25/07/2020:『The Past Recedes』

石造りの教会はもう何百年も前に立てられたもので、数えきれないほどの雨と信じられないくらいの風によって、こうしてその姿を見上げても豪華絢爛だった当時の面影はどこにも感じられない。

堅牢な二つの塔の間に、さらに強謙さを加えたドーム型の主塔が立っていて、動かなくなった大時計と無愛想な鐘がてっぺんに見える。装飾や彫刻は最小限で、うねうねと波のような模様が掘られた窓枠に、エントランスの大扉を守る屋根の部分の柱の上下台座は花のデザインが施されている。

扉は木でできていて、どこの世界にこんな大きな木が生えているんだというほどに大きな一枚板だ。両開きの閉ざされた扉には、世界の誕生から終わりまで、悲劇と喪失がびっしりと彫刻と共に描かれているから、きっと僕が生きる今もこんな感じで悲しみと苦しみに満ち溢れているんだろう。

ホームレスが階段でシワシワのタバコを吸っている。伸び放題の髪と髭に、元々の色が分からなくなったジャケット。革靴は小指の所に穴が空いていて、踵もえらくすり減っている。

「今は中に入れないよ。夕方にまたおいで。」

彼は僕を見上げると、親切に教えてくれた。ぶっきら棒なトゲのある言い方なんかではなくて、何も知らない若者に知っている知識を受け継がせるかのような声音だった。

「ありがとうございます。じゃ、またその時に会いましょう。」

こういう人にはいつもお金や食べ物をせびられて来たから、僕はー大変失礼だがー少し拍子抜けして答えた。

「ところで、君のその帽子はどこで手に入れたんだい。」

深緑色のキャンバス生地、正面に星のバッチがついたこの帽子は、駅前の古着屋でたまたま見つけたものだった。

「そうか。まぁ、いい。」

そういうと、老人はそのまま石段の上に横になり、目を閉じた。

                 ・・・

僕がこの教会を初めて見たのは、高校歴史資料集の中だった。世界史、といってもアフリカー中東ー中国と順に起こった古代文明から、ローマ・ギリシャ帝国。そして、その後はほとんどが西洋史で、今僕がいる国については、本の終わりの方にやっと出てくるくらいだった。

この国が歩んだ500年の歴史は、最後の章に短く収められているだけだった。

それは、この大陸に西洋文明がやって来て、土着の先住民文化や遺産を全てなぎ倒しながら侵略し、”文明化”を”施した”ところから始まっていた。1万2000年前にやって来た人間たちは野原に咲く雑草のように踏み潰されて、焼き払われた。そのことは書かれていなかった。

そして、教会が建った。

「昔、先住民が聖なる地として崇めていた丘の上に建っているこの教会は、今では街を見守るシンボルとなっています。」

と、写真の下に説明文があった。

征服者たちはどういうつもりで建てたのだろう。

この地が聖なる地だから、そこに重ねるように、さらに神聖性を上乗せするために建てたのだろうか。それとも、聖なる地を塗り替え、仕切り直させるために建てたのか。

どちらにせよ、もう聖なる地はその地肌を見せることは二度とないだろうし、先住民たちが崇めていた存在は消え去ってしまった。

「じゃ、シンボルって結局何なんだよ。」

と、授業中に思わず声に出てしまって、僕は先生に注意されたのを覚えている。

                 ・・・

適当なカフェで時間を潰した。街のシンボル的な教会の周りには、お土産やさんや飲食店が奥並んでいて、僕はメイン通りから一つ奥まった路地のお店に入った。12畳くらいの小さな店内は、半分がキッチンスペースで、席はとても少なかった。入口脇にも申し訳程度にテラス席が2つと、通りの反対側にも2つおかれていた。

「コルタードをください。」

カフェの女性店員は僕の同じくらいの年齢で、ボリュームのある髪を1つ結びにして、ウディ・アレンみたいなメガネをかけていた。

「席は適当にどうぞ。」

と、言われたので、外に座ろうかと思ったが、店内の窓に沿って貼られたカウンターテーブルの端の方を選んだ。

あまり日の当たらない狭い路地を歩く人はいなくて、僕はぼーっと何もない外を眺めていた。石畳の道がカーブするように広場まで伸びていて、そちらに行くにつれて明るくなっている。車が通れるスペースはなくて、原付や自転車がドアの前に停められていた。

「はい、どうぞ。」

と、コルタードが運ばれて来た。そして、彼女はそのままエプロンを外すと、僕の隣に座りだした。

「あなた、日本人でしょう。」

この国で日本人と認識されることが初めただったので、少し感動しながら、そうだと答えた。

「なんとなくね。それで、どうしてこんなところに来たの。」

僕は歴史資料集の話をした。本の終わり方に載っていた短い章、白黒の写真と無責任を装う説明文。先生に注意されたことも伝えた。

「ははは、それはいいわね。でも、素晴らしいわ。遠くあなたの国にまで私の国の歴史が届いているなんて。」

「しっかりと届けられているかはわからないけれど。だって、そういう物事は見ようと意識して主体的に見つめないと、受け取ることはできない。だから、実質的には届いていないのかもしれない。」

誰にでもわかるように転がっているものは、つまりは、誰にも見られていない。

手を伸ばして取ろうと、見ようと思って見ないと、見つけられない。

「そうね。そして、あなたはそのプロセスを経て、こんな国までやって来たわけね。素晴らしいわ。」

僕らはしばらく何もない路地を見つめていた。原付バイクが一台通り過ぎた。

「そろそろ教会の扉が開く時間よ。混む前に行った方がいいわ。」

時計を見ると、結構時間がたっていた。道の先に見えた日の光の角度も変わって来ているような気がする。

「そして、帰りにまたここへ寄ってちょうだい。私はコーヒーよりも料理の方が得意なの。その辺に転がっているような味じゃないわよ。」

僕はうなづいて、

「じゃ、ここの席を予約しておいてよ。」

と、言い残し、店を出た。

                 ・・・

教会の前にはすでに小さな人だかりができていて、ほとんどが地元の人だった。観光客は明るい午前中に来ることが多いらしく、夕方の時間は礼拝にくる人たちばかりだった。

サンダルではなく落ち着いたスニーカーで、半ズボンではなく軽めのスラックスで。ついでに襟付きのシャツもきていたので、大丈夫だろう。気になったのは、ただ僕しかアジア人がいなくて、その物珍しさ故の視線ぐらいだろうか。

先ほどの老人を探す。

石段はもう流石に横にはなれないくらいの人だ。だから、どこかへ移動していることだろうが、できれば軽く挨拶がしたかった。

「最後に入った方がいい。」

ふと、後ろから声をかけられた。子連れの夫婦で、3人ともなんとなく同じような顔をしていた。注意してくれたのはお父さんだった。

「遠くからの方が、全体を見渡せる。それと、こう言われるのは嫌な気持ちになるかもしれないが、目立つこともないからね。」

その通りだと思った。異邦人が出しゃばる必要はない。

聖なる土地の、シンボルなのだ。

「それと、その帽子は今脱いだ方がいい。」

「そうですか、ありがとうございます。」

僕は帽子を脱ぐと、無くさなようにバックパックに入れた。

列から離れて、教会越しに少しずつ濃くなる空を眺める。涼しい風も感じられるようになってきた。入り口に人々が吸い込まれていく。聖なる土地に建てられた、シンボル。吸い込まれる人たちは、きっとどこかで先住民の遺伝子を受け継いでいるだろう。でも、教会もその遺伝子を持っているかは謎だった。きっと持っていないんじゃないか。

老人の姿を探した。

どんどん多くなる人の群れに、いくら目を凝らしても見当たらない。

聖なる土地の、遺伝子の違う教会。

僕はそのまま列の最後尾に並んだ。無数のロウソクが照らす礼拝堂が見えた。

足元は暗く、端の方に野良犬が横たわっている。

列が進み、僕は中へと吸い込まれていく。

でも、もしかするとあれは野良犬ではなく、昼間の老人だったかもしれない。

                ・・・

今日も等しく夜が来ました。

後退して後退して、前に進む。

John Fruscianteで『The Past Recedes』


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