

もう少し優しい社会のなかで、皆がゆとりのある人生を送れたらいいですね。

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