13/10/2020:『Every Season』(編集)

今はもうあまり使われていないのだろう。アパートのある中心地から車で3時間のところにある旧国道は、山間の川に沿って、斜面をぐるっと回るようにして続いている。若々しい緑の木々がずっと庇みたいに道を覆っているから、例えば今日みたいに日差しが強い日でもこの道にいる限りは大丈夫そうだ。

木漏れ日が僕の顔や腕にまだら模様の不規則な影と光を作って、それがどこかの先住民のタトゥーみたいだった。

川水の流れる音、通り抜ける風に揺れる木々、アスファルトを滑りゆく流線型のスケートボード。

僕は一人で遠出をするとき、必ずこうして車以外の移動手段を持ってくることにしていた。大概はマウンテンバイクだけど、時々インラインスケートだったりキックボードだったりもする。

車一台分の道幅。スケートボードにとってはこの上ないサイズ感だ。

川からの風は少し水の香りがする。それは土と岩と苔が混ざった香りでもある。反対側の緑の壁からは慎み深い木々の匂いがして、それら全部がスケートボードの上でせめぎ合った。

全身にタトゥーを身ににまとった僕は、その模様が不規則に変わっていくのを楽しんだ。まだ日焼けしていない肌に映える真っ黒な影は今この場所において欠かすことのできないイニシエーションにも思えて、そのせいで初めて女性を知った時の喜びと戸惑いが頭の中から引っ張り出された。別に体感としては大したこともなかったような気がするのに、精神的に、社会的に、その行為は僕を以前の段階へ後戻りできないようにしてしまった。後ろにあるドアを閉めてセメントでガチガチに固めて、

「はい。この通り。もう君はここにいてはいけません。」

と、そのドアを固めた人は僕に言った。そんな気がした。そんなタトゥーを僕は今身に付けていた。

ヘッドフォンからは綺麗なヒップホップが流れている。ピアノのリフはクリアに繰り返され、裏打ちのドラムが手の込んだシャドーに支えられている。ずっとずっと、その繰り返し。時折ブリッジみたいなパートもあるが、でもそれはほんの僅かに曲を繋いでいるーそれがブリッジなんだけどー程度。だから何か作業をしたり何も考えないでいるような時にはよく聴いている。

例えば、今みたいにスケボーで木漏れ日の中をぐんぐん進んで行くような時に。

イニシエーションの中にいる僕はランダムに思いを巡らす。ここ何年かで音楽の趣味が変わった気がする。「この歌詞がいいんだよ。」といつか彼女が勧めてくれた曲はもう何年も聴いていないし、爆発頭でシャウトするハードロッカーの声もそう言えば久しく思い出すこともなかった。今は、人の声がしない音楽の方が好きだった。それは誰のせいでもないし、きっかけもない。ただ、そういう風に時間が流れたり、場所が変わったり、色々そんなことがあったからなんだろう。

かといって、今までお世話になって来たものを蔑ろにするなんてことはない。変わらずパソコンにもケータイにも入っている。

「でも聴くことなんてもうないんだよ、多分。だけど、入ってなきゃいけない。一種のお守りみたいなもんさ。」

と、誰かが言っていたのを思い出した。

風を切って進む。流線型のスケボーとくたびれたバンズのスニーカー。

イニシエーションの前からお守りとして入っている曲たちに支えられて、僕はいくつもの新しいものを取り入れて来た。

でも、無数にあるもの全てに触れることは不可能で、それはまるでこんなにも溢れている空気が、広げた手をすり抜けて後ろへと流れていくようだ。いくつものイニシエーションがあって、その度に後ろのドアは閉じられていく。そしてセメントで固められたとき、何かが変わっていく。見えても見えなくても。タトゥーでもタトゥーじゃなくても。

掴みきれなかった空気と影を数秒前の過去に残して、それでも僕は進んでいく。

                 ・・・

少し視界が開けて来たと思ったら分かれ道になっていて、一つはこのまま山奥へと続く道、そしてもう一つは左手の川を渡る橋だった。

ざざと片足でブレーを掛けて止まった。そして橋を渡ることにした。

一応危ないからとヘッドフォンを外してみたら、思っていたより何倍も大きく水の流れる音がする。全部の方角から全部の音が集まるようだ。

車も通る道だから、橋はしっかりと鉄筋コンクリートで建設されていた。とんでも跳ねても、当たり前のようにビクともしない。氾濫した時はわからないけど、川の流れにも負けずに踏ん張っているように見えた。

右足でスケートボードを前後にゆらゆらさせながら、しばらく目の前の景色を眺めた。空と川と緑と石しかない簡潔な景色なのに、どうしてか、とても情報量が多くてそれは僕を飽きさせることがなかった。

森を抜けてしっかりとした日の光の下に出てきた。木漏れ日のタトゥーは消え去り、自分の肌の色がそのまま今は空気の色だ。橋から川を見下ろす。白い波が無数に立って盛り上がったり凹んだりしながら、川はずっと先まで流れていく。丸っこい石が川底には無数にあって、それら全部がこの流れを作っているんだ。

川を見下ろす僕はこの流れには全く関係なくて、今までの木洩れ日も風も何もかもが消え去った。森を抜けたって体なんか変わらない。髪も伸びないし、ニキビも消えない。

スマートに生きるためには物に囲まれていなきゃいけなくて、物を捨てるためにはお金を払わなきゃいけない。

仕事をすればするほどまた新たにやることは生成されていくし、そしてこなせばこなすほど僕の中で何かが消滅していく。

イニシエーションについて考える。僕が身にまとったもう身にまとっていない模様と空気が、変えた変わらないもの。二度と開くことのないセメントで埋められたドア。

変わらない体の中に宿る、どこか違ったもう後戻りのできない精神。

時は全てを洗いざらい流してくれるというが、それらはどこに流されていくのだろう。川の水のようにどたばたしながら流れていくのだろうか。

でもどこに。

僕の後ろにドアがもうないとすれば、流されるのはきっと今よりも前の方なんだろうけど、でも橋の反対側、水が流れてくる方向に身を返すと、転じてそれは僕の後ろに流されていくことになるし、それ以前にじゃあ僕が川と一緒に同じ方向へと進んで行ったら、流されていくことになるのだろうか。

相対性に溢れた橋の上で、僕はちょっとの間過ごした。

                 ・・・

考察による明確な結論は得られず橋を渡り切った。今までとは対岸にあたる道を、今度は来た方向へ進む。ちょうど太陽は山の陰側にあるから、日の光は入らない。さっきよりも随分とトーンダウンしたような道なりは湿り気が多くて、スケートボードのローラーも幾分か水を弾くような音になった。

もうタトゥーはない。僕は暗い均一な影を皮膚にまとった。川を挟んだ対岸の、さっきまで僕が走ってきた道を眺める。明るい太陽光が斜面を照らしている。イニシエーションを迎えた僕は、もう戻れないドアの向こうにいる、さっきの僕を見る。

このまま涼しげに飛ばしていけば駐車場まではすぐだろう。するとまた車に乗って自分の街へと戻っていくことになる。

ライブラリにはもう聴くことのない曲たちが溢れている。僕はその中から今だけを選んで聴く。

そして、いつもの場所へ戻れば、昨日までと同じように日々が流れていく。

川が流れるように、時もずっと流れるものだとしたら、いつか僕に何かをもたらしてくれるのだろうか。

それとも僕をどこかへと運んで行ってくれるのだろうか。

少なくとも今はわからない。

流線型はぐんぐん進む。ドアの閉まる音が聞こえる。

                 ・・・

今日も等しく夜が来ました。

Anti-Lilly & Phoniksで『Every Season』。


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