27/10/2020:『PAPER PAPER...』

薄く曇った空がずっと続いていた。

大通りへ続くこの路地は、飲食店や薬局、ちょっとしたコンビニなんかが並んでいて、いつも小綺麗な雰囲気だった。まぁ、路地、と言っても歩行可能な中央分離帯があって、車もひっきりなしに双方向へ走っているから、そこまで”路地路地”していないけれど。

この路地は僕の通勤ルートで、高層マンションに囲まれ、明るく人通もあるから安全だった。犬の散歩をしているおばさん、ランニングしている若い女性、スーツ姿の男性からレストランのテラスを掃除する青年まで、たくさんの人がそれぞれの役割を果たしていた。

「コーヒーはもう少し行ったところで買おう。」

と、心の中で呟いてカフェを一つやり過ごした。

もっと職場に近い場所に同じ系列店があって、そこで買った方が熱々のままオフィスまで辿り着くことができる。

                 ・・・

最近はもう現金を持ち歩くことがなくなった。

「ごめん、細かいのある?」

「今お釣り少ないから、できれば大きいお札は勘弁してくれないかい?」

以前、レジでのこんなやり取りは本当に日常茶飯事で、煩わしさもあったが同時にその小さなやり取りが1日のアクセントになっていた。

そんな中、今のスタイルでは、メニューを指差し「ピッ」と機械に触れるだけでなんでも買えてしまうから、とても便利でかつ安全だ。

それによって、最低限の接触と会話だけで毎日が成り立つようになった。

でも、同時に少し思うところもある。

接触と会話に加えて、”実感”までも失いつつある気がする。

スピードとミニマリズムは、隙をどんどんと失くしていく。

”縒れ”がない生活の先にあるものがどんな世界なのか、僕にはわからない。

でも、もうすでにそんな世界を体現しつつあるのだろう。

                 ・・・

「お兄さん、靴、どう?」

斜め前から、少年が声をかけて来た。スェットにジャンパー、磨り減ったスニーカーとボロ切れたキャップ。全身が黒い煤に包まれたかのように汚れていて、左手には応急セットのような木箱を持っている。

靴磨きだ。

この国には、お湯がコップから溢れるくらいに、実に多くの流しの靴磨きがいる。道をパッと見ただけでも、もう4人は見送って来た。大通りの銀行前にはさらにいるだろう。

彼らはこうして道で声をかけうまく客を捕まえると、その辺のベンチに案内して靴を磨き始める。自分たちは地べたに直接座りながら。強者になると、カフェにまで入って来て声をかける。そして、店内の床に座って磨き出したりする。

僕には何が正義なのか平等なのか分からなかった。

靴を磨き報酬を得ることは全く問題ないし、それを求める顧客にしたって対価を払っているのだから、咎められることなんかない。

ただ、その場で、もうただの道端で、店の中で、皆が歩きコーヒーを飲んでいるところに座ってせっせと磨く姿を見ると、

「んー、どうして不自然なんだろう。」

と、思わせられるのだ。

日本みたいに、パリッとスーツを着た靴磨き職人などいないし、レザーエプロンを付けた燻し銀のクラフトマンなんかもいない。

一歩間違えれば、彼らの姿は見えないくらい。それくらい煤けている。

しかし彼らもまた社会の一部であり、その構成要素なのだ。

「ごめん、今、手持ちがないんだ。」

と、僕は彼のオファーを断った。

スピードとミニマリズムは、隙をどんどんと失くしていく。

僕は、もう彼らに払う小銭を持ち合わせていない。

銀行口座には腐るほどー言い過ぎだけどーお金があるのに。

彼らに払う1ドルをも持たないこの時代は、一体どこへ向かうのだろうか。

路上の靴磨きはこの先消えていくのだろうか。

僕は立ち止まって、ポケットに手を入れた。

触れたのは一枚のクレジットカードだ。

そんなものに触れたって曇った空が晴れるわけもなく、僕はまた歩き出した。

後ろの方で客を引く彼の声が聞こえる。

でも、大通りへ入ると、それももう掻き消されてしまった。

                 ・・・

今日も等しく夜が来ました。

BRON-K feat. NORIKIYOで『PAPER PAPER...』。


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