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龍の顔

 開かずの門の龍を大きいサイズで描くことにしました。
 サイズが大きくなるという事は、踏み込みの深さも問われます。作品から常に問いかけられているような心地です。

 「この龍は一体どんな顔をしているのか。」

 作者はテーマをかっちりと決めた上で、その通りに描く。と思われがちですが、現実は全く異なります。テーマが作品を作り、作品がまたテーマを作るのです。
 考え、描き、また考える。反復のリズムの先に何があるかは未知ですが、その道程そのものが、その作者のオリジナリティと言えるのかもしれません。
 行為の最中、偶然、視覚的強度を獲得した一つの絵に満足し、それを繰り返すだけの制作では、作者は自己模倣に陥り、そこから抜け出る事は次第に難しくなり、最後には創造性を失う危険性を孕んでいます。
 そういう意味でも、大きいサイズにチャレンジすることは自分にとってはいい経験になります。

収集した貝殻。

 さて、見沼は、縄文時代には、古芝川が大宮台地を侵食した谷に、奥東京湾が入り込んでいたという事が、周辺に点在する貝塚から分かっています。

 海、井戸、池や沼も全て同一の神として認識され、後世に機能により分化した(柳田國男)。

 龍を掻き出していきます。

続く

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